第四十一話 花を育てる魚
駅前に張られたドラマの巨大告知ポスター。そこに、刑事の恰好をした宵彦と、荒んだ表情で刃物を握った禊と、主役の俳優たちが映っていた。
「ね、1話見た? 宵彦さんってすごいカッコいいんだね! テレビでアイドル? やってるのを見ただけで、どんな人かよくわからなかったんだけど。でもさ、役と言えど、所作に気品があるよね! 何より顔! 優しそうな顔だけど、美しさの中に鋭さみたいな、正に薔薇の騎士って言うのかな!」
友人は興奮気味にあぐりにそう話していた。
「じゃあ禊は?」
「終わりの方に一瞬出たよね。一般人に紛れて宵彦さんに話しかけてたけど、妙に鼻にかかる青年って感じだった。バラエティーで何度か見たけど、あんな真面目そうな人があんな人を見下した役とか、全然想像できない」
確かに、禊さんはすごい真面目な人だし、どう演じていくんだろう。と、あぐりは禊の顔を見ながら考えた。顔色の悪そうな殺人鬼役。誰を見本にして演じているのか、そもそもそんな人そう周りにいない。
「ところであぐり、ずっとそこにいるそれ……」
友人が怪訝そうな顔で指さす方を振り返った。
「あぁ、おじさんだよ」
「叔父さん? お父さんの兄弟?」
「ううん、家政夫。お母さんが危ないから連れて行けって。過保護なんだ」
「あれ、お母さん居なかったよね……もしかして、再婚?」
「ううん。えっと……帰って来たっていうか……」
「え、亡くなったって……」
「えっと、その話は今度するね!」
あぐりが話題を変えようと話を探していると、友人が呼んだ他のメンバーがやって来た。
「あぐちゃん、おはよ」
「おはー。あれ、その子たちは?」
「中学の時からの友人。たまにはいつものメンバーとは別のと遊んでみたいじゃん?」
紹介された他校の男子名と女子1名が紹介される。
「ユージです」
「アツヤです」
「あっこって呼んでくださーい」
「あぐりです。こっちは……SPのアキラおじさん。宮崎さんって呼んどいて」
「え!? あぐりちゃん、僕はついてくるだけだから……」
あぐりは冷たい視線を向け、肘でアキラをどついた。
「じゃ、行こうか!」
友人らは目的地に向かった。
「あぐり、受験真っただ中なのに誘ってごめんね。本当に大丈夫?」
「大丈夫だよ。後は結果待ち」
会話しながら歩き、目的地に到着。
「……ダンゴーランド……」
「そ。おじさん初めて? 日本で一番大きいテーマパークだから、迷子にならないように気をつけてね」
あぐりはアキラの手を引っ張って中へ入って行った。
「あぐりちゃん、チケット代返すよ」
「いいよ。おじさんは連れてこられたようなものなんだから」
「あぐりー、早くー」
友人に呼ばれ、あぐりは高校生の中に入って行った。アキラは数メートル離れたところから後ろをついて見守っていた。
「まず何行く?」
「お化け屋敷にしようよ!」
「そうだ、ここのって国内最恐なんだって!」
「二人組に分かれようか」
「でも奇数じゃない?」
「待ってて!」
あぐりは何か思いつくと、真っ先にアキラの元に駆け寄り、腕を掴んで持って来ると、
「ほら、偶数!」
一同は苦笑いをしていたが、友人は、
「うん、これも悪くないかもね。それじゃグッチョッパで」
一同はグーかチョキかパーを出して分かれた。
友人はユージの隣に立ち、あっこはアツヤと、あぐりはアキラの腕をつかんだ。
「それじゃ、レッツゴー!」
一同はお化け屋敷に向かった。
最初に友人とユージの組みが入って行く。
「おじさん、ここのって日本一怖いんだって」
「へ、へぇ」
「おじさん、行ける?」
「行かなきゃいけないんだよ……」
「無理しなくていいよ? 私何度か入ってるから」
「いや、大丈夫……がんばるよ」
アキラの足と前に並ぶアツヤが笑っていた。
アツヤとあっこの組みが入ろうとした時、リタイア口から友人とユージが飛び出して来た。
「やだー、怖かったよー」
友人は大泣きしてユージの腕にしがみついていた。
「泣き虫~。もう何度か入ってるでしょ」
「それでも怖いものは怖いんだよう!」
友人らは先に休憩しているといい、その場を離れた。あぐりとアキラの番がやって来る。
「はいおじさん、フラッシュライト」
専用の懐中電灯を渡される。
お化け屋敷のテーマは精神病院で、地下室では謎の実験が行われており、その証拠を取って来る、という物。
「学生時代にやってたゲームに似ている」
「おじさん、ゲームやってたんだね。意外」
「友達に借りてやってた。ゲーム自体は好きではないけど、まぁ、流行ってたし、少しくらいプレイしておかないと話題に入れなかったから」
「なんだ、やっぱりおじさんだ」
最初は廃れた病院内だ続くばかりだったが、階を降りていくにつれて内装は酷くなっていく。出てくる患者役も過激さを増して、一番下の地下室に入ると、血みどろの、ゾンビなのか生きてる人間なのかもわからないものが所々にいた。
「おじさん、あったよ!」
あぐりが金庫を一つ指さして駆け寄る。
「あぐりちゃん、だめだよ! それ近づいたら敵がやって来るイベント……」
そう言っている横から、患者役が襲い掛かって来た。アキラははち切れんばかりの叫び声をあげた。
「あぐりちゃん早く!」
「今開けてるの! あれ、順番逆かな……」
「ごめんなさい! 本当にすいませんでした! お願いですから! 今帰りますから!」
「開いたよ!」
あぐりが証拠であるアイテムを両手に持って掲げた瞬間、アキラはあぐりの胴に抱き着き、担ぎ上げると、全力で出口の方に向かった。
「おじさん!?」
「しゃべるな、舌噛むぞ!」
あぐりはいつもと違う口調に驚き、口を手で押さえた。矢印の宝庫に従って走り、障害物の机の下を滑り込み、倒れている本棚の上を飛び越え、出口の光が近づいてくる。
光の中に飛び込んだ瞬間、パンッという音がした。驚いたアキラは足をもつれさせ、あぐりを怪我させまいと腕の中に抱き込んで倒れた。何事かと急いで顔を上げると、スタッフが数名駆け寄って、
「よくやった! これで記事が書ける! 君は我が新聞社の英雄だ。きっと天の向こうにいる彼も、これで報われるよ」
そう役作りのセリフを言ってアキラを立ち上がらせた。周りにいたゲストも拍手を送った。アキラは何が起きたのかまだ理解しきっておらず、肩を上下させて放心状態だった。あぐりは嬉しそうに報酬である限定品を受け取り、突破者のプレートに名前を入れていた。
「あぐり、すごいね! あれ突破できるのってかなり数少ないのに!」
「怖かったけど、脅かしに来てるだけだと考えたら結構平気だった」
「だから怖いのに!」
アキラは疲れ切った顔で少し離れたベンチに座ってぐったりしていた。
「よくあんなに走れたよな……明日筋肉痛だ……」
すると目の前にあぐりの足が見えた。顔を上げると、あぐりが先ほど受け取った報酬を突きつけ、
「おじさんのおかげだから。最後の出口に向かうところ、ある程度足が速くないとクリアできないんだ。おじさん、あんなに足が速かったとは思わなかったよ。ありがと」
アキラが遠慮して突き返そうとしていると、あぐりは膝の上に強引に置いて、友人らの中に戻って行った。
それからあぐりたちは色んなアトラクションに乗り、アキラはじっとそれを離れたところから見ていた。
友人の一人が、
「ごめん、ちょっと喉乾いたし、ついでに限定のシェイク買って来る」
「え、じゃあ俺も行く」
「じゃあ私も!」
「あぐりはどうする?」
「私は待ってるよ」
「わかった」
友人とアツヤとあっこは手を振って別れた。するとユージがあぐりの手を掴み、
「ね、観覧車乗ろうよ。知ってる? この時間にしか見れない絶景があるんだってよ」
「そうなの? じゃあ行く」
あぐりはアキラの事など忘れ、ユージと観覧車に向かった。アキラは観覧車が見えるベンチに移動した。
「はい、お姫様」
ユージはあぐりの手を取って観覧車に乗せた。二人は向かい合って座る。あぐりま真っ先に外に目を向け、
「ねぇ、絶景ってどれ? そろそろ日も傾いて来たから、夕焼けとか?」
「うん、まあそんな所」
ユージは笑って答えたが、すぐにその表情は冷めた。
「あ、見て!」
あぐりに手招きされ、ユージは隣に座る。
「ほら、聖女様の御髪。上から見るとなお綺麗だね」
あぐりはスマホのカメラを空に向けた。
「せいじょさまの……?」
「聖女様の御髪。空が虹色に見えるでしょ? 夕方になるとね、太陽が傾いて聖女様の髪に反射して、髪の輝きが空に映るんだよ」
「ふーん。聖女様って?」
「髪も肌も白くて、マグマのように赤く光る眼に、雪のように乗ったまつ毛、瑞々しい果実のように艶やかな唇の、美しい少女。髪が虹色に光るんだよ。すっごい綺麗なんだって。私も見てみたいな……」
「そう。まぁ、美しいとか人によって様々だから、誰が美しいと言おうと、この目で見ない限りそうは思えないけど」
「えー、でも、美しいと言われるものを、どれだけ美しいのかって想像するのも、醍醐味の一つだと思うよ」
あぐりが微笑んで見せると、ユージは少し不満そうな目を向けた。
「まぁ俺は不確かなものは信じない主義だからさ。あぐりちゃんが可愛い子って聞いて、期待外れだったらすぐ帰る予定だったんだ。でも良かった、こんなかわいい子で」
ユージの手があぐりの髪を撫でた。
「私、可愛くないよ?」
「可愛いよ」
あぐりは初めて他人である男に言われたその言葉に、身内から言われるときとは違う嬉しさと恥ずかしさを覚えた。
「わ、私、門限あるから、降りたら帰る……」
「じゃあ送るよ。どこまで?」
「いや、おじさんいるから」
「あぁ、あの。あれ親戚?」
「ううん、家政夫、みたいな。お母さん、過保護だから」
「本当に? その割にあのおじさん、あぐりちゃんが話しかけると嬉しそうだけど」
その言葉に、あぐりは思わず顔を上げた。ユージは怪しく笑い、
「嘘が下手でかわいいなぁ。援交だろ?」
ユージの手があぐりの首に触れた。途端、あぐりは全身に寒気が走った。それと同時に、怒りで沸騰した血液が背骨を通って全身を駆け巡り始めた。
「そんなんじゃない!」
とっさにユージの服につかみかかった。
「な、なんだよ。離せ!」
「おじさんはそんなんじゃない! 取り消せ!!」
「なんだよこの女……!」
観覧車が下に付き、ドアが開いた。あぐりが下りようとドアの方を向いた瞬間、アキラが目の前に立って待っていた。
「おじさん……!?」
するとアキラは手を伸ばし、あぐりを掴んで引っ張り出した。そして肩を抱き、
「帰るぞ」
そのまま速足で出口に向かった。
「待って、待ってよおじさん! アイツに謝らせなきゃ! アイツ、おじさんの事……!」
「いい、いいから。そんな事どうでもいいんだよ」
アキラは顔見せず、そのままあぐりを連れて電車に乗った。
夕日が少し人の多い電車の中をオレンジ色に染め上げる。座席に座ったあぐりの前にアキラは吊革を持って立っていた。
『あぐり、どうしちゃったの? どこ行ったの?』
友人からのメッセージがスマホに入っていた。
「ご、め、ん。親が、今日はもう、帰れって……」
メッセージを送信する。あぐりが落ち込んだ様子でうなだれていると、アキラが上着を肩にかけた。
「おじさん、寒くない?」
アキラは何も言わず、頷くだけだった。
「悔しくないの? だって、おじさんの事……」
「なんて言ったかは知らないけど、別にいいよ、僕のことくらい。それより、そんな事でそんな顔しないでくれ……」
「うん、ゴメン」
あぐりは肩にかけられた上着に鼻を押し付け、空いているアキラの右手に触れた。
それから数日。真尋とアキラ、禊や言葉など、自宅にいる矛盾らと、さらに千歳が矛盾の家のパソコンの前で画面を睨みつけていた。
「ねぇ、まだ?」
工が訪ねると、うるさいと言って禊が顔を手で押した。
「あと5分ですね……」
千歳の言葉に、一同が唾を飲んでため息を溢す。
時計の針が10時を示す。千歳がメモを見ながら、画面にあぐりの名前と受験番号、その他情報を入れ、ログインする。
しばらくお待ちくださいという画面が出る。禊は焦りを隠せないのか、唸り声の混ざったため息を溢す。
画面が切り替わる。急いでスクロールしていき、一同は画面の下を追っていく。
そこに表示された一つの単語を見て、千歳は眼鏡を外した。一同も画面に顔を近づけ、大きなため息を溢した。
千歳はすぐに画面の写真を撮ってあぐりにメッセージを送った。
「なんでぇ! あぐりちゃん頑張ってたじゃん! あんないい子の何がダメだって言うんだよ!」
工は悔しそうに床を叩いた。
「仕方ないだろ。それ以上の生徒が多かったって事だ」
禊は髪をぐしゃぐしゃとかき回し、台所に立った。
「くっそー大学のアホ! 見る目無さ過ぎ! 苦情入れてやる!」
「それこそ不利になりますわ」
言葉がそう言うと、工はソファーにダイブし、クッションに顔を押し付けて叫んだ。
「ち、千歳さん……」
アキラが気を使って声をかけると、
「うん、仕方ない。リベンジだよ。さ、次に備えて準備しなきゃ」
千歳はすぐにパソコンの画面を切り替え、調べ物を始めた。
「アキラさん」
千歳に呼ばれ、アキラは顔を上げた。千歳は画面に顔を向けたまま、
「倍率高いところでしたし、仕方ないんですよ。俺も同じ芸術ですから、わかります。多分あぐりも同じこと言うと思いますけど、その時は目いっぱい甘やかしてあげてやってください。俺は同じ芸術の者だから、甘やかしてやれないんで」
声は厳しかったが、横顔は娘を想い悲しい顔をする父親の顔だった。
アキラは強く返事をした。
夜になり、金曜だったためあぐりが家にやって来た。
「あれ、みんなは?」
リビングにはアキラと言葉と美紗だけだった。
「仕事だって。今日は結果観るために夜に移動させた人がほとんどだったみたいで」
「そうなんだ……みんなわざわざ、私のために……」
あぐりが悲しそうな表情をしていると、美紗がやって来ておもちゃのケーキを渡した。
「ん、くれるの?」
あぐりが抱き上げると、美紗はおもちゃを口に押し付けた。
「おもちゃだから食べれないよ。んー、おいしいね」
「んに! あぐ、そぃそぃ」
美紗に頬を撫でられ、
「うん、ありがと」
あぐりは目いっぱい抱きしめた。美紗が嬉しそうに叫ぶ。そしてあぐりの腕から降りて、美紗は上の部屋に上がって行った。
あぐりは美紗を見送ると、アキラの方を見て、
「ダメだった」
「うん、残念だったね……」
「まぁでも、仕方ないよ。倍率すっごい高いんだもん! 五美大の中で一番の倍率だから、そりゃね。私みたいのはガチ勢には負けるよ」
ソファーの背もたれに腰を軽く下し、
「さー、次は一般試験だ。勉強しなきゃな。英語やだなー。文法とかさ、何でわざわざ日本語にするんだろうね、英語なのに。意味わかんない。あれ考えた人バカなの?」
あぐりは上手くいかなかった不満をどこかに向けたいのか、最近の不満を溢していた。
「この前爪割れるしさ。友達に貸したシュシュはなくされるし。ついてないなー……」
ため息を漏らして首を垂れると、頭の上に温かい重みを感じた。そっと顔を上げると、アキラが目を逸らして頭を撫でていた。
「君は頑張ったよ。何かが悪かったからダメだったんじゃない。ただ、それ以上の人がいただけ。蹴落とされちゃっただけ。君が悪かったからではないよ。その……大丈夫」
「大丈夫なわけないじゃん」
あぐりは微笑んでそう言うが、声が震えていた。
「また頑張っても、同じように報われなかったら、どうしろって言うのさ。浪人生は取ってもらえないんだよ。一度落ちた奴はつまりそういう奴って、二度目は無いんだって」
「いや、でも」
「もうわかんない。ガチ勢って何? 私演劇部だよ。子役とか、小さい頃からドラマや映画に縁のある子とか、俳優と縁がある子の方がいいの? 賄賂でも貰ってるんじゃないの? 自分の保守のため? バカみたい」
あぐりの目から涙がこぼれだす。
「誰のおかげで食っていけてると思ってんだよ! 生徒のおかげだろ? これだけやりたい、学びたいって思ってるのに、何がダメなの? 思うだけじゃダメって? 独学で色々やってるのに! エンジェルからも教わったりしたのに、何がダメなの? モデルだから? 俳優と仲良くなって囲まれてろって? ねぇ、どうしたらいいの!?」
アキラに向かって尋ねると、アキラは黙ってあぐりの頭を抱き寄せた。
「努力って何……何をしろっていうの。私に親がいないからダメなの……? だから私は存在するなっての?」
アキラの胸に顔を押し付け、あぐりは泣きじゃくる。アキラはそっと抱きしめ、何も言わずただ背中をさするだけだった。




