再犯率は低い、今、流行りの……例の、アレ
ここに、周囲から完全に隔離された部屋がある。
現在は夜なのか、締め切られた窓からは一切の光が入ってこない。
ただ、照度の抑えられた電球の光だけが、部屋の中をほんのりと映しだす。
中には、一人の若い男性の姿。
男性は無気力な様子で、敷き布団で横になっている。
「……今日で3日目か」
ぼそっと呟く。
その声に反応するかのように、部屋の扉が外から開かれた。
部屋に入ってきたのは、1人の女性だった。
こちらも年は若く、男性と同じくらいだろうか。
顔の下半分をマスクが隠しているため、正確に推測することは叶わない。
「留置番号42番。昼飯だ」
女性はそう言い、持っていたトレイを敷き布団の脇に置いた。
トレイの上に乗っていたのは、ゆらゆらと湯気を上げるうどんだった。
ただ、その上に乗っているのはネギぐらいで、他に具という具は見受けられない。
男性のような若者には少々物足りないのではとも思える。
「ありがとう。いただくよ」
だが、男性は不満の声を一切挙げない。
今の自分にはこの食事がお似合いだとでもいうようだ。
「では、私はもう行くぞ。いつまでも貴様と話していると、私も貴様と同じ罪に染まるかもしれないのでな」
「あっ……」
女性が踵を返そうとすると、男性はどこか寂しげな表情をみせた。
この隔離された部屋には、他に話し相手がいない。
男性も人恋しくなっているのであろう。
女性はそんな男性を一瞥すると、はぁと1つ溜息をつき。
「今の貴様は周囲への影響力が強い事を忘れるなよ?」
「……それは……わかってるけどさ?」
男性はまるで子どものように駄々をこねる。
見かねた女性は頭をかきつつ、何とか男性を説得しようと言葉を選ぶ。
「なに、後4日の辛抱だ。それまで大人しくしていればシャバの空気を吸わせてやる。だから、今はジッとしておけ」
「……わかった」
男性はしぶしぶと言った様子で頷き、寝返りを打ち女性に背を向けた。
「はぁ。食べ終わったらそこらに適当に置いておけ。また後で取りに来るからな」
溜息交じりにそれだけ言うと、女性は部屋を後にした。
***
あれから4日経った。
全開にされた部屋の窓から、気持ちの良い風が入ってきている。
4日前は無気力な様子だった男性。
今は綺麗に畳んだ敷布団の上で胡坐をかいでいる。
その顔色は優れており、付き物が落ちたかのようだ。
男性がニコニコと見つめる先には、片手に何やら棒状の機械のようなものを持ち、それを真剣な面持ちで確認している女性の姿。
女性はややあって顔を上げると、口元に小さく笑みを浮かべて口を開いた。
「検査機も正常な数値を出している。……よし、もう出てきてもいいぞ」
「ふぅ。やっと出られるのか~」
男性はゆっくりとした動作で立ち上がる。
そのままスキップでもしそうな軽快な足取りで、女性の立つ部屋の入り口手前まで歩を進めた。
「こんな所、もう二度と戻って来るんじゃないぞ? 私の仕事が増えるだけだ」
「勿論。もう、あんな辛い思いはしたくないからね」
「まあ、貴様の罪の再犯率が低いのは幸いだな」
「ははっ。確かにそうだね」
軽く笑い声を上げ、そのまま女性の脇を通り抜け、部屋から一歩外に出た男性。
そこで立ち止まり後ろを振り向くと、女性の背に呼び掛けた。
「……ねぇ」
「なんだ?」
声を掛けられた女性は、短く返事をしつつスッと男性の方を振り向く。
「接角だしさ、これから一緒にどこかに出かけない? ほら、最近話題のあの映画とか、どうかな?」
「……いや、しかしまだ留置番号42番の体調が完全では――」
「ちょい待ち。僕はもう42番じゃないよ。ちゃんと更生して無事出所したんだからさ」
「あ、ああ。そうだったな。でも、まだ完全に更生したとは限らないし、今日はまだ様子を見た方が……」
女性は答えながら、どうしたものかと難しい表情を浮かべる。
それに対し、男性はからかいの色を含んだ声で。
「ははっ。看守殿は本当に心配性だな~」
「ムッ! ……私ももう看守ではないぞ」
「あ~、ごめんごめん。……で、どうかな?」
「…………わかった。今日はお前にとことん付き合ってやる。覚悟しておけ!」
男性にジッと見つめられた女性は、数秒間目を閉じて考える素振りを見せた後、最後は観念したというように両手を上げた。
そしてわざとらしく口の片端を吊り上げると、どこか楽しそうな、弾んだ声を響かせた。
***
温かな日の光が反射し、キラキラと輝く河川。
そのほとりを、男性と女性が肩を並べ、のんびりと歩いている。
「ところでさ」
「ん?」
男性は不意にクスッと笑いつつ、隣の女性に声を掛けた。
「留置所ごっこって、君にも子どもっぽい所があったんだね?」
「うっ――べ、別に良いだろっ!? 7日間も外に出られないお前が退屈しないようにと、私なりの気遣いのつもりだったのだ!」
「でも、だからって留置所ごっこってね〜。まあ外とも完全に隔離されて、本当に牢屋に入れられた気分だったけど」
「……い、嫌だったか?」
女性が上目遣いで発したのは、不安の色が混じった小さな声。
その女性に似つかわしくない気弱な表情を見た男性は、顔を背けつつボソッと、ワザと小さな声で……。
『ありがとう』
「ムッ。な、何だ? 何と言ったのだ!?」
その声が聞こえなかった女性は、必死に男性の顔を覗き込もうと首を伸ばす。
しかし男性は女性の手を取ると、そのまま引っ張るようにして早足で歩きだした。
「ほら、早く行かないと遅れるよっ」
「ム~。お前が私の先を行くとは生意気だぞ!」
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