第四話 甘いクラゲ
赤く染まっていた山々もだんだんと黒く染まっていき、冬が目の前に来ていた。
「米オッケー、干物も大体終わってる。備蓄はこれで大丈夫かな……」
禊はリストを確認しながら倉庫の中を見て回っていた。
「もうそんな頃か」
ふと、影から現れた千早が声をかけた。
「氷河期も間近だからな。お前はどうすんの? 冬眠するのか? そもそもお前は睡眠をとるのか?」
「人間の真似事で睡眠をとりはするが、寝ているんじゃなくて記憶を見返して楽しんでいるだけだ」
「へ~」
つまらなさそうな顔をしていた千早は急にいたずらな顔を見せ、
「寝ている間のお前らでどう遊んでやろうかねぇ……」
宙を泳いで禊の周りをまわった。
「変なことすんなよ。あんまり言う事聞かなかったら、七罪に監視させるからな」
そう言われると、千早は不機嫌そうな顔をして外に出た。
外では美紗と忍が走り回っていた。
「食べちゃうぞ~!」
「キャー!」
美紗は嬉しそうに忍から逃げ回る。その様子を見た千早は自分の身体を見ると、黒い靄を纏わせ、靄が晴れると、黒のジャージを着た姿になった。そしていたずらに微笑むと、ゆっくり美紗たちに忍び寄り、
「喰ってやろうかぁ……!!」
口を耳まで裂けて美紗に襲い掛かった。忍は思わず反射的に美紗を抱きかかえ、千早から距離を取って顔面蒼白で睨んだ。
千早は急に真顔になると、背筋を伸ばして忍を見下ろした。忍が唾を飲み込むと、
「あーい!」
美紗が笑顔で千早に近づいた。忍が急いで引き離そうと手を出すと、美紗は怒って忍の顔を叩いた。そして千早の脚に抱き着き、嬉しそうに顔を見上げた。千早は肩眉を下げて見下ろし、抱かれた足を軽く振り払った。美紗は放り投げられたボールのように軽く飛んで行く。急いで忍が追いかけるが、美紗は走って千早の足まで戻って来た。
「うい!」
美紗は嬉しそうに足に顔を擦りつける。
「美紗ちゃん、ダメだよ! そいつは……!」
忍がてんやわんやになっていると、千早はしゃがみ込んで美紗と顔の高さを合わせた。
「何がしたい、赤子」
千早が鼻で笑うように言うと、美紗は短い腕を伸ばし、千早の頭を撫でた。
「そいそい、そいそい。いーこ」
予想していなかった千早は目を丸くさせていたが、目を伏せて頭を少し低くさせて、されるがままにされていた。忍はただただ心配そうに見ていた。
美紗は千早の髪を掴み、
「ふあふあ! ふあふあ!」
頬ずりをして、そのまま千早の首に抱き着いた。
「いーこ。ちはあ、いーこ」
美紗は小さい手で千早の背を撫でた。
千早は抱きしめようと手を伸ばしたが、ぐっとこぶしを握り、頭を美紗に押し当てた。そして嬉しそうに柔らかく微笑み、
「ここにいたんだねぇ……」
小さく呟いた。
忍はいつもの千早の邪悪な顔からは想像もできない柔らかい表情に目を奪われていた。千早がそれに気づき、
「何見てんだよ。どうだ、お前も抱きしめてやろうか? ただし肝臓半分よこせよ」
「結構です! ご遠慮します!」
一生懸命首を横に振った。
「はー、ツマンナイ」
千早はため息をつくと、黒い靄になって空気に消えていった。
唖然とする忍に、美紗は袖を引いて呼んだ。
「あれー、どこ行ったかなぁ……」
李冴が床に伏せて家具と床の隙間を覗いていると、
「その隣の下はどう?」
背後に現れた千早が声をかけた。
「んー」
李冴は夢中になって隣を覗く。千早はしゃがむと李冴のスカートのすそを指で持ち上げ、下着をじっと見つめた。
「あ、あった!」
李冴は髪飾りを持って立ち上がると、足元で見上げる千早を見つけ、爆発したように叫び声を上げて飛び跳ねた。
「おいおい、そんなに驚くことか?」
千早が腕を引いて腰に手を回すと、さらに李冴は叫び声を上げた。
「マンドラゴラかよ」
千早は楽しそうに笑った。手を離してやると、李冴は吸い込まれるようにベッドの下に入って行った。
「ゴキブリかよ……」
「ななな何用ですか!?」
「遊びに来た」
「遊びに来たァ!?」
「ねぇ、遊んでよ」
「ななな何して遊ぶんですか」
「んー、色々」
「色々っ!!」
「とりあえず落ち着け、そのままだと埃吸い込んで肺を悪くするぞ」
そう言われると、李冴は息を荒げて這い出て来た。
「じゃあ、あの、お茶でも飲みます?」
「人間のDNA以外摂取できない」
「あっ……」
「代わりにお前の血を差し出してもらってもいいんだがなぁ……」
千早が八重歯を見せて不敵に笑うと、李冴は襟を引っ張って首元を出し、
「不死身ですから! お好きなだけどうぞ!」
鼻息を荒くして差し出した。
「いや、いい」
さすがの千早も思わず遠慮する。
「それより、いつの間に家なんか建てたんだな」
「そうなんですよ!」
李冴は嬉しそうに立ち上がり、千早の手を取って家の奥に案内した。
「私が生前住んでいた家と同じ家にして、内装は全て私好みにしたんです」
李冴の管轄する、この星で二番目に大きい海洋に浮く小島に李冴の家が建てられている。ハワイを思わせるような青い海の見える島に、アメリカの小ぢんまりとした家が建っており、内装は薄い水色とピンクを基調にしたパステルカラーの壁紙や家具が置かれていた。
「随分砂糖臭そうな部屋だな……」
「私お砂糖大好きです!」
「あ、あぁ……」
「あっ、ここお気に入りなんですよ」
李冴がデッキへの窓を開けると、デッキの中央にプールが埋め込まれていた。プールの底はピンクや水色や紫のグラデーションが施されていて、ヒトデや貝の形をした陶器が埋め込まれていた。
李冴がプールの側にしゃがみこむと、千早は吸い込まれるようにプールに身を投げた。
「大丈夫ですか!?」
身を乗り出して様子をうかがっていると、千早が水面から顔を出した。顔の近さに李冴が顔を真っ赤にすると、千早は濡れた手を伸ばして李冴の頭を両手で包み、李冴の小さな唇に吸い付いた。
驚いた李冴が千早の肩を押して顔を離すと、千早は唇を舐めて、
「へぇ、意外と甘いんだ」
プールの縁に腕と顔を置いて上目づかいで見た。
「キャー!」
李冴は両手で顔を覆って叫び声を上げた。耳まで真っ赤にし、頭からは湯気が立ち上っている。
「ハッハ、そんなに嫌だったか」
「ちちち違うんです!」
全力で首を横に振る。
「だ、だって、好きな人に、そんな、初めてが……」
「へぇ」
千早は楽しそうに頬杖をついた。
「ひゃぁぁぁぁどうしようどうしよう! あああああ一体何をご所望ですか金ですか魂ですか血ですか!? あっ体ですか!?」
「アッハハ、愛いねぇ」
千早は軽く笑うと優雅に水の中を泳ぐ。すると急に腕を伸ばし李冴の腕をつかむと、水中に引きずり込んだ。驚いた李冴は焦ってもがくが、千早が胸に抱えて水面に顔を出す。
「そうかいそれじゃぁ、何を所望しようかねぇ……」
千早の骨のような指が李冴の髪を耳にかけ、唇の上を滑る。李冴は顔を赤くさせると目を伏せ、
「あ、あなたのためなら……私、平気ですから。体を差し出すのも、本望、みたいなもので……」
千早は急に冷めた顔をし、微かにふるえる李冴の肩に手を置き、
「青い小娘が随分と大人びた事を言うもんだ。俺は家族に手を出す気はない。そんな事、二度と考えるんじゃないぞ」
李冴はハッとしたように顔を上げ、うつむいて小さく返事をした。だがまた顔を上げ、
「家族?」
目を見張って聞き返した。
「あぁそうだが」
「私は、あなたにとって家族なの?」
「矛盾を俺の家族にすることにした。なぁに、ただのおもちゃだよ」
李冴はみるみる顔を明るくさせ、
「いいの!? 私、家族になっていいの!?」
「あ、あぁ」
「じゃ、じゃあ、私はあなたの何になるの!? 妹? 娘? そ、それともつつつ妻!?」
「ア? 家族は家族だろ」
千早が肩眉を上げて答えると、李冴は声にならない叫び声を上げた。
「よく鳴く娘だ」
プールから上がり、李冴は着替えを持ってバスルームに向かった。そして後ろからついてくる千早に、
「覗かないでくださいね! 絶対に!」
「減るもんじゃないだろ」
「見せられるようなものじゃないからです!!」
バスルームの扉を強く閉めた。千早は濡れた身体を眺め、どうでもよさそうに爪をいじり始めた。
しばらくすると着替えた李冴が出てきた。
「えっと、終わりましたけど……」
「よし、じゃあ次は何する?」
千早が嬉しそうに腰を折って顔の高さを合わせる。李冴は千早の服を掴み、
「濡れてますけど、着替えないんですか?」
「きがえる?」
千早は何も知らないように首を傾げた。
「ほら、体が冷えて風邪ひいちゃうじゃないですか」
「俺は生物じゃないから病気にならんぞ」
「えっと……」
李冴が困った様子でいると、千早はリビングの暖炉の前まで行き、突っ立って暖炉を見下ろした。
「暖炉がどうかしたんですか?」
李冴が不思議そうにしていると、千早は黒い靄に姿を変え、暖炉の火の中に入って行った。
「何してるんですか!?」
すると何事も無かったように千早が現れ、濡れていた身体はすっかり乾いていた。
「こういう事か?」
李冴は驚いた顔で、
「そう、ですね……」
小さく答えた。
それから千早は自分の身体を見ながら少し考え、くるりとその場で一回転すると、黒を基調にした要と同じ服に早着替えした。
「えっ! すごい!」
李冴は嬉しそうに手を叩いた。
「えっ、じゃあ宵彦さんの恰好とかできますか?」
「お安い御用だよ」
黒いスーツに身を包む。耳には黒い大ぶりの宝石が揺れていた。
「どうしてそんなに素早く着替えられるんですか?」
「変身してるから」
「ヒーローみたい! どこから服が現れるんですか!?」
「現れるも何も、体の一部」
「えっ」
李冴が固まる。
「お嬢ちゃん?」
千早が顔の前で手を振るも、一切反応が無い。千早はそのまま李冴の腕をつかみ、手のひらを股間に置いた。
「あああああああああああああああ!!!!」
李冴は頭から蒸気を噴射して叫んだ。
「つまり全裸ですか!? 全裸なんですね!? えっちだ!!」
「哺乳類じゃないんだから服着る必要無いだろ」
「あああああ触っちゃった! (自主規制)触っちゃった! 触っちゃった!!」
「元気だねぇ」
千早は李冴の両手を取ってなだめる様に手を揺らす。
「私は死ぬのか!? もう寿命が来るのか!」
「永遠に来ないって」
李冴はまた声にならない叫び声を上げた。
「私は……!!」
李冴は言いかけて、急に押し黙った。千早が不思議そうに首をかしげて顔を覗くと、
「そう言えば私、あなたの名前をちゃんと聞いてない。ねぇ、名前聞いてもいいですか?」
「ん」
千早は少し考える顔をし、柔らかく微笑むと、
「ちはや」
ゆっくり一文字ずつ答えた。
すると李冴は鼻から血を吹きだし倒れてしまった。
「オイ小娘、どうした。オイ」
李冴はこの上なく幸せそうな顔をしていた。