新薬(後編)
原則一話完結のつもりだったんですが……二話かかってしまいました!申し訳ない!
「んでさぁ、エミリー係長殿の怒りようと来たら、あのあたりはわりかし田舎だったから良かったようなものの外で聞かれたらまずいワードをポンポンと騒ぎ立ててこっちは気が気じゃないって感じだったよ」
「あらあら、随分と大変な現場だったのね」
ところ変わって、結局教団内の施設を追い出されてしまったハワード警部がやってきたのは施設から徒歩五分と離れていないD病院である。
この病院にはハワードの妻リンが入院している。このリンは良い方の意味でエミリーとは正反対な人物であった。温厚でおしとやかで寛容、唯一欠点といえば体が弱いくらいのことである。しかし、今はただ体が弱い通院生活を余儀なくされているだけではない。
なんとも不運なことに、彼女は現在一般的にに不治の病と認識されているデンウイルスに感染してしまっており、余命はあとニ年ほどだと宣告されてから半年になる。ハワードも刑事としての仕事の暇をすべてこの病院に通うことで彼女の残された時間を大事にしようと努力しているものの、病状を止めることはできない。
(随分と細くなったな……)
以前は物を食べるのが好きだったリンも入院する前と比べ手足が細くなった気がする。彼女が気にしないように
「ちょっと痩せたか?」
などという言い方で不安にさせないようにはしているものの心配である。
「今日もいっぱい話してくれてありがとうハワード。でも仕事もあるだろうからあまり無理はしないでね」
そのように笑うリンの笑顔を見ながらハワードも笑顔を見せるが内心イラついていた。
(なんでお前はそうやって思ってもいないことを……)
彼女が自分のお見舞いを日々楽しみに待っていることは看護師などから聞いている。その様子を見てくれぐれも彼女の残された時間を大事にしてくれと言われているのだ。
(いつもそうやって相手のために自分を犠牲にして……一番無理をしてるのはお前だろうが!)
あと二年も生きれないんだからもっとわがままになりやがれと怒ってやりたいところだったが、なんとか笑顔を作り、くさいセリフでごまかすことにする。
「俺にとってはリンに会えない時間の方が無理してる時間さ!」
「もうー……ハイハイ」
必死に呆れるフリをしつつもリンの口元からは笑みがこぼれている。
それから一年ほどたったころ、日毎に痩せていくリンの見舞いを終え、暗くなった道をハワードが自宅へと戻っていたときであった。ハワードは突如あたりに人の気配と殺気立った雰囲気を感じる。
(ありゃ……?いつの間にか囲まれてたか)
その人の気配の一団に自分はいつの間にか囲まれているようで、どうやら逃れることはできないようだった。どうせ逃れられないのなら抵抗しないほうがいい。ひとまず夜道の真ん中で立ち止まり手を両手に上げて抵抗する意思がないことを示してみる。
「さすがは警部……。気づいていましたか」
「まぁ俺も尾行とかすることがあるから多少はね。それよりその声は確か前に一回会った……」
「立ち話もなんです、場所を変えませんか……」
(抵抗する方が危険か……)
リンの病院の近くで騒動を起こしたくはないという結論に至り、その一団に従うことにしてハワードは案内されるがままに近くに停めてあった車に乗り込んだ。声の主が前方の助手席、そしてハワードの両隣に屈強な男二人が座る。というかこの屈強な男二人もハワードにとっては見覚えがあった。
「おぉ……あの時俺を施設の出口まで案内してくれた二人か。元気にしてたかい?」
もちろんこの質問に男が答えてくれるわけはなく、話が途切れてしまう。
「あのー悪いんだけど話がないなら俺飯をまだ食べていなくて……」
「力尽くで取り返せという人もいたのですがね?私としてはあなたは話し合いでわかってくれる相手だと見込んでこのような方法を取らせていただきました。なのであなたにはすべてをお話したいと思います」
どうやら会話のキャッチボールが成り立っていないようだ。が、すべてをお話するとは一体どういう意味なのかというのは少々気になった。
「すべて……?」
「一年前のあの『夜明けの子教団』事件についてのすべて。あの施設で一体何が行われていたのか、なぜ警察ではなく我々福利厚生省が捜査を行うことになったか……」
「これ聞いちゃったら消されるパターンですか?」
「まずあの施設で行われていた人体実験についてお教えしましょう」
あぁー、なるほど、こちらの言うことは完全無視ですか。完全に会話のドッジボール状態を決め込んでいるその前方に座っているであろうロードという男と会話しようとすることは困難であることを認め、ハワードは相手に完全に合わせることにする。
「あの研究所では麻薬開発が行われていると聞いていたんですがね」
「それは違います、それはあなただって気がついていたはずだ。……そう、一年間内偵していたあなたならば」
「……」
会話はできないもののこちらの手の内は完全にお見通しなようだ。これはあまり喋らないほうがいいとハワードは察する。
「あの研究所で行われていた人体実験、それはすなわち伝染病の人体実験にほかならない。現在D市のみならず国中、そして世界中を悩ます伝染病の数々……。ゲング熱、ファラリア、コリラ、それらのウイルスを誘拐監禁している"患者"に感染させた後の症状の経過観察、さらにそれらに有効な治療薬の開発実験。そのような非人道的な人体実験の数々。これが『夜明けの子教団』内で行われていた人体実験の数々だ」
「福利厚生省はそこまでわかってたのか……?」
「あぁ、実は夜明けの子教団の教祖でありグリフィン財団所長のフリッチは私の医大時代の友人でね。優秀な男だったが大学時代から偏った思想の持ち主だった。薬の投薬研究の停滞が新薬開発の進歩を妨げているというのが彼の口癖だったよ。認可を受けてはいないものの非常に優れた効果が動物実験の時点で認められる新薬というものはこの世界にはごまんとある。だが、効果的な新薬として日の目を見る新薬はそのうちのごく一部でその裏には薬剤師や研究者による気の遠くなるような認可までの努力が必要だ。医薬品局、審査委員会の許可を得、それに興味を示した製薬会社を探し、投薬ボランティアの協力者を募って副作用がないかを確かめて初めて製薬会社からお金が出る。薬局にその薬が並ぶまでには多くの時間が掛かり、その間にも多くの患者が苦しんでいる、そんな今の新薬開発の現実を彼は誰よりも憂いていたのだ」
「だから一般市民を人体実験に使いデータを取ったと……?控え目に言っていかれてるよ」
「その点に関しては全く同意だ」
ロードはそのように一蹴する。
「しかし……だ。彼の収集した経過観察、データとしての観点で言えばはっきり言って非常に優秀だ。あのデータさえあれば前述のゲング熱、ファラリアやデボラ出血種、これらに苦しむ多くの患者の命を救う待望の特効薬すらも作ることが出来るというのもまた事実だ」
「……まさかとは思うがあんたら」
さすがのハワードもようやく話が見えてきた。
「あんたたち自分の野郎としてることがわかっているのか!?あんたらの野郎としているのはあのフリッチとかいう犬以下のクズやろうに加担する行為だぞ!?」
「だが多くの命を救う行為だ……わかるだろう。起きてしまった事件については仕方がない、フリッチがどういう男かわかっていながら野放しにしてしまったことに関して私もまた責任を感じている。だがしかし、だ。このデータは先ほど言ったように多くの命を救う。フリッチの研究を完成させることで今この瞬間も苦しむ幾千、いや幾万ともいう患者の命を救える。ハワード警部、あなたの決断一つでだ」
「……言いたいことはわかった、でも俺は警察だ。いかなる形であれ犯罪の片棒を担ぐことはできない。感情論で正義を曲げるようなことは警察として一番あるまじき行為だ。あのノートは渡せない」
「そうか……」
意外なことにロードはあっさりと納得したようで車を発進させてハワードを自宅まで送ると、後部座席のドアを開ける。屈強な男たちもそれと一緒に車を降りる。
「降りていいぞ、警部の正義感には感服したよ、これ以上の説得は無理そうだ」
「……ずいぶん物分りがいいのだな」
意外とロードがあっさりと引き下がったため少々拍子抜けした様子で、前方の窓を開けているロードに話しかけた。
「最後に伝えておかないといけないことがある。実は君の持つノートにはもう一つの伝染病の特効薬のデータが載っている。君がノートを処分する前に伝えておかないと後悔するかと思ってね」
「もうひとつの伝染病……?」
「ほかでもない、デンウイルスに対する特効薬さ」
「……なっ!?」
途端にハワードの頭に病室ですっかりやせ細りながらも自分に微笑みかけるリンの顔が思い浮かぶ。
「君には必要な情報だと思ったからね、君の気が変わることを福利厚生省で祈らせてもらうとするよ」
そう言ってロードは窓を閉める。車内では「いいんですか?」「いいから車を出せ」という会話がなされていたがそれをハワードが知る由もなく車は進行するが、ハワードはそれに対応することすらできず立ち尽くしていた。
(あのノートがあれば、リンを救える……)
リンの余命が二年と伝えられてもう一年半が過ぎていた。いつそのときが来てもおかしくはない。警察としてノートを渡すことが間違っているなどと高説をたれたのは自分だった。
「クソッ、俺ってやつは本当に……!!」
そう悪態をつきながらも心が決まるのは早く、ハワードは自分の部屋に保管してあるノートへと向かうのであった……。
それから数年後。
とある病院の一室で切れ長の目の男性が新聞を読んでいた。目の前には病院食とジュース。そして横には点滴用のスタンドが雑多に並んでいる。
「ごめんなさいハワード!」
っと、病室のドアが開いて快活ながら柔らかい声が響いた。
「遅かったじゃないか」
「ごめんなさいね、寂しかったでしょう?」
「寂しいとは言ってないだろう」
あれから数年、リンは数年前にとある製薬会社により発表されたデンウイルスに対する特効薬による治療で飛躍的に体調が回復。今では以前の体の弱さが嘘のように活発な性格になっている。
それに対し、ハワードはそれから間もなくして体調を崩して現在は刑事を降りている。リンに不安をかけたくないために秘密にしているがまもなく退職しようと考えている。
(あの時俺は確かに犯罪に手を貸した……。俺に刑事を名乗る資格はない)
「そこは寂しかったって言いなさいよ」
「はいはい、寂しかった」
「可愛げないわね……」
っと、ここでもうひとり背の低い影が病室に入ってくる。鑑識係長エミリーであった。っていうか警察での青い服装でしか会ったことがないから意外とおしゃれな格好で一瞬誰かわからなかった。
「……お邪魔だったかしら」
じゃれついている様子が聞こえていたのかエミリーの声には怒気がこもっていた。
「バカは風邪をひかないとは言うけど、病気にならないってわけじゃないのね~」
「肝機能の低下だとよ」
「……お酒の飲みすぎね」
確かに、あの一件以来酒の量は増えた。
「……確かに、お前の言うとおりだ」
「やけに素直で気持ちが悪いわね」
「大丈夫だよ、先生は投薬治療で良くなるはずだって言ってたから!」
投薬治療……現在一番聞きたくなかったワードでハワードは妙に顔をしかめる。
「それはそうと、ハワード今日はあなたに言いたいことがあってきたのよ」
っとここでエミリーがベッドの横に椅子を持ってきて腰を下ろす。
「あなた、警察を辞めるんじゃないわよ」
突然のこの言葉に心を見透かされたかとハワードはまたしても顔をしかめる。その妙な雰囲気を感じ取ったのか、今度はリンが
「あらら?これ今度は私がお邪魔?」
と茶化す。が、エミリーがそれにすかさず「そんなわけ無いでしょ」と返す。
「鑑識の観察眼をナメないでもらいたいわね。現場に最初に入って全てを見通さないといけないのが鑑識の役目なんだから。あなたは確かに図々しいし話を聞かないし不潔だし、そのくせに現場に入ってきて私が何を言っても全然聞かずに現場を土足で荒らしまわって……、そうそう一度なんて犯人のものかわからないゲソコンを台無しにしたこともあったわね。全く本当にあの時はね……」
なぜか10割説教を数十分聞かされる、がここでエミリーは本題を思い出したようで、
「でもね、あなたの犯人を見つけ出すことに対する情熱、それだけは間違いなく本物よ。あなたが何に悩んでるのか知らないけどあなたほど正義感の強い刑事はほかにいないんだから、まぁ現場をあらすのはもう金輪際やめてほしいけれどもね」
そこまで言ってエミリーは唐突に椅子を立ち、足早に病室を去っていく。
「……なんだったんだ」
「彼女なりに励ましたかったんじゃないかな、きっと」
それから数ヶ月、ハワードは無事刑事に復帰した。
後に数年に及ぶ執念の捜査の末、『夜明けの子教団』を支援していたマフィアのしっぽをつかみ、警視総監賞を受けるほどの功績を成し遂げることになるのはまた別の話である。
歴史というよりオカルトに近い話なのかもしれないのがこの話の『夜明けの子教団』のモデルの旧日本軍の「731部隊(通称石井部隊)」です。未だに人体実験を行なっていた説行なっていなかった説、議論を呼んでいるみたいですね。どんな実験を行っていたかすら不透明な部隊ですから様々な曰くがついておりまして、その一つが「実はこの731部隊は大戦後にその人体実験の投薬データをアメリカに渡していた」というものです。
この手の人体実験のデータというのは非常に貴重です。というのも新薬の人体実験データには国にもよりますが、信頼できる動物実験のデータ、審査局などによる審査、投薬ボランティアの募集などいくつかの非常に難しい条件をクリアする必要が有り、それらをクリアして初めて人体による実験→製薬会社との契約というステージに進むことが出来るからです。(と海堂尊さんの『ケルベロスの肖像』で言ってました)
それを非人道的な方法でとは言え、そのようなデータを持っていた731部隊のデータをアメリカに渡す代わりにその件に関してアメリカは目を瞑る(実際アメリカ公文書によれば731部隊にそのような非人道な実験を行っていた記録はなかったとのことです)。もちろんあくまで逸話、というより都市伝説のたぐいなため眉に唾を塗って聞くべき話ではありますが。
もちろん非人道的な人体実験など許されるべきではありません。
ですがしかしそのデータをあってはならない許されないデータを見るのか、多くの人命を救う貴重なデータと見るのか……。
人道主義と合理主義が相容れない場合って多々あると気付かされます。