第一話 アークィヴンシャラ国
星の自転軸の最北点、その海の上に浮かぶ白い大地。雪でも砂でもない白い光のような砂に満たされた大地には、一切の穢れの無い鉱石がいくつも佇んでいる。天は高く高く澄み渡る群青の空、散りばめられた星々。
その穢れ無き聖なる土地に置かれた神殿。各土地から丈夫な石を運び、積み上げ、装飾を施した、聖女の為の家。
大理石の床は鏡のように光り、自分の姿をはっきり映すほどだった。神殿の奥の祭壇に供物を捧げる。月桂樹の枝を数本と、採れたばかりの鉱石を手のひらに一杯ほど、葉の器に入れて置く。
「今季はこの程か」
小町が後ろから話しかけた。
「あぁ。前の季節よりは多く採れたかもしれない」
禊はそう言って濡れた目を擦る。
「どうした、また泣いていたのか?」
「いや、悲しんでいたわけじゃないが……。目が覚めると、目が濡れていることが多いんだ。そして、大体枕元に翡翠の石がこぼれてる」
「お前はよく宝石を産出する」
小町は困った顔で微笑み、禊の目からまだ零れる涙を拭ってやった。
矛盾の生態の研究により新たに分かったのは、体液から鉱石が産出されるのと、聖霊の体液を仲間に分け与える事ができるという事。体液から鉱石が産出されるのは、おそらく聖女の加護と、宝器による影響と考えられる。矛盾それぞれの宝器に埋め込まれた宝石と同じものが、朝起きた時に涙から生成されたり、体内に溜まる事がある。産出される量は宝石にもよるが、おおよそ一か月に1グラム。
「おそらく、体内で生成された余分な聖霊の体液が、この星と聖女の加護の影響により宝石に変化して産出されるのだろう」
小町は祭壇を見上げながら言う。
こうやって一季節ごとに祭壇に捧げるのは、宝石としてはまだ不完全で脆いため、聖女と御神の洗礼によって完全なものにし、その後浄化するためである。
「禊、前の分の宝石を洗いに行こう。それが終わったら冬ごもりの準備だな」
「そうか、もうそろそろ本格的なのが来るのか」
四季のある土地も、氷と雪だけの土地もあるが、星として成長するために氷河期が訪れる。氷河期が来ると、常夏の土地でも雪が降り気温が下がる。
「どこで冬ごもりをする予定なんだ?」
「一番体にも負担が無いのは、神木の地下だろう。あそこなら御神の社もあるし、温暖湿潤気候だからどの地域の奴でも過ごしやすいだろう」
小町と禊は神殿を出ていく。
「そうだ、あと地図の作製も終わってない。それから大理石を切り出して、アーサーの所の家の木材に、鉄の聖性もしなければ。そうだ、資料作成が終わってない。図書館の設備も――」
禊がやらなければならないことを手帳に書き連ねていく。
「ま、待て禊! 氷河期が来るまでにそれ全部やるつもりか?」
「そうだけど」
「いくら何でも無茶だ! また体を壊すぞ」
「いいよ、別にこれくらい平気だよ。体を壊すのは慣れてるし、矛盾だから平気だよ」
「そうではない。やつれたお前を見て、他の奴らがどう思う」
禊は立ち止まって小町の顔を見て、
「ごめん、そうだね」
小町はやれやれと首を振る。
「とりあえず、氷河期が終わって地球に行くまでの間に、必要な事だけやっておこう。アーサーの家は今すぐじゃなくても、宵彦の家にでも入れておけ。地図は私がやっておこう。大理石の切り出しも後でいい。鉄の方は龍に相談して半分ほど請け負ってもらおう。図書館は本がダメにならなければ、今は最低限で大丈夫だ」
「じゃあ、資料作成だけやっておくね」
小町は頷いて禊を見た。
聖なる土地の海辺に着く。海の向こうの南の方にある陸に向かって石の橋がかけられていて、上にはトロッコとレールが走っていた。トロッコに乗り込み、禊の宝器、太刀斬鋏を接続部に接続させると、トロッコはゆっくり動き出して陸に向かって走る。
矛盾だけの国、聖=アークィヴンシャラ国。正式名は、アーニセア=キィト=トトポ=ヴィンヌシャラ。聖女語で作られた国名だ。地球とほぼ同じ大きさで、陸海比も同じ、第二の地球ともいわれている。この星一つが国であり、国民は矛盾が23人と、実態を持った聖霊が8体。国土を国民一人一人で分割して、それぞれの生態に合った土地を管理している。生活は原始的で、ほとんど自給自足。地球からの距離はいまだ不明であるため、一時的に地球との交易は閉鎖している。最北の白い土地、聖女の土地は、今は存在しないが聖女の管轄となっており、最南の黒い土地は聖霊であり邪神である千早が管轄している。残りの実態を持つ聖霊の7人は、元は禊の中にいた七罪の聖霊で、今は矛盾らをサポートし、星を守る存在として務めている。
トロッコが陸に止まり、禊は宝器にまたがって飛んで行く。小町は矛盾化して海の中に入り、それぞれの家へ帰っていく。
禊が家に戻ると、
「ニーハ!」
美紗が走って出迎えてきてくれた。
「ただいま。家守できたか?」
「うー!」
美紗は両手を上げて嬉しそうに返事をする。美紗が話す言葉は聖女語と喃語の混ざったもので、唯一聖女語しか話さない矛盾である。聖女語は元々、人の言葉を覚えたばかりの聖女により作られたもので、言葉を離さなくとも意思疎通のできる聖女だが、感情を伝える事が難しかったために編み出されたもの。動物的言語表現に近いともいわれていて、人に近い動物にならある程度伝わる。だが普通の人が使っても通じないようで、矛盾の能力が関係している。
「お昼食べるか?」
「ムィ」
美紗が首を横に振る。
「この星に来てからか、腹が減らなくなったな」
禊が独り言を言いながら冷蔵庫を漁っていると、
「この星は聖女様により作られた星ですし、地球より若いですから、聖霊の体液が豊富なんです!」
禊の宝器・太刀斬鋏の白い方、白銀姫が元気よく話しかけた。
「おかげでまた、旦那様の元気なお姿をこの目におさめる事が出来、この黒鉄彦、この上ない幸せでございます」
そう冷静に話すのは、太刀斬鋏の黒い方、黒鉄彦。
「目って言っても、お前らに身体のパーツなんてあるのか?」
「ありません!」
「ございません」
白銀姫と黒鉄彦が同時に答えた。
この宝器は矛盾が1人1つ必ず所持しているもので、それぞれ機能も形も全く異なる。形は持ち主に深い縁を持つ道具の形をしていて、禊の宝器は裁ち鋏の形をしていた。一つの宝器に一つに聖霊、一人の矛盾に一つの宝器と聖霊。だが禊だけは二つで一つの宝器と双子の聖霊を連れていた。
なぜ矛盾が宝器を持つのか。精霊が知っている限りの話だと、
『金属の身体は矛盾の王として神よりの贈り物。宝石は聖女よりの贈り物。聖霊は矛盾の手を押さえる神よりの贈り物。この宝器を操り、聖霊に認められた者こそ矛盾である』
となっている。宝器は主に金属でできており、武器だったり器だったりと様々な形をしている。埋め込まれた宝石は持ち主の目の色と同じ色をしていて、中に持ち主の意思の表れとも言える、意志の美を司る聖霊が宿っている。
宝器は並大抵の武器で攻撃されたりしても、そう簡単に壊れたりはしないが、宝器同士の衝撃に弱いものが多い。中には粉々に崩れるように壊れてしまうものもあるが、聖女の加護のおかげですぐに元通りに修復する力を持っている。だがあまりに破壊される回数が多いと、修復する力を使い切ってしまうため、塵となって一時的に消えてしまう。聖霊曰く、職人と言う存在がそういう場合に修復してくれるそうだ。この職人と言う存在は聖霊でもほとんど知らない存在で、ただそういう存在がいる、という事しかわからない。宝器はこの職人の手によって生まれたので、職人は人でない可能性もある。
夜になり、禊の家に明かりが灯り始める。使用する明かりは主に炎などになるが、自家発電機を使用して電灯を使う事もある。発電機のエネルギーは、龍が採掘してきた石油を主に使うが、自然に湧き出る聖霊の体液などでも稼働する。
この聖霊の体液と言うのはどこからでも湧き出てくる目に見えないもので、人間は「魔力」と呼ぶこともあるが、似ているだけで同じようなものではない。これは主に自然から勝手に生まれて勝手に消費される空気のようなものだが、生物の身体からも少し生まれている。仮に矛盾を聖霊の体液から遮断して閉じ込めたとしても、自信の身体から染み出る聖霊の体液により不足になることは無い。この聖霊の体液を消費して、矛盾や聖霊は能力を発動させる。ほとんど魔力とそう変わらないが、まぁとにかく違うのだ。
ふと、白銀姫の元に連絡が入る。
「旦那様、小町様より通話がございます」
ベッドに入ろうとしていた禊は少し考えてから、
「通して」
白銀姫から小町の声が流れ出す。
『私だ』
「こんな夜になんだ?」
『聖霊の体液を分け与える事ができるという話についてんだが、ハッシュが面白い発見をしてな』
小町の声が少し嬉しそうだった。
「なんだよ」
『相手の心臓の近くに触れる事で聖霊の体液を分け与えるのが効率的だったが、より効率的な方法を見つけてな。粘膜同士の方が漏れも無く効率的に分け与えられるという事が分かったんだ!』
小町はイキイキと話していく。一通り話を聞き、禊は額に手を置いて、
「あー、そうか……そうだな」
『む、どうした?』
「いや、俺の心が汚れていただけだ、気にするな。この事、嫌好と要には言わない方がいいかもしれない……」
『どうしてだ?』
「俺の身が危ないからだ……」
『そうか、よくわからないが黙っておこう。夜分にすまなかったな、おやすみ』
「あぁ、おやすみ」
通話が切れる。
「旦那様……」
白銀姫が心配そうに顔を覗き込んだ。
「危ないときは守ってね」
「お任せください! 旦那様の(自主規制)は私がお守りしますから!」
「露骨に言うね」
「旦那様のヴァージンは死守いたしますから」
「その言い方もちょっと無理があると思う」
禊は太刀斬鋏を撫でると、ベッドに入って目を瞑った。けど瞼は閉じようとしてくれなくて、目は外に出たがっているように窓の方ばかり見る。
仕方なく、太刀斬鋏を持って外に出た。
月に似た月とは違う月と呼ばれる月は、満ちに満ちて冷たい柔らかい光を落とす。夜道が照らされたからか、禊の目が良いからか、明かりが無くとも道は良く見えた。森に入り進んでいくと、足元に水が浸り始める。水はとても軽く心地よい冷たさで、濡れた脚はすぐに乾いた。どんどん奥に進むと水は深くなっていき、森の奥に和泉に繋がる。泉の真ん中に小さな島があり、その島の上に白い像が一つ置かれていた。
像は衣を纏った少女の姿をしていて、目を伏せて天に右手を上げていた。そして左腕は何かを抱きかかえるように下に垂らし、口元には柔らかな笑みを含んでいた。長い髪は水中にいるように柔らかく広がっており、足元を雲が支えていた。
禊は像の少女の前に来て、少女を見上げる。
「Nia……」
少女の左腕の中に入り、体にそっと腕を回した。冷たく硬い像からは、脈打つ心臓の音も流れる血潮の音もしない。静かにただ夜の音と時の音がするだけだった。
少女の胸には窪みがあり、その中に小さなかけらがほのかな光を放っていた。
月は静かに二人を包み込む。