第二十二話 死なん屍の奏で
「やぁやぁ、お待ちしていましたよー! セブンシンズベルセルク……七石の宝石箱を持つ戦士」
奏は細い目を見開いてそう言った。
「随分中二臭い名前だな。誰が名付けた?」
禊は不機嫌そうな顔をしていた。
「僕はこの名前に関しては一切関与してませんからね? 苦情はアメ公研究所にでも言ってください」
「同じ研究所だと言うのに、随分な物言いだな」
「同じ人間だからって全人類と和解できます?」
禊は眉間にしわを寄せた。
「正直僕だって憎いですよ。助かるはずの命を見殺しにされたんですから」
奏は禊を案内する。
「今日は主に矛盾化した際の筋力レベルなどの研究です。身体測定と同じようなものですから、あまり身構えないでくださいね。じゃないと正しい数値が出ませんので」
奏は禊の身体を少し眺めると、
「リラックスしましょうか」
ある部屋に案内した。天井に葉の生い茂る木々のような透かしが入っており、木漏れ日のような明かりが、禊の警戒心を解いていく。
「いいでしょう? ココロの記したアークィヴンシャラでの記録を参考にさせていただきました。宵彦先輩のご自宅の天井がこんな感じなんですって?」
「さぁ、俺はまともに入ったことないからな」
「建てたのは聖女らしいですね。いや、設計が聖女で、建てたのはあなた達ですか」
奏は側のディスペンサーからお茶を淹れた紙コップを渡した。禊が怪訝そうな顔で見るので、奏は一口飲んで見せた。
「大丈夫ですよ、あなた方とほぼ同じ作りの僕が飲めるんです」
禊はまだ疑った顔でいたが、お茶を受け取り口をつけた。
「ん、知らないお茶だな」
「火星茶です。火星で栽培された新種のお茶で、独特な花の香りが特徴なんです」
禊は感心の無さそうな返事をしてお茶を飲む。
しばらくお茶を飲みながら会話をし、
「それじゃ、行きましょうか」
奏に連れられて目的の部屋に向かった。東京ドーム半分ほどのドーム型の実験室は、外に比べて自然豊かで草木が茂り、鳥の鳴き声が響き渡っていた。
「随分温かいな」
「元は矛盾の隔離室ですから」
その言葉に禊は急いで爪を立てた。
「あぁ、落ち着いてって。今のあなたを隔離するのは難しいですから。宝器も近くにありますし、すぐ突破されちゃいます」
禊はそっと爪をしまった。
「で、まずは何をするんだ? やるならさっさとやって帰りたいんだが」
「えぇ、まぁそう慌てないで」
奏は白衣のポケットから懐中時計を出して時間を見る。
「何か待ってるのか?」
「えぇ。そろそろ効果が出てもよい頃合いなんですが……」
「効果?」
「矛盾専用の、本能を表に出しやすくする薬です。簡単に言えば媚薬、もしくは興奮剤」
禊は先ほど飲んだお茶を思い出す。
「大丈夫だと言っただろ……!」
「言いましたね。僕も飲んで死んだり害のない飲み物だと証明しました」
禊の心臓の動悸が激しくなっていく。
「あぁ、効いてきましたね」
「お前……!」
「ずるくありませんよ、僕も飲んでますから」
奏は息を荒げて白衣を脱ぐ。
「さ、始めましょうか。あなたの本能がどんなものなのか見せてください。その中に抑え込まれた矛盾の核を」
禊は破裂しそうな心臓を左手で押さえる。血は滝のように血管を走り、細胞が煮えるほど体温が上がっていく。呼吸は早くなるほど浅くなっていく。目は充血し、翡翠色の瞳が強く光る。腕にひびが入り、大きな白い右腕と黒い左腕が現れる。
「甘美な死を味わわせろ、千早!!!!」
奏はこぶしを握り締めると、禊に向かって走り出した。禊は牙を剥き出して奏に襲い掛かった。
大きな衝撃が研究所に響く。
奏の腕に禊の牙が刺さっていた。腕の骨はミシミシと音を立て、血が噴き出る。
「なんだぁ? そんなもんかよ狼」
禊は癪に障ったのか、顎に力を込めて腕を噛み砕いた。
皮一枚でぶら下がった腕を抱えて地面を転げまわる。そんな事禊には関係なく、すぐに掴みかかって牙を向けてきた。
「おらよ!」
奏は腰に装備した小型銃を禊の口の中に入れトリガーを引いた。辺りに血と脳が飛び散る。だがそれでも禊は牙を向けてくる。奏の足を掴むと股関節をひねり脱臼させ、折れてぶら下がる腕を噛み引き千切る。左肩に親指を突き刺して身動きできないよう押さえ込んだ。
ふと、目の前に禊とよく似た別の顔がこちらを覗き込むのが見えた。
「あぁ、ようやくお出ましか、千早」
千早はしばらく気に入らない様子で見ていたが、急に口角を上げ、
「人間のくせによくその名を知っているな。しかも面白い体だ、これなら純粋な人肉がいつでもいくらでも食える!」
高笑いをする。が、すぐに真顔で見下ろし、
「とでも言うと思ったか、人間。驕るなよ。よくも聖女の御身を壊してくれたな……!」
禊が奏の胸に噛みつき、胸骨を貫通して心臓を貫いた。
「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「どうだ、十数年ぶりの痛みは? 面白そうだから特別に味わわせてやるよ」
千早の細い手が奏の顔を包む。ふと、下半身に走る快楽に奏の身体が弓のように反り返った。
「男にも女の名残ってのがあってな……」
ズボンが下ろされ、下腹部の恥骨の上を指でトントンとノックされる。ただそのノックだけで、全身に電気が走る。
「確かにお前がコイツに飲ませたものはほぼ同じ作りのお前にも効果があるが、ほとんど人間のお前には効果が強すぎるだろうな。だからって普通の人間が飲むと、細胞が片っ端から破裂して死に至る。そりゃそうだ、これは聖霊の体液を沸騰させ、矛盾の麻痺毒と骨髄を混ぜたものだ。この星の子以外のものだからな、矛盾にとっても十分強い毒だ。それも解毒方法が無く、蝕まない、眠りと死に近くなる、死なない毒だ」
「詳しいんだな。そうだ、そしてそれが闇市の一番奥深くで流通し始めている。合成方法を間違えればそういった麻薬まがいの毒になるが、上手く使えば感染者でなくとも同等の力を得られる。適合者は特に、矛盾レベルの力を――」
「……よかったな、運命が狂ったきっかけを見つけられて」
千早は手を離すと、ゆっくり顔を降して奏の唇に吸い付いた。禊の牙が首を噛みちぎる。骨はボリボリと噛み砕き、骨髄をすすり、皮を引き裂き、肉を千切り、内臓を引き出し、つるりとしたのどごしに舌鼓を打つ。だがその肉も骨も時と共に再生されていく。そしてまた砕かれ引き千切られていく。その度に強烈な、生よりも強い快楽が全身を襲う。死を感じれば感じるほどに快楽に内臓が疼き、恐怖を感じれば感じるほどに全細胞が生きたいと叫んだ。
どれだけ時が経ったか。体感では数日のようにも感じるが、転がっていた懐中時計が示すには数時間だった。だるくてだるくて、泥のように溶けて動かない体から右腕を伸ばして、その懐中時計を指先で起こして見た。別段何か特別なものでもなく、普通に時計屋で買ったシンプルな懐中時計。
――いや、そんなお粗末な代物じゃなかったはずだ。これは買ったのではなく、買ってもらったものだ。
「そうだよ……父さんと母さんの遺骨で作ったダイヤが、歯車の中に埋め込まれているんだった――」
その独り言に目が覚めた。泥のように重い体をどうにか上体だけ起こす。体中血まみれで、破れて治りかけた腹から千切れた内臓がはみ出ていた。
「あーあ、内臓戻すの面倒なのに」
奏は立ち上がって全貌を目にする。血の池の真ん中にポツンと立ち、その足元に矛盾化した禊が横たわっていた。
あれだけの事をしたからもちろん体はひどく疲れて重いが、不思議とすっきりした気分だった。
だが、急に腹の中の重みを思い出し、吐き気が込み上げた。腹の奥から白濁した粘り気のある液体が吐き出された。気づけばそれは足の間からも垂れていた。
様子を見に来た研究員が側に駆け寄る。
「来るな、見るんじゃない! ……僕から5メートル以上離れていてください、何が起こるかわかりませんから」
研究員を追い払うと、傍に転がっていたサンプル入れの小瓶を見つけ、その中に吐き出した液体を入れる。そして血で真っ赤に染まった白衣を着て、足首までの右足を引きずりながらその場を離れる。
「後片付けが面倒くさそうだな……。あぁ、今回ほど最悪な事は無い。まるで、犀と交尾したみたいだ……」
また吐き気が込み上げる。奏は青い唇を噛んで部屋を出た。




