第十九話 ファーストステージ
ある土曜の昼。
七穂がインカムを通して七富と確認を取る。ステージ裏で美友たちは振り付けと歌詞の確認を取っていた。
「君~の、夢を~」
「声に出して、意志をー」
悠香が真尋にリズムを取ってもらってステップを踏む。
「ううん、そこは、タッタラ、タタタ、で」
「えっと、こう?」
「そうそう」
そこにスタッフがやって来て、
「アーミューズの皆さん、出番です!」
美友たちは顔を上げてお互いの目を見ると、円陣を組んで、
「一番最初のステージ、始まりの第一歩だよ。大丈夫、今までさんざん練習したんだから、アンタたちならできる! 私は信じてるから」
美友がそう言ってみんなの目を見る。それぞれの目はそれぞれの意志と色を持って、キラキラと輝かせていた。真尋の光を灯さない右目も、少し輝いていた。
「よーし、アーミューズ、出動!」
「オー!」
観客席で禊とその他矛盾らがじっと待っていた。
「自分の事のように緊張しますね」
忍がペンライトを握りしめて言った。
「お前オタクだったんだからこういう事慣れてるだろ?」
「そんなこと言われましても、赤の他人と身内じゃ訳が違いますよ」
忍は額からあふれる汗を袖で拭った。七富と七穂が他の矛盾にもペンライトを渡し、それぞれ席に座る。
ステージにスポットライトが当たる。小さな歓声と共に、アーミューズがステージに上がった。美友の目の前に広がる観客席は、自分がアイドルになって最初のステージよりも小さく、人が少ないが、ペンライトの数は圧倒的に多かった。
忍は少しでも盛り上げようと、ペンライトを振り上げて声を張り上げ、
「ゆ、悠香~!」
その声に気付いた悠香は顔を真っ赤にし、それでも必死に笑顔を保って斜め上の空を見た。
「こんにちは、アークィヴンシャラ国から来ました、アーミューズです! 今日は私たちの初舞台に来てくださりありがとうございます!」
慣れた調子で美友が挨拶を始めた。いくつか喋り、美友が後ろを向くと、それぞれ自分の立ち位置に立ってスタンバイする。
そして、曲が流れ始める。ポップで最近の若者向けで、だがどこか懐かしい雰囲気のある曲調が会場を包み込む。
「――でね、このパフェがすっごい……!」
友人としゃべりながら歩いていたあぐりは思わず足を止めた。友人がどうかしたのかと訪ねると、
「ねぇ、ちょっと寄って行かない?」
二人はイベントが行われている広場に入って行く。屋台が並ぶ先に、小さめのステージがスポットライトを点滅させながら佇んでいた。その上に、見慣れないアイドルたちが歌い踊っていた。
「新人アイドルのデビューステージかぁ。ね、パンフ貰ったよ、気になるアイドルいる?」
友人があぐりにパンフレットを見せる。
「んー。あ、この、サンマサ・タタキ知ってるよ。うちの地元のアイドルでね」
「へー! 私の地域は……出てないみたい。でもこのアイドル気になるかも。海外から出場だって」
友人が指さすアイドルに目を向ける。ふと、並んだ顔に明らかに見覚えのあるものがあった。すぐ横の発表時刻を見て、自分の腕時計を確認する。正に今、その真っただ中だった。
急いで顔を上げてステージを見る。あぐりは引き寄せられるようにステージに向かって足を速めていく。
「あれ、あぐり?」
友人が急いで後を追う。
ステージのすぐ近くまで来て、あぐりはゆっくりと座席に腰を下ろした。
「あぐり、何か気に入った子でもいたの?」
友人が息を切らしながら訪ねると、
「うん、そだね……。とても、大好きな子がいたよ」
あぐりは釘付けになってステージ上を見ていた。
「あれ、海外からの出場者だってよ」
「へー、結構可愛い子いっぱいじゃん」
「アークィヴンシャラ国……? 俺、どこかで聞いた事あるよ」
「何かこの曲、好きかも」
「歌詞が素敵だね、元気出てきたかも!」
「結構ダンスハードじゃない? なのに歌いながら!?」
周りの人らが興味を示し始め、1人、2人と観客席に腰を下ろしていく。
ステージ裏に美友たちが戻って来る。
「お疲れ様!」
七穂がタオルを持って駆け寄る。
「みんな上出来でしたよ! 最初は少なかった客席も、ほら。半分は埋まってますよ」
七穂が観客席を見ると、歓声の中に美友や李冴、悠香を呼ぶ声が聞こえてきた。
「いや、同じ名前の別のアイドルだって!」
美友がそう言ってごまかすが、同じ名前のアイドルは他にいない。悠香の目に涙が浮かび始め、
「よかった~!」
その場に座り込んでしまった。
「失敗したらどうしようとか、歌詞間違えたらどうしようとか、人来なかったらどうしようとか思ってたけど、こんなにも盛り上がって良かった!」
すると美友がしゃがみ込み、
「これはまだ一歩、これからステージも大きくなっていって、観客も数えきれないほどになるんだよ」
「ひえ~、ちょっと怖いな」
李冴が肩をすくめて観客席を見る。
身支度を整えて帰ろうとしていたところに、観客席に座っていた数人の男女のグループが声をかけ、
「とても良かったです、ファンになりました!」
「歌詞がとても良くて元気出たよ!」
「これからも頑張って」
美友の手を取ってそう言った。
「ありがとうございます! 精一杯頑張りますので、これからも応援よろしくお願いしますね」
美友はとびっきりの笑顔でそう言うと、他の者を連れて颯爽とその場を離れた。
「うわわ、応援されちゃった」
悠香は顔を真っ赤にして胸を押さえる。
「なんだかくすぐったいね」
李冴は頬を両手で押さえて言った。
「私も、デビュー当初はそんな感じだったよ。つまずく時もあるし、非難されるときもある。でもファンの全てが敵になるわけじゃない。少なからず私のおかげで元気になってくれている人がいて、私を応援してくれているファンがいる、そう考えると、もっと頑張らなきゃって思うんだ」
美友はお腹に手を当てて目を伏せた。
「また次の大きいステージにむけて、頑張りましょうね」
言葉がそう言うと、一斉に掛け声が飛び交った。
家に帰ると、ごちそうの数々がテーブルいっぱいに並んでいた。
「見てたよ、よくやったじゃねぇか!」
尊が両手を広げて出迎えてくれた。美友はその両手をすり抜け、その向こうで手を叩いて出迎えるアーサーの方に駆け寄る。寂しそうな顔をする尊の腕の中に、代わりに美紗が入り込む。
「お疲れ様、あの曲は美友と工で作ったんだって?」
禊が配膳しながら訪ねると、工は照れくさそうに鼻を擦って目を逸らした。
「とても良い曲だね、元気が出たよ」
「ありがとう。また次の曲も作ろうと思ってて、テーマを何にしようかなって悩んでる所なの」
「何か意見が欲しかったら言ってくれ、俺でよければ何か意見出すよ」
「禊の意見なら確実だぜ。美的センスもなかなか良いしな!」
尊が自分の事のように自慢げに言った。
それぞれ席について食事を始める。
「禊ちゃん、よくこの品数を作りましたのね」
言葉が驚いた様子で声をかけると、
「いや、結構アーサーとか忍に手伝ってもらってよ、料理できる奴らで作ったんだ。だから味はいつもと違うかもしれんが」
「美味しいから大丈夫ですよ」
忍が親指を立てた。アーサーは頭の後ろで手を組み、
「いや~、久々にまともに台所に立ったわ。結構腕が鈍っててなぁ、そのパエリヤ、ちょっと焦がしてもうて」
「でも丁度いいお焦げになってますよ」
李冴が嬉しそうに言うと、アーサーは顔を輝かせた。
食事が終わり、それぞれがリビングで時間を過ごしていた。風呂上がりの美友が部屋で身支度を整え、リビングに向かうと、丁度前からやって来た要と目が合った。気まずい空気が二人の間に流れ、美友は急いで目を逸らした。要はいつも通りにこやかに微笑むと、
「お疲れ。見てたよ、あんなに踊れるなんてすごい――」
一切耳を傾ける様子もなく、美友は冷たい顔で要の横を通り過ぎて行った。そしてソファーで美紗と遊ぶアーサーの隣に腰を下ろして、楽しそうに会話を始めた。要はそれを冷めきった顔で睨むように見つめた。
「ハシビロコウみたいだな」
ふと飛んできた尊の声に、顔から冷たさが消える。
「鳥だからね」
「鳥だからだよ、そういう顔してる」
尊は要の肩に手を置き、
「気をつけろよな」
そう言って横を通り過ぎて行った。
「兄さんに言われたくないなぁ」
要はそう言って微笑むと、自室に向かった。
「なーにしてんのっ」
アーサーと楽しく会話する美友に、李冴が飛びついた。
「べ、別に。おしゃべりしてるだけじゃない」
「へー、その割にこのにやけて緩み切った顔はなぁに?」
指で頬をつつくと、美友は急いで顔を手で覆った。
「ところで美友、たまにお腹に手を当ててるときあるけど、お腹でも痛いの?」
李冴が腹に目をやると、美友はお腹を手で覆った。そして少し曇った表情をし、
「私、ファンに刺されて死んだの」
李冴は目を見張り、
「だからアイドルやめちゃっ――」
「アイドル辞めたのは、矛盾になったからで。過激なファンにしつこく追いかけられてて、ある日スタッフに扮したそのファンに刺されてね。お腹に何度も包丁を。元々アイドル始めたのも、アイドルのマネージャーになりたくて応募したら、事務所がアイドルの方が適しているってんで勝手にアイドルにさせられて、デビューしちゃって、すごい売れちゃって。でもおかげでお金がたくさん入ったから、病気の弟の治療ができるようになったんだ。でもそんな時に私死んじゃって。弟はアイドルをする私に元気づけられてるって言ってて、それでアイドル続けて頑張らなきゃって思って。そしたら矛盾になってた。でももうこんな体じゃアイドルは続けさせてもらえなくて、結局辞める羽目になったの。そしたら弟の病状が悪化して、治療費が足りなくて。そんな時に結城がやってきて、聖なる神の手帖に来て研究に参加してくれたら、弟を助けてあげるって言われて。最善は尽くしてもらえたんだけど、弟は助からなかった。最後に言ってた言葉が、『お姉ちゃんの歌って踊る姿をもう一度みたい』って。刺されてから一度も弟に会えてなかったんだなぁって。だからね、歌ったり踊ったりするとね、お腹の奥が微かに痛み始めて、弟を思い出すんだ。もっと頑張ればよかったのかなぁって」
美友の目から涙がこぼれ始める。李冴もつられて悲しい顔をし、指で美友の涙を拭った。
「あれ、私泣いてる?」
美友が笑顔で尋ねると、李冴は頷いて抱きしめた。
「ごめんね、悲しい事聞いて」
李冴は強く強く抱きしめた。
「ちょっと、苦しいよ。別にこんな事、どうって事……」
美友は困った顔で涙を零す。二人の小さい頭の上に影が伸び、大きくて暖かい手が乗っかる。
「多分、ここにいる矛盾皆、そういう悲しい理由で矛盾になったんや思う。けどその悲しみを乗り越えたおかげで、今を今まで以上に強く、確かに、一歩一歩歩いている奴もおる。せやから自分にとっても他人にとっても、その原因はとても大事なもの。李冴、ちゃんと悲しんであげられるお前はエエ子や。そしてきちんと貶さず話せた美友もエエ子。大したことないなんて思うたらあかんで。我々矛盾にとって大事な原点なんやから」
アーサーの大きな手が二人の頭を撫でる。それは太陽のように温かく、強かった。友の冷たい亡骸を抱きしめ、温め続けた手。




