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第二十三話 夏の温かさ

 夏の日差しの眩しい日頃。

「ついたー!」

 大きな豪華ホテルの前で、美友が大きく両手を上げた。

 夏休みに入り、仕事を持っていた者たちも長期休暇を得られたため、薫子の紹介の元豪華ホテルへ旅行に来た。

「べ、早く! 早く部屋に入ろうよ!」

「プール!」

「早く世界中の料理を堪能したいのじゃ!」

 美友と悠香と百足が鼻息を荒くして七穂に迫った。

「ま、待ってください、今手続きをしていますから……」

 三人をなだめていると、フロントの方から七富が走って来て、

「ご用意できました、部屋に向かいましょう」

 その一言に女子供は大はしゃぎでホテルの中に入って行った。

「元気だよなぁ」

 禊は自分の横を走り抜ける子供らを見ながらつぶやいた。すると言葉が隣で足を止め、

「だって、初めてですもの、こんなに大きなホテルのプール! お仕事で色んなホテルに泊まったりもしましたけど、こうやって娯楽のためにと、みんなで泊まるのは初めてでして。はしゃがずにいられます?」

 禊はにっこり笑い、

「目いっぱい楽しんで来い」

 言葉の頭を強く撫でた。

「もう、御髪が乱れちゃう!」

 言葉は少し怒った顔で手を振り払うと、にっこり笑い、禊の肩に手を置いてつま先を伸ばすと、ちゅっと頬に一瞬唇を触れさせた。そして何事も無かったように、スカートを翻してホテルの中に入って行った。禊は頬に手を置いて少し唖然としていた。

 小町が通りすがりに顔を覗き込み、

「何だ、お前でもそんな顔するのか」

 禊は急いで後ろを歩く尊を見た。

「大丈夫だよ、変な顔じゃない」

「ホントか?」

「そう照れるなって」

 尊が肩を組んできて、ホテルの中に連れ込んでいった。

 ロビーに入るなり、七富と七穂に部屋鍵を渡され、

「この前振り分けた通りの班になれー、鍵渡すぞー」

 そう禊が呼びかけると、それぞれ班になり、班の代表が鍵を撮りに近づいてくる。鍵をそれぞれに渡し、

「部屋に入ったらプールに行くなり好きに過ごしていいが、ホテルからは出るなよ。それから、昼は12時半だから、それまでにここに来ること」

 そう呼びかけると、一同は返事をしてそれぞれの部屋に入って行った。


 プールの更衣室に入ると、すでに着替え終わっていた美友が髪を整えていた。更衣室に入って来たあぐりに気付いた美友は立ち上がり、

「お、あぐちゃんも来たね! ね、ね、どんな水着選んだの?」

 あぐりはプールバッグの中を探りながら、

「おとうさんが、別に新しいの買わなくても中学のがあるだろって言って。買ってもらえなかった」

 紺色の上下に分かれたノースリーブとハーフパンツタイプのシンプルな水着が出てきた。あぐりは美友の青いビキニを見て口を尖らせた。美友は少し哀れに思い、

「後でショップで髪飾り買ってあげる」

「え、でも」

「いいのいいの! アイドルだから儲かってんのよ」

 美友は悪戯に笑い、胡麻を擦るように手をこすり合わせる仕草をして見せた。

 あぐりがロッカーの前に立つと、隣で丁度着替え終わった百足が髪をなびかせてあぐりを見下ろした。半袖ハーフパンツの上下の繋がった黒い水着を着ていた。普段は服でよく見えない体型がこの時ばかりはよく見え、百足の体中に縫い痕のような肌のへこみが水着から出る脚に多く見えた。

「どうした、うなぐの娘。そうか、妾のような貴族の娘がこのような格好をするのが不思議か」

「不思議と言うより、意外だなって思った。あと、あぐりでいいよ」

「そうか、あぐり。そうじゃ、髪留めをどれにしようか悩んでおってな、選んでおくれ」

 百足がいくつか大ぶりのヘアクリップを取り出して見せた。その中のリボンの形をした者を選んでやった。百足は猫のように目を瞑って嬉しそうに受け取ると、

「美友よ、結ってくれんか」

「はいよー」

「すまんな、友にこのような下人のやる仕事を押し付けてしまい」

「いいんだよ、今の世界にそういった役割の人いないし、雇ってないし。家族なんだからどうってことないよ」

 美友は手慣れた手つきで百足の多く長い髪を束ねていく。

 あぐりは真尋はどうなったのかロッカーの向こうを覗くと、ラッシュガードを着て、七分丈のパンツを履いて肌をほとんど出さないでいた。

「お母さん、お洒落な水着にしなかったの?」

 あぐりが近づいて尋ねると、

「うん、お母さんこれがいいの」

 そう言い、ラッシュガードの襟を引っ張って首元を隠した。あぐりは特にそれ以上聞くことも無く、自分より数センチ小さい真尋にぴったりくっついてプールに向かった。

 美友が百足の髪を束ね終わったところに、

「のー!」

 ウサギの絵の描かれた子供水着を着た美紗を連れた、ビキニを着た悠香と李冴が現れた。

「用意できた?」

「ばっちり!」

「悠香は義足取れない? てかまず、水に漬けて大丈夫?」

 美友が心配そうに義足のつなぎ目に目をやると、

「大丈夫、水用に変えてきた。お風呂の時は外さなきゃいけないから、その時は肩借りていい?」

「いいよ、転ばないように気を付けてね」

 それぞれ固まってプールに向かう。


 禊は少し周りをうかがいながら更衣室で着替えていた。

「何気にしてるの?」

「あああああああ」

 禊は叫び声をあげて腰を抜かす。要はきょとんとした顔で手を差し出し、

「そんなに驚かなくても」

「嫌好かと思った……」

 要の手を取って立ち上がる。

「嫌好だと都合が悪いの?」

「欲情されそうで」

「あー」

 要は納得したように笑う。

「大丈夫、まだ小町に捕まってるよ」

「そうか。小町はプールに行くのか?」

「水着が着れないから言葉とマーサとニヴェで温泉の方に行くって」

「そうか」

 そう言って禊はシャツを脱ぐ。体には古い切り傷や縫い痕が今も多く残っていて、何より胸元の深い切り傷は特に痛々しく見えた。

「それ、消えないんだね」

 要が傷を指さした。

「あー、これらな。何度も傷を負ってると痕になるらしくてな。隠した方がいいよな?」

「そう、だね。他の客もいるし」

 禊は半袖のラッシュガードを取り出して着た。そしてカバンの中から美紗の浮き輪を取り出し膨らましていると、

「あー禊はやい! 何で先に行っちゃうの」

 嫌好が走り込んできた。

「お前が小町に捕まってたから。それに美紗にコレ渡さないと」

「そんなのどうでもいいじゃん~」

「お前美紗が溺れてもいいのか」

「不死身じゃん」

「そういう問題じゃない」

 嫌好は頬を膨らませる。

「ハイハイ、着替え終わるまで待っててやるから」

 禊は側にあった椅子に腰かけて嫌好をじっと見た。不貞腐れた顔で服を脱いでいた嫌好だったが、急に顔を赤らめ、

「あの、あんまり見られてると……」

 タオルで顔を隠した。

「何だよ、普段人が風呂入るところ見入ってるくせに」

「そうだよ、いいからさっさと脱ぎなよ」

 要がそう言ってズボンを引き下ろしてやると、

「何すんだよこの鳥!」

 真っ赤だった嫌好の顔が急に鬼の形相に変わった。

「僕の前でイチャコラするからだよ」

「あぁ!? んだとゴルァ!」

 二人の声を聞いて着替え途中の下半身剥き出しのアーサーと尊が飛んでくる。

「おい、お前らやめろって」

「何やねん、つまらんことで喧嘩しよって。ほらやめえ」

 禊はただ黙って、目の前でブラブラされる一物たちを冷ややかな目で見ていた。

「……せめてしまえよ」


 プールに向かうと、すでに楽しんでいた忍と工とレオが禊たちに気付いた。

「禊さーん!」

「禊! こっち!」

 プール際に近づくと、

「このプール温水で流れるんですよ」

「そうか。美紗見なかったか?」

「さっき来てましたよ。多分あそこらへん」

 忍が指さす方を見ると、こちらに気付いた美紗が駆け寄った。

「おおお、走ると危ないぞ」

 美紗は少し滑りながらも、禊の脚に抱き着いて到着した。そして浮き輪を受け取ると、そのままプールのはしごに向かった。

「なぁ、宵彦らは?」

 尊が禊に尋ねると、

「温泉の方行ったって。あとハッシュと龍も」

「はー、俺らよりも若いのに爺臭いことするんだな」

「死んだ年齢が俺らの方が若いだろ」

「そういう違いか?」

「いいから入ろうや~!」

 アーサーが二人と肩を組むと、そのままプールの中に飛び込んだ。水面から三人が顔を出す。

「おい、心臓止まったらどうすんだ」

「大丈夫、ワシらはそうやわやない。止まらんよう鍛えたんは禊やろ?」

 アーサーは禊の背中を叩くと、そのまま飛んで行くように泳いでいった。

「さすがサメだな、泳ぐのが速い」

 尊は濡れた髪を後ろに流しながら言った。

 そこへ李冴が息を切らしながら泳いでやって来て、禊の肩を軽く叩いた。

「禊さん、鬼ですよ!」

「鬼?」

「鬼ごっこ! みんなでやってるの。さっき忍と工も入ったよ!」

 美友がそう言いながら通り過ぎて行った。禊と尊は顔を見合わせたが、すぐに禊が肩を叩いて泳いでいった。

「おい、今度は尊が鬼だぞ!」

 禊がそう言うと、女子たちはキャーキャーとはしゃぎながら逃げていく。

「禊、ずるいぞ!」

 尊が禊を追いかけた。

 忍が逃げていると、背中が誰かにぶつかった。

「ごめんなさ――!」

 急いで振り返ろうとした時、ぶつかった相手は足を滑らせて水面下に潜ってしまった。忍が急いで腕を掴んで引き上げると、咳き込みながら悠香が出てきた。

「あ、悠香ちゃん」

「し、忍さん!」

 悠香の顔が一気に赤くなる。

「ごめんね、大丈夫? 義足は……外れてない?」

「だ、大丈夫です……」

 悠香は顔を反らして髪を耳にかけた。その時、髪の隙間から覗く額に、這うように広がった火傷の痕が目に入った。忍は気まずくなり、

「あ……あの、義足ってその、あー、どこの会社の? って言うべきなのか……」

「結城さん、えっと、矛盾の研究をしている結城奏博士のグループが開発したもので。私の手足、切り落としたのはレオくんなんです。矛盾になったばかりの時、私が研究所を逃げ出したから、捕まえるために……。回復しない事もあるんですね」

「それは多分、対矛盾用人工宝器による作用だと思う。本来なら元に戻るはずなのに、何でだろう」

 忍がじっと義手のつなぎ目を見ると、悠香は顔を赤くして右手で押さえた。

「あ、ごめん! また……」

「いえ、気にしてませんから!」

「あの、確かに年齢は大きく差があるけど――」

 悠香は何かを期待して急いで顔を見た。

「僕、一応若い部類に入るから、ため口でいいよ。それにほら、矛盾はみんな家族だから」

 忍が少し照れ臭そうに言うと、

「そう、だね。忍さん――」

「忍でいいよ」

「うん。忍、若そうだもんね。18歳くらい?」

「んーまあそんなあたりかな」

「私と同い年だね!」

 二人は嬉しそうに顔を合わせる。すると背後から嫌好が現れ、

「次、忍が鬼~!」

 忍の頭を叩いて行った。

「いった~! 叩く事無いだろ! この、待てよ!」

 忍は嫌好を追いかけて水の流れに乗って行った。

「ふ~ん、なるほど」

 浮き輪に乗って流される美紗と百足は、生暖かい目で悠香と忍のやり取りを見ていた。

「のう、美紗。あれはくっつくと思うか?」

「むい~?」

「わからんか。さて、あの二人がくっついて、嫉妬するのは誰と思う?」

「む~、こまい?」

うおの君は母親の代理だっただけで、そういう関係では無かろう?」

「おん」

「となると、縁深い言の葉だろうか」

「お~」

 二人は顔を合わせてニヤニヤと笑いあった。

 湯船に浸かっていた小町と言葉が同時にくしゃみをした。



 12時半になり、ロビーに全員が集まる。

「バイキング! バイキング!」

 ソファーに座る小町の周りを、工とレオと美紗がぐるぐると駆け回る。

「やめろ! 私の周りをまわるな!」

「キャー食われるー!」

 三人が方々に散る。

「ったく、いい歳して子供と同じ事しおって」

 着ている館内着の襟を正しながら小町はソファーに尻を投げた。

「アロハしかないの?」

 要は不服そうに館内着を引っ張って見た。

「文句言うなよ、他のエリアに行く時は我慢しろ」

 尊がなだめる。

「みなさん、揃いましたか?」

 七穂が声をかけると、

「一班そろった~」

「二班も!」

「五班は龍がトイレ行ってるけどすぐ戻る」

 と、次々と報告が飛んでくる。

「うんうん、全員揃ったみたいだね。それじゃお食事会場に向かいます」

 一同は七穂に連れられて向かう。到着すると、それぞれ指定されている机に好きなように座った。

「お料理はバイキング形式ですので、お好きなものを取ってください。お酒を頼みたい方はスタッフにお声かけ下さい」

 七穂がにっこり笑うと、子供らから真っ先に席を立って料理を取りに行った。

「美友よ、早くしないとなくなってしまうぞ!」

 百足が急かすように手を引くと、

「大丈夫よ、なくなっても足されるから」

「でもほら、レオがあんなに取って……!」

「あの子、また食べすぎるわよ」

 美友が言葉を見ると、言葉は急いでレオの方に向かった。

 嫌好と忍が皿を持って並べられた料理を見渡す。

「どれ食べる?」

「タコ料理あったらホテル訴えようかな」

「なんてこと言うんだ」

「蛙とか無いの?」

「あるわけ無いでしょ」

「あそこのケーキに蛙のマジパンが乗っかってた」

「だからって訴えたりしないって。ほら酢豚あるよ」

 禊がお皿を持って並んでいると、後ろからやって来た尊が肩口に、

「食えるのか?」

「うん、少しだけ」

「お腹は?」

「減ってる」

「後で俺食うか?」

 禊は急いで振り返って目を見張った。けどすぐに目を伏せ、

「いや、今日くらいやめておこう。お前も痛い思いしたくないだろ……」

「平気だよ、すぐ治るし……」

「そういう問題じゃないだろ」

「だからってお前が我慢しなくても……!」

「どうかしました?」

 ハッシュに声をかけられて二人は我に返る。

「何か、小競り合いでも?」

「いや、喧嘩じゃねぇよ! ちょっとな、仕事の話してたら熱くなって! な?」

 尊が同意を求めるように顔を見ると、禊は作り笑いで返事した。

「そうですか」

 ハッシュは料理を持って席に戻る。

 二人も料理を持って席に戻ると、机の上にこんもりと盛り付けられた皿がいくつも置かれており、その陰でモリモリと食べるアーサーがいた。

「よくもまぁ食う事……」

 禊が圧巻されていると、

「禊、これ美味いで」

 と皿の一つを勧めてきた。

「いや、俺はいいよ」

「じゃ俺貰っていい?」

 尊が手を伸ばすと、アーサーは断ることも無くそのまま渡した。

「あ、本当だ。これ凄い美味い」

「じゃあ一口だけ頂こうかな」

 禊は尊の手に持ったフォークに貫かれた料理をそのまま口に運んだ。

「ん、本当だ。アーサー、いいもの選んできたな」

「せやろ? そうだ、ここな、地酒が置かれててよ。この、これなんだけど――」

 アーサーがメニューを指さす。

「おー、これかぁ。いいね、頼んだら? 一口だけ頂くよ」

「他飲むやつおる?」

「じゃ、ボク飲みます」

「グラス2つな~」

 アーサーがスタッフを呼ぶ。禊はフォークを見つめ動かない尊に気が付き、

「尊、どうした? いらないのか?」

「え!? いや、美味しいよ」

 禊は怪訝そうな顔をしつつ、自分の料理に箸をつけた。

「ん、これいいな。家でも作ってみようかな……」

 禊が舌鼓を打ちながら、肩からずり落ちる館内着の襟元を正すと、嫌好が目を光らせて鼻先で睨みつけてきた。

「嫌好、怖いよ」

 要が嫌好の口に剥きえびを差し出す。

「館内着、もう少し小さいのにしたら?」

 要がそう言うと、

「そうしようと思ったんだけど、それだと丈が足りなくてお腹が出ちゃってよ」

 禊のその言葉に嫌好の形相がますます鋭くなる。

「肩を選ぶかお腹を選ぶか……」

「やめろ、そういう目で見るんじゃない」

 禊は青い顔で尊の腕をつかんだ。




 小町の大きく丸々とした胸が荒い息に合わせて上下する。

「小町、さん……私、もうダメ……ッ」

 うつむいた言葉の唇から雫が一滴垂れる。

「軟弱な……もっと、もっと」

「だって、これ以上やったら、私、どうにかなってしまいそうで……!」

「言葉……」

「小町さァん……!」

 言葉の親指が小町の足の裏を突き刺す。

「いっっっっだあああああああああ!!!!」

 小町の断末魔が廊下まで響いていた。

「そんな感じです。お上手ですね!」

 足つぼマッサージ師が言葉の横で小さく手を叩いた。

「もう無理です、親指が手の中に埋まってしまいますぅ~!」

「では交代しましょうね」

 言葉がどくと同時に小町はソファーの上で死んだ魚のようにぐったりした。が、すぐにマッサージ師の指が足の裏を突き刺し、激痛が足に体当たりした。

「痛い! 痛いって! そこ何が悪いんですか!!!!」

「肝臓ですね~」

「がん゛ぞう゛」

 するとその横で同じくマッサージを受けていた尊がヘラヘラ笑い、

「小町、お前飲みすぎなんだよ。落ちない落ちないと悩んでる皮下脂肪も酒が原因なん――アアァァァァァ」

 尊の絶叫が廊下に響く。

「そこはどこですか?」

 言葉がマッサージ師に聞くと、

「膀胱ですかね~」

「ぼ、う、こ、う」

 禊が肩を震わせて笑った。

「お前何したんだ」

「何もしてね――ぎゃああああ」

「そこはどこなんです?」

「これ尿管ですね~」

「尊やっぱお前何したんだよ」

「だから何もしてねぇって!」

 禊はずっと腹を抱えて震えていた。尊は涙目で要を見て、

「おう要、お前はどこが悪いんだ?」

 だが要は返事もせず、肘置きにつかまってじっとうつむいて動かないでいた。

「要? どこも悪くなかったか?」

 するとマッサージ師は悪戯に笑い、ツボを押す力を強めると、

「い゛っあ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 廊下にまた断末魔が響く。

「なんじゃあ」「けったいな」

 廊下を歩いていた老人が辺りを見回した。

 尊は急いでマッサージ師の顔を見ると、

「横行結腸、下行結腸、S状結腸ですね~」

「全部腸」

 尊が手を叩いて笑う。

「何で強めるんだよ! こうなるから強めるなって言ったのに!!」

「口が悪いぞ王子さん」

 禊が手を握ってやった。

 マッサージ師は楽しくなってきたのか、また力を強めると、

「あっ、あああああ~! や、ん゛んー!」

 要は体をのけ反らせ、ヒーヒー言いながら泣き出した。

「ブッハ! お前何泣いてんの! コイツ泣いてらぁ」

 尊はヒーヒー笑いながら写真を撮った。すると尊の方も力を強められ、また断末魔が吹きだす。

 言葉はクスクスと笑いながらソファーに座り、

「もう、みなさん体調管理がなってませんわよ。私は当然、自分の体のケアは完璧ですから、何も痛いところなど――」

 ゴリッという音と共に言葉の声が詰まる。

「そこ何です?」

 禊が尋ねると、

「痔ですね~」

 言葉の顔が真っ赤になっていく。尊が指をさして笑うと、言葉が投げつけた糸が口を塞いだ。

「わわわ私だって人間だもん! 体のどこかに悪い所なんて一つや二つあって当然――いったあああああああ!!!!」

 廊下に言葉の高い声が響き渡った。

「なんじゃ」「今度は若い娘か」




 月が空高くなった頃。

「いったぁ……」

 涙目で言葉が湯に浸かっていた。

「足つぼマッサージ、どうでした?」

 あぐりが隣に座って来た。

「うん、痛い」

「痛いんだ」

「どこも悪くないと思ったのになぁ……まさか痔……」

「お尻の穴見てあげましょうか?」

 その言葉に言葉はお尻を押さえて急いで立ち上がり、あぐりから距離を取った。

「冗談ですよ」

 あぐりは首をかしげて悪戯に笑った。

「本当、そういうところ真尋ちゃんに似てますわね」

「そうなんだ」

「そうだよ、私とあぐりちゃんはよく似てるよ。まぁ、私より背が高いけどね」

 そう言いながら、真尋がお湯の中に入って来た。

「お母さんは何で小さいの?」

「貧乏でまともなものが食べれなかったから」

「貧乏だったの?」

「そうだよ。低所得家庭で、学費で精いっぱい。生活費なんてほとんどなかったよ」

 そう言いながら、手ぬぐいを折りたたんで頭の上に乗せた。あぐりは真尋の腕に抱き着き、肩に頭を乗せた。ふと、腕に浮かぶ黄色や赤紫色の痣が目に入った。

「ねえお母さん、これどうしたの?」

 あぐりは指先で痣に触れた。真尋はわずかに体をこわばらせたが、あぐりをそっと抱きしめると、静かに話し出した。言葉が空気を読み、湯から上がろうとすると、

「言葉さんも、聞いて」

 真尋の覚悟を持った目を見て、言葉はまた湯の中に肩を入れた。

「あぐりちゃんが生まれる前、私は貧乏な家の子供でした。兄弟はいません。世界一美しいお母さんと、そのペットである悪魔と住んでました。私はお母さんほど見目が良くなく賢くなかったので、夜のお仕事をしていました。それは気持ちよくて、痛くてたまらないものでした。おかげで、体は傷だらけで、大変汚れていました。でも私がなぜその仕事をしていたというと、お母さんが昔のように愛してくれるからです。お母さんは、昔はとても優しいお母さんでした。ですが時が経つにつれ、お金が無くなっていき、お母さんは優しくなくなっていきました。ある日、私は夜に襲われました。体中傷だらけになり、体の中まで汚れてしまいました。それ以来お母さんは私にこの、痛くてたまらない仕事をするように言ったのです。そのおかげで、私にはこの痣がシミのように体に残りました。――これは、汚れのシミなんだよ。美しくもない、汚れの痕。私は汚れてるから、あまり触ると、あぐりちゃんまで……」

 あぐりを自分から離そうとすると、あぐりは真尋の首に抱き着いた。強く強く抱きしめて、真尋が剥がそうとしても一切離れようとしなかった。

「お母さん、お母さんは汚くないよ。美しくなくても綺麗じゃなくても、お母さんは汚くないよ」

 その言葉に、真尋の目から涙が一つ零れる。

「あぐりちゃんは優しいね……いい子、いい子だよ。私の大事な宝物」

 優しく微笑む真尋を見て、言葉も二人をそっと抱きしめた。

 三人だけの浴場にお湯の流れる温かな音だけがしていた。

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