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第十四話 ただいま、俺らの故郷

 火星を経由し、地球へ向かう矛盾御一行。火星にてまず地球に入るための検査をする。

 火星第一都市、保健所、検査室。

「み、禊……そんな大きいの、どうにかなったらどうすんだよ」

 尊が手で顔を隠しながら言う。そんな尊の端など気にもせず禊は手を掴み体重をかけて押さえ、

「さぁな、どうにでもなっちまいな……っ、行くぞ」

「っは、ア、禊、や、はっ」

 ベットがギシギシと音を立て始める。

「ハイ、食道は問題無いね~。胃も大丈夫そうだね。じゃ次は小腸行きますかー」

 検査官がゴリゴリと音を立てて胃カメラを体の奥に押し込む。

「~~~~~~~~!!!!」

 声にならない尊の声が、涎の零れる口からこぼれた。

「あ、暴れないでね~。禊さん、もう少し強く抑えててもらえます?」

「はい」

 尊の骨からミシミシと音が聞こえ始める。

「ほえうほえうんんぅおおおおおおおおああああああ!!!!」

「惚れる?」

「んあ゛~~~~~~~~!!」

 一通り検査を終え、ようやく解放された矛盾たちはホテルに戻り、

「もうヤダ~地球生きたくないよ~!」

 尊はベッドに倒れ込むなり大声で泣き始めた。

「お前、あんな検査ごときで泣くなよ」

 禊はいつも通り冷たく流す。

「だってさぁ! 麻酔も無しで解剖されて胃カメラにケツの穴の中まで見られた! もうお嫁にいけないよぉ~!」

「嫁って、誰の所に行くんだよ」

「そりゃ! みそっ……」

「味噌?」

「いや、いい」

 尊は言いかけたところでやめてしまった。

 そこに要がやって来て、

「兄さんどうしてる~?」

 尊をいじりに要がやって来た。

「今日はそっとしといてやれよ、長旅で疲れたんだから」

「そんな、あんな一瞬のワープで?」

「土星からここまで自力だっただろ」

「あははーいいなぁ兄さん禊と二人きりとか、絶対許さないからな……」

 要の声は途中から憎悪まみれだった。

「ほら、もう遅いんだ。お前も自分の部屋で寝ろ」

「でも何で僕はアーサーと一緒なの?」

「くじ引きだったんだから文句言うな。アーサーは優しい良い子だぞ?」

「えー彼、いるだけで暑苦しいから苦手だなぁ」

「文句言うなって」

 不満をつらつらを垂れ流していたが、そのうちに要も自室に戻っていった。

 要を追い出した禊は荷物の整理をして、さっさとシャワーを浴びて出てきた。

「尊、お前も入れよ」

「え、お前もう入ったの!?」

「あぁ、そうだけど」

「はっや……」

 尊は少し悔しそうな顔でシャワールームに入った。

「あんな顔しなくてもなぁ」

 寝間着に着替えた禊はタブレットを持って窓際に腰掛けると、

「白銀姫、黒鉄彦、聞こえるか?」

 タブレットに向かって話しかけた。最初はノイズ音が聞こえていたが、そのうちにちゃんと声が聞こえるようになり、

『はいはーい! お疲れ様です旦那様!』

『お疲れ様です、こんな夜遅くにまで気にかけてくれるとは、旦那様はお優しいですね』

「そんな事無いよ、ちゃんと運び込まれているかの確認と、全員いるか確認したくてさ」

 画面の向こうは丁度運び込んでいる最中のようで、ガタガタと物音がしている。

『宝器のみなさーん、返事できる人は返事してくださーい』

 すると少し遠くや、近くで様々な声とそれぞれの返事が聞こえてきた。

『旦那様、ちゃんと全員います』

「うん、ありがとう」

 禊の元に風呂から上がった尊がやって来て、

「おい、俺の宝器、いるか?」

『はい、おりますとも。どうかなされたか』

「いや、何だ、声が聞きたくなっただけだ」

『左様でございますか』

 尊はくすぐったそうに笑う。

「それじゃ、また明日。ちゃんと係の人の言う事聞けよ?」

 禊がそう言いつけると、またさまざまな返事が返って来た。

「それじゃ、おやすみ」

 タブレットの電源を切る。

 尊と禊は窓の外に見える火星の夜景を眺める。

「にしても、人類も来るところまで来たんだなぁ」

 尊が窓ガラスに指を置いて言った。

「火星移住計画なんて、物語での話だったのに、本当になっちまうとはな」

「なぁ、観光とか出来ねぇの?」

「そうだなぁ、1時間くらい取れるか確認してみるよ」

「1時間~!?」

「なんだよ」

「それじゃウンコして終わりじゃねぇかよ!」

「なんだよ、頑張れば色々見れるだろ」

「一目見て終わりじゃねぇか! 一切記憶に焼き付かねぇよ」

「わかったよ……どうにかするよ」

 禊はため息交じりに立ち上がると、部屋の明かりを落としてベッドに入った。尊も寝る準備をしてベッドに入る。枕元のライトを消す間際、禊が腕にはめていたブレスレットを外しているのを見て、

「なぁ、そのいつも着けてるブレスレット、誰かからもらったのか?」

「あぁ、まぁ、そうなんだけど。俺が御神を見失ってからようやく見えるようになった時、御神がもう2度と見失わないようにって、作るよう命じたんだ」

「命じられたんかよ」

「御神は何かに触れることができないからね、代わりにここに何があるとか、ああしろこうしろってアドバイスして、それで俺に作らせて贈ったんだ」

 禊の指先につままれた翡翠のピーズのブレスレットは、枕元の明かりに照らされてオレンジ色の明かりを反射する。

「やっぱり、みんなそんな感じに、昔の思い出の詰まったものを身に着けてたりするよな」

「みんな?」

「小町のネックレス、アレはUPO立ち上げる前に誰かからもらったものらしい。嫌好が大事にしまって持っている随分古い木の簪もそうだよ」

「あいつ、そんなもの持ってたんか」

「何だ、幼馴染なのに知らねぇのか」

「幼馴染だからって何でも知ってるわけじゃないよ」

「そうか……まぁ、そうだよな」

 尊は少し落ち込んだ様子で枕に顔をうずめた。

「ありがとうな」

 禊の急なお礼に尊は顔を上げる。

「ほら、これ」

 禊はシャツを引っ張って胸元を見せた。胸の奥の陰の中でキラリと光る黒い石があった。

「あ、あぁ、それ……。いや別に、感謝されるようなもんじゃ……」

 尊は照れ隠しをするように後頭部をかいた。

「ごめんな、お前の思いを無下にして」

「いや、いいんだよ。ほら、こうして運良く同室なわけだし? 同じ釜の飯食って風呂入った仲じゃねぇかよ!」

 尊があれやこれやと照れ隠しのために必死で言葉を探していると、禊は急に笑い出し、

「やっぱり、お前のそういうところ好きだわ」

 そう言って枕元の明かりを消した。

「じゃ、おやすみ」

 禊は頭まで布団をかぶって眠りに吸い込まれていった。尊はただ一人で暗闇の中で、火照る頬を抱えてじっと禊を見つめていた。


 火星に来て初めての朝がやって来る。

「よし、全員集合したか?」

 ホテル近くの広場に矛盾らが集まる。

「せんせー、要くんがまだですー」

 アーサーが手を上げて答えた。

「おい、尊」

 禊が横に立っている尊に声だけ向けると、

「いやもういいよ、アイツは。特に観光したいって柄じゃねぇし、出発までには起きる」

 二人でため息をついた。

 禊は少し声を大きくし、

「ここまで我々を運んでくれた運営に頼んで、3時間ほど火星での観光を許可してもらった。各々好きに行動してくれて構わない。ただ、時間までに必ずここに来ること。いいな?」

 一同が返事をして、それぞれが行きたい場所に向かう。

「美友、ここ行きたいんだけど、一緒に行く?」

 李冴が美友に話しかけた。

「んー、その前にこの店寄ってもいい?」

「うん」

 二人は手を繋いで出かける。

 禊が尊や小町と話していると、細い指が肩をつついた。

「なぁ、あの……」

 振り向くと、千早が少し困った目で見つめてきた。何かと思い視線を降ろすと、手元からぶら下がる美紗が見えた。

「わかったよ、5㎞圏内な」

 そう答えると、千早はまたいつもの笑顔に戻って美紗と手を繋いで出かけた。

「随分仲良くなったもんだなぁ」

「あの邪神が幼女相手に心を開くとは……いや、手懐けられているだけか?」

 物珍しそうな顔で尊と小町が見る。

「知るか」

 禊はどうでもよさそうに話をさっさと戻した。

 李冴の目当ての観光地を見終わった美友と李冴。

「ねぇ、次はどこ行く?」

「んー、どこでも」

 美友は少し浮かない顔だった。

「どうしたの、寝れなかったの?」

「なんか、地球に戻るんだなぁって」

「うん、そうだけど?」

「気が乗らないっていうか、良い事なさそうだなぁって」

「そんな事無いよ」

 李冴が必死に笑顔を向けるが、美友はどうしても笑ってくれなかった。

「ごめん、私ひとりで行動する」

「大丈夫?」

「うん」

 美友は1人でどこかへ行ってしまった。一人残された李冴が地図を見ながらどこに行こうか迷っていると、

「李冴さーん!」

 遠くから元気な声が飛んできた。そこにはマーサや真尋を連れた悠香がいた。

「お一人ですか?」

「うん。美友は美友でどこか行きたいみたいで」

「これから歴史博物館に行くんですけど、どうです?」

「あ、私も行こうと思ってたの」

「じゃあ行きましょう!」

 李冴は悠香たちと共に移動した。

 美友はとくに行く当てもなく、足の向くままに歩いていると、鳥が多く飛んでいるのに気が付いた。

「ヤダな……しばらく鳥は見たくないのに」

 頬を膨らませて、そのままその場から離れようとした時、

「あちゃー、また外した。水魚は厳しいなぁ」

 聞き覚えのある柔らかい関西弁が聞こえてきた。声のする方に向かうと釣り場があり、その奥にアーサーの姿が見えた。お金を払って中に入る。

「なんや、一人たぁ珍しいな」

 アーサーが背中を向けたまま話しかけた。

「別に、誰かと一緒じゃなきゃ生きていけないわけじゃないわ」

 美友は少し不貞腐れた様子で隣に座った。

「地べたじゃケツが冷えるやろ、これに座り」

 アーサーが上に羽織っていたアロハシャツを畳んで渡してくれた。

「あなたのせっかくの服がダメになっちゃうよ」

「別にええんやで。おなごの為やったらこれくらいどうってこたぁない」

 アーサーが立ち上がるよう肩を叩くので、美友は仕方なく立ち上がり、敷かれたシャツの上に座る。アーサーは満足そうに微笑み、また釣竿を持ってじっと魚を待ち始めた。

「楽しい?」

 美友はアーサーを見上げて尋ねた。

「まぁな、色々考えられるし。それに魚と会話ができる」

「会話? まぁ矛盾だものね」

「いや、矛盾になる前からずっと会話してきたよ」

「どうやってするのよ、あなたの能力はそういうものじゃないでしょ?」

 アーサーは歯を見せて笑うと、

「魚も人と同じでな、むしろ臆病な人みたいでな。大丈夫、ワシは怖がらせたりせぇへんで、お前が見てみたいだけやって、そうやって会話するんや」

「それ、結構残酷じゃない?」

「まぁ釣った後、美味しくいただくもんなぁ。残酷やな!」

 アーサーは清々しく笑う。美友はその言葉に胸に傷が痛み始めた。

「まるであの鳥みたい。自分の欲の為に優しく手招きして、私の気持ちに嘘で答えて、最後は――」

 美友は膝を抱えて顔を伏せる。

「人間、みなそんなもんや。生きるために他人を屁とも思わん。そう言うん人間を、ワシは醜いと思う。気に入らんな。人それぞれなんは確かやけど、同じ人間やさかい、根っこは同じや。人間は人間がおらんと人として生きて行けん。自分の為にも他人を大事にせんと、自分すら大事にできひん」

 アーサーは被っていた麦わら帽子を美友の頭に乗せた。美友は麦わら帽子の陰からアーサーを見上げ、

「聞いたよ、あなたが矛盾になったきっかけ。あんなに酷いことされてどうしてそんなに優しい事が考えられるの?」

 アーサーは釣竿を置いて腕を組み、

「何でやろなぁ。……多分、アイツを殺した奴は憎いけど、だからってその責任が人間にあるってわけやないからやろな。悪かったんは一部だけで、全部やない。連帯責任は嫌やろ?」

 美友は小さく頷く。

「なんだかんだ、傷つける人より守って優しくしてくれる人の方が多くてな、それが嬉しいからワシはお返ししたいと思うてる。だからそういう考えができるんやろな」

 アーサーはバケツを持ち上げると、中の魚を逃がしてしまった。

「私には無理だな」

「なぁに、無理になろうとせんでもええんやで。なりたくなったらなろうとすればいい」

 アーサーは大きな分厚い手を美友の頭の上に置くと、釣竿とバケツを持ってその場を離れた。美友はしばらく遠くを見つめ、尻の下に敷かれたアーサーのシャツを手に取ると肩にかけ、

「強いなぁ……」

 頬をほんのり染めて目を瞑った。

 集合時間になり、広場に矛盾たちが戻り始める。

「火星どうだった?」

「こんなに大きな博物館でね!」

「珍しいものかったよ」

「えーいいなぁ」

 あちこちから楽し気な会話が聞こえてくる。それを眺めていた禊が嫌好に気付き、声をかける。

「どうだった?」

「んー別に、特にこれってのは無かったかな。あ、木々が少なかった」

「火星は主に、工場と農地が多いからな」

「あと」

 そう言い、嫌好が指さすのでその方を見ると、ニヴェを宵彦が楽しそうに寄り添っていた。

「リア充うざい」

 嫌好は中指を立てた。禊は急いでその指を畳み、

「ハイハイ、妬まないの」

 嫌好をなだめるために頭を撫でてやった。

「そんな子供だましじゃ無駄だし」

 嫌好は少しむくれた様子で背中を向けてしまった。


 矛盾らは火星の空港にて、アメリカ行きの便を待っていた。

「あぁあぁあぁ、泣かないで」

 忍はぐずる美紗を相手に手間取っていた。

「どうしたの、喉が渇いたの?」

 色々訪ねても、美紗は泣きっぱなしだった。そこに真尋がやって来て、

「ロケット、怖いでしょ。大丈夫だよ」

 美紗を抱き上げた。するとピタリと泣き止み、真尋の胸に顔をうずめて大人しくなった。

「おぉ、さすがお母さん……」

 忍が声をかけると、真尋は鬼の形相で睨んできた。忍は肩をすぼめて数歩下がる。そこにココロがやってきて、

「んん……おかあさん」

 真尋の足の間に頭を突っ込んでしゃがみ込んだ。

「随分好かれますね。やっぱり子供を産んだ人とそうでない人って違うのかな」

 忍が遠くから見ていると、

「多少の違いがあるだろうな、特に矛盾は鼻が利くから、幼い者ほど母親の匂いを恋しがる」

 そう言って後ろから禊がやって来た。足元のココロを抱き上げ、

「真尋、重くないか?」

「大丈夫です。あとあの、レオが」

 真尋の向く方を見ると、座席に座ってウトウトするレオがいた。

「時差ボケだろうな、子供らにはきついだろう。そのまま美紗の世話を頼めるか?」

 真尋は小さく微笑んで頷いた。

 空港内にロケットのアナウンスがかかる。

「ようし皆、行くぞ」

 禊が声をかけると、それぞれが荷物を持ってゲートに向かう。

 全員が着席したのを確認し、禊も席に座る。

「珍しいですね、火星から出る飛行機に子供や若い人がいるなんて」

 隣に座る中年の男が話しかけてきた。

「火星に若い人はいないんですか?」

「学校が少ないからね、出稼ぎに来る大人ばっかりだよ。君らは火星のどこに住んでいるんだ?」

「いや、住んでいるのは火星ではなく……」

「まぁどこに住んでいようが、僕らは皆兄弟、人類さ。仲良くしようぜ」

 握手を求められ、禊は苦笑いをしながら握手をした。男の手は汗でぬるっとしていた。

 二か月半ほどロケット内で過ごし、ようやく地球が窓いっぱいに見えるようになった。

「ねぇ、すごい青いよ!」

 レオが目を輝かせて地球を見つめる。

「綺麗ですね。聖女は遠くから見ても、近くから見ても美しい……」

 宵彦がうっとりした様子で後ろから地球を眺める。

「聖女様ってどんな方なんですか?」

 ニヴェが訪ねると、

「いや、私は会ったことは無いので……」

 宵彦が困った様子でいると、

「じゃじゃ馬姫って感じだよ」

 後ろから要が話しかけた。

「人を触るのが好きで、よく禊を舐めてた」

「舐め……!?」

 宵彦が目を見張る。

「僕も、もう何度かほっぺたを吸われてる……」

 要は少し落ち込んだ様子で話す。

「あの子さァ、美しいし可愛いっちゃ可愛いけどさァ、やる事がねぇ……」

「え、一体どんな方なんですか」

「だからおてんば娘だって」

 困った宵彦は禊に話を振ると、

「あぁ、ただの人間好きだよ」

「人間好き!?」

「人間が大好き過ぎるだけの奴。まぁ害は無いよ、聖女なんだから」

 禊は笑顔で答えた。

 そこに嫌好がやって来て、宵彦の耳元にこっそり耳打ちする。

「実はな、禊が聖女にはじめってあった頃な、二人で住んでて――」

 全てを聞き、宵彦は青い顔をする。

「何だよ、聖女なんだから何されても許せるだろ?」

 禊は曇りない笑顔を向ける。

「いえ、禊さん、それは怒っていいと思うんです」

「は? 聖女だぞ?」

「そうですけど、まず人として……」

「貴様、聖女への謀反か」

「いえ違います!」

 そうこうしているうちに、ロケットは地球に到着。滑走路に足を入れ、火花を散らせながら徐々に速度を落として行く。

 ロケットの扉が開いて空港に足を降ろす。

「早く! 早く土を踏ませろよ!」

 レオが待ちきれない様子で足踏みをする。そこに日本人の女がやって来て、

「待っててくださいね、もう少しでご案内いたしますから」

「あ? お前誰だ?」

「久しぶり!」

 禊が女の元に駆け寄る。

「お久しぶりです、禊さん」

「久しぶり、七穂。元気にやってたか?」

「はい。楔荘も昔と変わらずです」

 二人は嬉しそうに手を取り合って会話をしていたが、禊が身体を震わせ始め、

「あぁもうならん!」

 七穂に抱き着いた。

「み、禊さん!?」

「あぁ~、懐かしい匂いだ……」

 七穂の肩に鼻を押し付けて息をする。その様子を周りの人らがじろじろと見ていた。

「禊さん、周りの視線が……!」

「んー、知らん。あ、この匂いは成則のか。アイツ生きてるのかぁ……」

 禊は犬のように頭を七穂にこすりつける。

「コラ、習性丸出しだぞ」

 そこに小町がやって来て禊を引き剥がす。

「小町さん、お久しぶりです」

「久しぶり。元気そうで良かったよ。それで、もうお母さんとは呼んでくれないのか?」

「そ、それは昔の話で!」

「ま、そうだな。もう今となっては親子なのか職場の人間なのかわからないもんな」

 小町は嬉しそうに笑うと、七穂を優しく抱きしめた。

 ふと、禊が七穂の背後の青年に気付き、

「なぁ、さっきからそこにいるそれは誰だ? 息子か?」

「違います!」

「違います!」

 七穂と青年が同時に応えた。青年が一歩前に出て、

「四条 七富ナナトと申します」

 一礼した。その横に七穂も出てきて、

「改めまして、御代家より配属されました、矛盾の皆さんのマネージャーを務めさせていただきます、舞島七穂です。彼も私と同じく皆さんのマネージャーを務めさせていただきます」

 七穂と七富が頭を下げると、矛盾らから拍手が流れた。

「でもそんな奴、御代家にいたか? 御代家からの情報は随一届いていたが」

 禊が尋ねると、

「この度、矛盾の地球来訪のためにマネージャーがもう一名必要だと判断し、一般から募ったところ、約100名の方が応募してくださり、審査の結果、彼が選ばれました」

「ま、まだまだ知らないことも多くありますが、精一杯頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします!」

 七富は素早く頭を下げた。そこへ要が興味津々で近づき、

「へぇ~、面白そうな子が来たね。どうやって遊……仲良くなろっか」

「やめろ、お前はすぐそうやって新人いじりをする。ごめんな、こいつ人の扱いが悪いだけなんだ。俺はコイツの兄の尊だ、よろしくな七富」

「はい宜しくお願い致します!」

 尊は嬉しそうに七富の頭を撫でる。

「それではみなさん、お待たせしました。これより皆さんが地球で過ごす家、日本へご案内いたしますね。七富くん」

 七穂が先頭に立って矛盾らを率いていく。その一番後ろから七富がついて行く。




 千歳は落ち着かない様子でずっと同じ場所をぐるぐる歩き回っていた。

「おとうさん、地面に穴空いちゃうよ」

 あぐりが呼ぶも、全く気付いていない。

「なんて言えばいいかな……。や、やぁ! 違うな。お久しぶりです。これじゃ硬い。へぇー、帰って来たんだ。……生意気すぎるだろ!」

 空港のロビーに千歳の声が響き渡る。

「おとうさん!」

 あぐりが声をかけるも、やはり聞こえていない様子だった。

 諦めた千歳があぐりの隣に尻を投げ出す。

「もう、なんて言い出せばいいかわかんないよ」

「そんなに緊張する事?」

「するよ! 相手は一国のお偉いさんでもあるんだし、友人だし……」

「友達なら普通に接すればいいじゃん」

「それができたら今こんなに汗かかないよ!」

 千歳の来ているシャツの首周りは色が変わっていた。

「ほら、これ飲んで。考えすぎなんだよ」

 渡されたコーラをゴクゴクと音を立てて飲む。

 気持ちもそこそこ落ち着いた頃。

「結構かかるね」

 二人は中央の大きな振り子時計を見上げた。ここに来てから一時間は経っている。

「私、何か買ってこようか?」

 あぐりがカバンを持って立ち上がる。

「そうだなぁ、じゃあ、おにぎりと、それから……」

 千歳が周りの店舗を見回しながら話していると、ふと何かが目に留まって黙り込んでしまった。

「おとうさん?」

 あぐりが顔を覗き込み、千歳の目の捉える先を見た。旅行客の団体の中から一人、一際目立つ日本人男性が足早にコチラに近づいてくるのが見えた。千歳はゆっくり立ち上がり、その方に駆け寄る。

 宵彦は千歳をじっと見つめ微笑んだ。千歳は何か言わないとと、ハッと我に返って慌て始め、だがつばを飲み込むと宵彦の目を上目遣いに見て、

「お、お帰り……って言うのも、なんだか変か。やぁ、久しぶり。随分と変わら無さそうで良かったよ。そっちはどうだった? 問題起こしたりしてないだろうな。迷惑かけてないか? それから――」

 色々と千歳は言うも、どれも本当に言いたいことが詰まっているようには感じられなかった。ふと宵彦は千歳の手元に目が行く。指の節はあかぎれだらけで、爪の隙間は絵具で所々染まっていた。あの頃とは違う、小さいが明らかに逞しくなった手だった。

 宵彦はフッと小さく笑うと、千歳に両手を広げ、

「おいで。よく頑張ったね」

 そう言って微笑んだ。色々言っていた千歳が黙る。そしてその大きな目から涙が浮かび始め、宵彦に飛びついた。右手で眼鏡をどかし、顔を肩にうずめる。

「卑怯なんだよ、お前……!」

「私だからね、卑怯だよ」

 千歳の頭を撫でると、嗚咽が聞こえ始めた。

「よく頑張ったよ、千歳。すごいじゃないか。ありがとう」

「大したことしてないって……」

「十分だよ。君は頑張ったんだよ」

 宵彦は力いっぱいに千歳を抱きしめた。

 千歳はそっと宵彦から離れると、シャツの裾を引っ張って涙と鼻水をすすり、宵彦の後ろから真尋を見つけると、手招きをして呼んだ。気づいた真尋が千歳の意図を理解し、急いでやって来る。

 あぐりの前に自分とよく似た女を連れた千歳がやって来る。

「あぐりちゃん、お母さんだよ」

 あぐりは千歳の顔を見て、ゆっくりと真尋の方を見る。

「お、かあ、さん……?」

 あぐりはまだ理解できていない様子だったが、自分よりやや背の低い真尋に目を見て、小さな悲鳴のような音を立てて息をのんだ。

 真尋は嬉しそうに微笑むと、

「こんにちは、あぐりちゃん」

 そっと手を差し出した。ようやく考えが追い付いたあぐりはその手に触れると、

「おかあさんなの? 本当に、おかあさん?」

「そうだよ。だってほら、こんなにもそっくり。この目の形も、小さい鼻も、眉も。あぁ、この目元のホクロはあの人の……」

 真尋の目から涙がこぼれ始める。するとあぐりも顔をくしゃくしゃにさせ、

「おかあさん!」

 真尋に強く抱き着いた。

「おかあさん、会いたかったんだよ。おかあさん!」

「うん、私もだよ。可愛い可愛い宝物。私の大事なあぐりちゃん」

 真尋は少し背の高いあぐりの頭に手を伸ばして、割れ物に触れるようにそっと撫でた。

「うっ……うわぁぁぁぁ!」

 後ろで見ていた工が急に泣き出した。

「何でお前が泣くんだよ」

 忍が笑いながら肩を叩く。

「だって、だってぇぇぇ!」

 工はアーサーの胸に抱き着く。

「でも、良かったですね。やっとお母さんって呼んでもらえて」

 忍が禊に声をかけた。

「我が子の成長が見られなかったのはさぞつらかったろうな……」

 禊たちが抱き合う真尋の元にやって来ると、あぐりは真尋から離れ、だが手を握ったまま、

「初めまして、アークィヴンシャラの皆様。斑あぐりと申します。母がお世話になっております」

 丁寧にお辞儀をした。

「まぁ、教養のある素敵なお嬢さんだこと」

 言葉が前に出てあぐりの手を握り、

「覚えていらっしゃいます? まだ赤子の貴女のおしめを変え、ミルクを与えていた私です」

「えっと……さすがに覚えてないです」

 あぐりが困った様子で答えると、一同が笑い出した。

「何で笑いますの!」

「お前、いくら何でも赤子の時の事なんか覚えちゃいねぇよ」

 尊がそう言って肩に手を置くと、言葉は手を掴んで手首をひねった。

「いてててて!」

 そこで七穂が前に出て手を上げ、

「さぁ皆さん、バスを手配してありますので、そちらに乗って家まで移動します。あと少しですよ」

 七穂を先頭にぞろぞろと移動を始める。

 バスで移動する事1時間。都内の外れの住宅地に着く。その中にやけに大きな家が一軒どっかりと座っていた。

「着きました。ここが皆さんがこれから過ごされる家になります。御代家の方から依頼をし、千歳さんのデザインを元に建築いたしました。使い勝手は楔荘と変わらないかと思いますので、禊さん、過ごしやすいかと思いますよ」

 七穂が禊の方を見ると、禊は少し圧倒させられた様子で建物を見上げていた。

「ありがとうな、何から何まで」

「いえいえ! 後で御代家の方から宗政さんが来られるかと思いますので、細かいお話はそちらでお願いします」

 七穂が玄関を開けると、ぞろぞろと中に入って行く。

 中に入ると真っ先に広いリビングとダイニングが見え、その横にキッチンが見えた。その上の吹き抜けを取り囲むように各部屋があり、全部で3階まである。3階の一片は部屋ではなくガラス窓となり、光がたくさん入る構造となっている。

「すごい! 部屋が広いよ!」

 美友と李冴が大はしゃぎで部屋を見て回る。

「部屋は全てほとんど同じ構造ですので、お好きな位置を選んでください。庭も広いですし、周りは高めの木に囲まれているので、外からの目は気になりません」

「よくこんなの作り上げたよなぁ」

 禊が感心した様子で1階を見て回る。

「御代家からの依頼で作ったのは事実ですが、実は最初の提案は千歳さんでして」

 七穂が声を潜めて言う。

「千歳が?」

「はい。そして、費用の半分は花京院家の薫子様が負担なさってくださいました」

 傍に居た宵彦がそれを聞き、

「姉さんが? 姉さんはまだ生きているのか?」

「はい。あれからお姿もお変わりなく、お元気でいらっしゃいますよ」

「いつ会えますか?」

「わかりませんが、一応確認取っておきます」

「よかった……。そうだ、じゃあ明彦は?」

「明彦様は現在、花京院財閥の家長として務めております」

「そっか……うん、ありがとうございます」

 宵彦は丁寧にお礼を言って自分の部屋を決めに行った。

 禊は興味津々で水回りを見ていた。

「すっげー、今はこんな機能まであんのか……ほぉ、こりゃ便利だ」

 キッチンをもう一度見に戻ると、

「ねぇ、禊。あれやって」

 後ろから嫌好に声をかけられた。

「あれって?」

 引き出しを開けながらどうでもよさそうに答えたが、何の事か理解し、小さくため息をつくと、

「……おかえり、嫌好。今日はどこまで行ってきたんだ?」

「うん。宇宙の外まで行ってきたよ。新しい故郷を見つけて、そこでみんなと過ごした」

「楽しかったか?」

「楽しかった。静かで、落ち着いた毎日だった。それから、懐かしい匂いがしたんだ」

「懐かしい? どんな?」

「甘い、花の匂い。お母さんみたいな匂い」

「そっか、良かったな」

 禊は優しく微笑んで見せた。たまらず嫌好は抱き着き、禊の背中に顔を擦りつけた。

「うわ、何だよ」

 禊はくすぐったそうに笑い、嫌好の頭を撫でた。

「そんなに嬉しいのか?」

「うん、嬉しい」

「そうかそうか。じゃあ今日の夕飯は何にしようかなぁ」

「タピオカがいい」

「それはデザートだろ」

「じゃあ、エビチリと、チャーハンと――」

「そんなに? じゃあ買い物手伝えよ」

「えぇ~。……わかった、行く」

 嫌好は嬉しそうに笑って、また禊を強く抱きしめた。

 暖かい春の日差しが家の中を温めていった。

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