こんな夢を観た「姿なき虫を追う」
このところ、夜が明けるが早いか、近所の草むらで虫が鳴きだす。
夏だから虫くらい出るけれど、あんまり変な声で鳴くものだから、気になって仕方がない。
「ナムナムナムナム、ナム~……チーン」まるで、お坊さんが経を読むように鳴くのである。
「お盆だからかなぁ。それにしたって、おかしな鳴き方だ」
気にしないつもりでいても、いつの間にか耳を向けてしまう。幸いにも、潜んでいるのは1匹だけらしい。これで大合唱でもされた日には、さすがに参ってしまう。
「うちの近くで、変な虫が鳴いてるよ」携帯で、志茂田ともるにそう伝える。
「ほお、どんなふうに鳴くんです?」
「それがね、どこかの住職が読経でもしてるみたいでさ。うるさいってほどじゃないんだけど、何か、気になっちゃって」
「それは興味深い。今から、そちらに行ってもいいでしょうか、むぅにぃ君」そう言えば、志茂田は昆虫が好きだったっけ。
「うん、来れば。実際に聞いてみるといいよ。面白いから」
30分と経たないうちに、部屋のチャイムが鳴った。
「はーい」
玄関の戸を開けると、捕虫網と虫かごを持った志茂田が立っている。
「いやあ、暑いですね」
「何、その格好。あの虫を捕まえるつもり?」わたしは言った。
「ええ、そのつもりです。まあ、しばらく観察したら、また放してやるつもりですが」
「捕まえられるといいね。じゃあ、案内するよ」わたしは先に立って歩きだす。と言っても、ほんの目と鼻の先だったが。
「ほら、この空き地。ね、鳴いてるでしょ? ナムナムナム~って」
志茂田は耳に手をかざし、じっと聞きいった。そんなことをしなくたって、うるさいほど鳴いている最中なのに。
「これは確かに珍妙ですね。いったい、何という虫なのでしょう。ナムナム……の最後にチーン、と鳴く。すると、カネタタキに近い種かもしれません」
「あの辺りから聞こえるよ」わたしは指差した。生い茂った草が、濃い影を作っている。
「どおれ、昔取った杵柄です。さくっと、捕らえてみせましょう」志茂田は網を振るった。「さあ、どうでしょうか。手応えはありましたよ」
けれど、網の中からこちらを見つめているのは、爪ほどのオンブバッタが1匹だけだった。
「それが鳴いてたの?」わたしは聞く。
「いいえ、むぅにぃ君。オンブバッタは鳴きません。どうやら、わたしはしくじったようですね」心なしか、悔しそうだ。
その後も、小一時間ほど挑戦するが、声の主を突き止めることはできなかった。
「うーん、どういうことでしょうか。よっぽど素早いのか、それとも網をすり抜けるほど小さいのか……」さすがの志茂田も考えてしまう。
「ほんとに虫なのかなぁ。電波が共鳴してたりして」わたしは言った。「前にテレビの不思議特集で観たんだけど、ガード・レールが電波を受信して、ラジオの放送が聞こえてきたんだって」
志茂田の顔が、ぱっと輝く。
「むぅにぃ君、それですよ、それ!」
「えっ、やっぱり電波?」
「電波ではありませんが、似たようなものです。わたし達の探している『虫』を捕まえる方法を思いつきました」
志茂田はスマートフォンを取り出すと、「ボイス・レコーダー」のアプリを起動させた。
「何するつもり?」とわたし。
「まあ、ごらんなさい」そういうと、ナムナムナム、と鳴いている方へスマホのマイクを向ける。
鳴き声は、すうーっと吸い込まれるようにして、スマホの中へ移った。
「どうなってるの、これ」わたしは驚いた。
志茂田の持っているスマホの中で、例の虫が盛んに鳴いている。
「つまりですね、実体など、初めからなかったのですよ。存在するのは、鳴き声、ただそれだけです」
「あっ、それをまるごと録音しちゃったんだ!」
「ええ、その通り。世の中には、風変わりな虫もいたものです」