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いつか笑い飛ばす私の話。

作者: 鴉拠


人ではなくなった『私』のプロローグ。


まるで子供が書いたような世界地図。


そこに住むのは幻想の住人。


風化した物語に息づく者たち。


埃を被った本のような世界観。


ただ王道な物語と違うのは。


魔を率いる魔王は決して“悪”だという事ではなく。


精霊は必ずしも人間に力を貸すわけでもなく。


神は傲慢なばかりでもなく。


そして簡単に加護を与えはしなかった。


そんな中で人間は魔と敵対することになる。


保守的な魔と野心的な人間。


相容れるのは難しい。


魔はその強大な力で国を守った。


だが人間にそれほど特別な力は無く。


勝るものが在るとすれば。


それは戦争の切欠となった有り余る野心とそれに傾ける熱。


そして数くらいしかなかった。



そこで人は、禁忌を犯した。



呼び出されたのは何も知らない異界の者。


奪われたのは罪無き命たち。


作られたのは一体のバケモノ。


野心と情熱と。


それに付随する冷酷でもってして。



人は、罪を犯した。



罪は、人に与えられた。



罰を下すための手は。







一体のバケモノに委ねられた。








**************************





とても高く澄んだ音がした。


ガラスを弾くような、そんな音が。


それと一緒に聞こえてくるのは、誰かが泣いている声だ。


知らない声、小さな子供の、泣き声。


どうして泣いているのだろうか?


何か、哀しいことでもあったのだろうか。


もしかして怪我をしたのだろうか?


どちらにしろ子供が泣いている事に変わりは無い。


記憶にない声なのに、この焦燥は一体何なのか。


直ぐにでも慰めに行きたいのに、逸る心とは裏腹にこの身体はピクリとも動いてはくれない。


この、役立たずめ。


あがいても結果は何一つ変わらず、私はそのまま子供の声に耳を傾けた。


遠いところにでもいるのか、子供の声はくぐもって聞こえる。


けれど不思議と温もりは側にあるように感じられた。


そもそも私はどうしてこんな所にいるのだろうか?




此処に来た時の事を思い出そうと、記憶を手繰る。





―――そう、あれはほんの数時間の出来事だったはずだ。


私はその日、何時ものように登校拒否で家に篭っていた。


両親は幼い頃に亡くなっていたし、引き取った親戚も私の両親の遺産にしか興味が無かったため、私はそのまま、居るようで居ないものとして扱われてきていた。


学校での親のいない可哀想な子供のレッテルを張られ、憐れまれ、蔑まれる日々。


善人面して、そのくせ好奇心は隠せない目をして寄って来る奴らの相手など反吐が出るとばかりに無視を決め込んでいたら、今度は生意気だの大人ぶってるだのと厭われ、一部からは親がいないから、と的外れな同情を受けた。


そんな毎日に嫌気がさして逃げ出したのは、高校に入ってすぐのことだ。


切っ掛けは階段から突き落とされたとか、そんな理由だったか?まぁ、今はそんなことは関係ないか。


その日はとても良く晴れていた日で、こういう日くらいは散歩に出かけるように心がけていたから、その日私は計画通りに散歩に出た。


日差しは丁度良く雲に遮られ、柔らかくなって降り注ぐ。


都会を離れた片田舎の歩道には、逞しくもアスファルトの隙間から這い出た雑草が茂っていて、目線をもう少し上に向ければ、むせ返るように濃い色をした、植樹でない木々の山が地平線を隠す。


だがそんな自然の美しさも、私の心を変える事は出来なかった。


思えば、両親を失ったあの日から世界はどこか余所余所しくなった。


まるで窓から別の世界を覗いているように、私の心は満たされない。


何かが欠けているせいだと幼いながらに悟ったが、何が足りないかまでは解らなかった。


そもそも人との関わりが希薄だったから、助言さえ得られなかった。


砂をかむような虚しさだけが在る灰色の世界に、何時しか望むことさえ諦めた。


何が足りなかったのかは、もう、どうだっていい。


私と同じ年頃の子供は、今頃机に向かっているだろう時間帯。


そんな時間だが、私は関係ないとばかりにコンビニに向かう。


目的も無く散歩していて、ふと目に付いたから寄ってみようと思っただけだ。


そう、それだけだったのだ。


道路を挟んで反対側にあるコンビニは、横断歩道を渡らなければならなかった。


丁度良く蒼に変わった信号にほんの少し満足し、一歩足を踏み出した。


その刹那。


私の目の前には得体のしれない鏡のようなものが現れ、慌てて足を引こうとした時には、既に身体の半分が持ってかれていたのだった。


ぐるぐると歪む視界に、狂う三半規管。


上下左右、天も地も解らない空間にいたのは長いようで短い時間だったように思う。


吐き気がしてギュッと目を瞑り、足先が何かに触れたと思って瞼をこじ開けてみれば、そこにあったのは紛れも無く床だったのだから、きっとそうに違いない。


ただ、自分の知っている床とは違ったから、暫くそこから目を離せなかったけど。


大理石というものを初めて見た。


初めて見たと言っておいて、何故大理石と呼べるのかは自分でも答えようが無いが、いかにも高級そうで、自分の間抜け顔が映るくらいに磨きこまれた床で思いつくのは大理石以外に無かった。


まず最初につま先が見え、顔が映り、そして一拍おいてから自分の髪がばさりと落ちてきた。


無駄に伸ばした長髪が、この時ばかりはうっとおしくて乱暴に払いのけて顔を上げる。


顔を上げた先にあったのは……


何故か呆然と私を見る人の群れだった。


後方には壁があるので、私の目の前にしか人が居ない事を鑑みても、ちょっと多過ぎやしないか?


この手の経験は皆無だが、人の群れの先頭に恐らく一番偉いであろう事が容易に解る男性がいた事から、おおよその見当はついた。


だが、今までゆるゆると生きてきた私には到底受け入れがたい現象で、頭の中は混乱の真っ只中だ。


いっそドッキリであってくれと願うが、それだとあの突然現れた鏡と、今も残る気持ち悪さに説明がつかない。


私は暫くそのまま固まっていたのだが、私を差し置いて向こうの男性達は早々に立ち直っていた。ずるい。


私はそっと先頭に立つ男を見た。


壮年の、少々くたびれた雰囲気の男で、白髪の混じるシルバーブロンドの頭の上には大振りの宝石を嵌めこんだ王冠らしきものが乗っている。


纏っている衣装は否が応にも中世の貴族を想起させ、肩にかけている真紅のマントがあからさまに階級の高さを誇っていた。


つまりその男は、外見も見た目も王道と呼ぶに相応しいほど……王様っぽかった。



「よくぞ、召喚に応じてくれた……私はこの国、アシュタッド帝国の皇帝だ」



あ、微妙にかすっただけだった。


いささか尊大な態度で名乗りを上げた皇帝が、私を頭からつま先までゆっくりと眺め、困ったように眉根を寄せた。


感じ悪いな、何かあるのか?



「そなた……女、なのか?」



……それは私が女に見えないって事か?ほう、いい度胸だ。


この無駄に嵩張る胸部パーツを見て男に見えると言うのなら、眼科に行け。


とは流石に言えず、私はただ、頷いた。


すると皇帝はあからさまに気落ちした顔をして俯いた。


貴様は男色の気でもあったのか?と聞きたくなったけど止めた。私はまだ死にたくない。


変わりに、尋ねようと用意していた言葉を吐き出した。



「ここは、何処?召喚されたって、私が?何の為に?」



至極最もな質問。


しかしコレを聞いた皇帝や、その親族と思しき人間、それらの取り巻き貴族に騎士や兵士までもが一瞬押し黙る。


だが、皇帝は何事も無かったかのように語りだした……いや、騙りだした、と言うべきか。



「そなたは、この国の“勇者”として異界の門より召喚された、いわば神に選ばれた使徒なのだ」



皇帝はそれがとても名誉なことだと言うように胸を反らして語り続ける。



「近年、魔人という異形の者共が我が国の在り方を否定しだした。神をも恐れぬ、実に醜悪な連中よ。勇者よ、神を貶める忌まわしき存在を、神の名の下にそなたの手で断罪して欲しい」



そう締め括り、皇帝は私の返答を待つ。


その顔から察するに、断られるとは思っていないんだろうな。


さて、と此処で少し考えてみる。


私はどうやらこのオッサンに召喚されたらしい。


召喚されたのは解ったが、送還はあるのか調べる必要が……無いな。帰る気無いし。


で、私は勇者。反応から鑑みるに、どうやらこいつ等は男の勇者を期待していたようだ。


男尊女卑の風習でもあるのだろうか?もしくはそれに近い、例えば『女は家事で男は仕事。非力な女は大人しくしとけ』ってところか。


うん、むかついてきたぞ畜生。


まぁとりあえず結果から言うと、魔王倒して世界を救えってテンプレ展開か。


魔王が魔人に、世界が皇国に変わっただけ。


私は当然のようにふんぞり返る皇帝に視線を合わせた。


老いたせいか、本来のものかは解らないが、酷く濁った、沼のような緑色だった。



「嫌だ」


「……何?」


「嫌だと言った」


「何故だか、聞いても?」



途端に機嫌が悪くなった皇帝を心の中で笑う。


その目を見た瞬間に、私は腹を括った。


この人間に、敬意を払う必要など、一切、無い。


だから、私はコイツを敬わない。



「勝手に人を貴様等の事情に巻き込んで、よくもぬけぬけと名誉だなんて言葉が吐けるな。貴様等のしている事は、そこらの誘拐犯と大差ない。それどころか国がソレを率先して行ったのだから、救いようが無いとはこのことか……それでよく神の名が呼べたものだ、犯罪者共」


「神に選ばれたというが、私はただ、歩いてた所を引っ張り込まれた。拉致以外の何物でもないな。そのうえに私に誰かを殺せとほざくのはその口か?この世界に人権なんて言葉があるかどうかも解らないが、命令でしか人を動かせない貴様には、心底腹が立つ」


「言っておくが、私はこの世界においてお前に従う必要は無い。従う気もない。だから私は皇帝だぞ、などという低俗な台詞は吐くな、反吐が出る。そもそも、何の技量も持たない小娘にそんな国絡みのいざこざを放り投げるな、迷惑だ」


「というか、そいつ等は神ではなくお前らのあり方を否定してるのだろう?それを神をも恐れぬなどと、悪ふざけもたいがいにしろ。神を恐れぬどころか、自分達を神格化して神を貶めてるのは貴様等だと言わせて貰おう。貴様等が神ならこの世界は滅んだも同然だな。誰がこんな国の見世物に好き好んで志願するか。頭を冷やして出直して来い」



蹴った、というより蹴り倒したが正しいか。


そう訂正するほどの言葉を放った。


久しぶりに喋ったからか、少し喉が痛い。口が渇いたな。


最初、そこに集まっていた全員がポカンとして、言葉の意味をじっくりと考えていた。


その間私はこの無駄に広い空間を観察していた。


本当に無駄に広い空間だ。


目の前にいる百人前後の集団を隅っこに追いやっても、きっと全体の四分の一すら埋まらないだろう。


全体を白で統一し、金色の控えめな装飾と薄布で抑えられた陽光が柔らかい印象を抱かせる。


大の大人が二人、腕を一杯に広げてようやく抱えられるくらいの太さの柱は、馬鹿みたいに高い天井をしっかりと支えていて、それが何十本も規則正しく並んでいる様は壮観だった。


はるか遠くに見える扉は巨大な門のようで、此処からだと良く見えないがないか彫り物がなされているのか、目が覚めるような青色の絨毯の上に不規則な影を落としている。


外見は立派だが、広すぎるせいで寂しく、物哀しい。


そうして様々なところに目線を巡らせていると、ふと、ある一角が目に入った。


巨大な柱の影に隠れるようにして集められているのは、五十人強の多種多様な外見の子供たちだ。


この空間のように白を基調とした色合いの服は、目の前の皇帝の后や娘達、が着ている物と違い、ワンピースのようにひらひらと揺れる薄い一枚布で作られていた。貫頭衣のようだ、といった方が解りやすいだろうか。


鱗を持つ子、角を持つ子、獣の尾と耳を持つ子、羽のある子、水かきのある子、耳の尖った子、白目と黒目が反転した子、蔦を髪に持つ子と様々だが、どの子も男女の区別なくワンピースを着ていて、よくよく見なくても不健康そうに痩せこけているのが見て取れる。


年長者と思しき鱗を持った子供が、今にも倒れそうな三、四歳の単眼の子供を支えているが、その子もふらふらと覚束ない足取りだ。その足に鈍く光るものを見つけて、自然と眉根が寄る。


枯れ枝のような足首に絡みつく武骨な鎖は、子供たちの足を繋いで、一つの集合体にしていた。


奴隷、なのだろう。逃亡防止につけられた鎖が、じゃら、といやに重たい音を立てる。


子供たちは一様に怯えて震え、その瞳いっぱいに涙を浮かべている。


王が腐れば国も腐るのは自然の理かと考えていると、不意に横合いから衝撃を受け、そのまま床に押し付けられる。


先ほどまでは綺麗だと思っていた床だったが、こうしてみるといやに冷たくて不愉快だった。



「失敗だ。お前は我が国が望んだ勇者ではない」



淡々とした声が聞こえた。


床に映りこむ景色が、私を見下ろす皇帝の顔を写す。



「お前のせいで、もう五年待たなければいけなくなった」



まるでゴミを見ているような、そんな不愉快な目。



「だが、お前のような者でも役に立つ場がある」



澱にせき止められた流れのような、淀んだ目。



「今までは神殿に止められていたが、この国の皇帝を、ひいては神を侮辱したのだ。いくら神殿でも庇いきれまい」



そういって皇帝は、私を拘束している騎士に、こう言った。



「今まで誰も成し得なかった偉業だ。魔術師長よ、直ちにこの女を研究室へ連れて行け。その後は五年かけてこやつを使えるように調整しろ」



その台詞と共に、私の首筋に衝撃が走り、思わず目を見開く。


大きく開いた私の目には泣き出してしまった子供達が映り、この耳は子供たちの叫びを拾った。


その傍らには、剣を刷いた騎士たちが武骨な手を伸ばしていて……




『逃げろ』




その思いを口に出来ないまま、私の意識はそこで綺麗に途切れてしまった。






**************************






それから、どれ程の時が経ったのだろうか。


そして私はどうなっていくのか。


私は何度も同じ質問を自身に繰り返す。


あの日、兵士からの一撃を受けた私は、此処に入れられた。


泥水に浸かっているような不快な感覚が全身を走るのにも、もう慣れてしまった。


私のこの記憶が確かなら、私はあの魔術師長の下で『使える』ように調整を受けているということになる。


調整、というのが私の体を作り変えるということだというのは、実際に身をもって経験して知った。


多分、私が今居る此処が、魔術師長の所有する実験室か何かなのだろうと検討を付ける。


時間の感覚が無い、というのは中々に不便なものだが、仕方ない。


そう思っていたある日、私は子供の泣き声を聞いた。


正確には、泣いて懇願する声だろうか。


私の近くで声を潜めて泣くその声は、悲痛に彩られていた。


それを知ってから、私は開かない目をそのままにして、代わりに耳で子供の存在を探した。


子供の声は、決まって私が眠気に襲われ、完全に沈黙する直前に聞こえる。


最初は必ず泣いて咽ぶ声から始まり、助けを求める声で終わった。


何に怯えているのだろうか、酷く心を抉る声がして、遠くなる意識の中で小さな悲鳴を聞く。


そして目覚めた後は、先ほどとは違う子供が、先ほどの子供と同じように泣いているのだ。


そして私はというと、今まで満ちる気配のなかった器が少しずつ埋められていく感覚を味わった。


その感覚が子供たちの『魔力』……『命』が私に注がれているが故のことなのだと気付いた時、私は嫌悪と罪悪と憤怒の念に目の前が真っ暗になる感覚を味わった。


気付いてしまってから寝付けなくなったことで如実に感じることになった『命』の継承は、それこそ無様に泣き叫びそうなほどに苦しくて辛かった。


私の中に入り込んでくる異物……子供の命が、泣き叫びながら記憶の断片を撒き散らし、やがては力だけ残して完全に消えるのだ。


今こそ相手の方が天に還っているが、最初の方は私も昇天しそうになった。


人間に追い立てられ、謀られ、甚振られ、裏切られ、生きる誇りも権利も何もかもを奪われて死にんだ、人間、獣人、魔人、竜、エルフ、鬼、魚人、幻獣、妖精の子供達…………私は、力を得る代償に自分の身体を組み替えられ、死にたくなるような記憶を受け継いだ。


狂いそうな現実は、今までぬるま湯のような世界で生きてきた私には重すぎて、私の心は早々に凍りついた。壊れたのかは、わからなかった。


いつしか私は『理不尽』そのものに尋常ではない怒りを感じるようになっていた。


手当たり次第に壊して回りたい衝動と、奴らと同類に成り下がることを厭う理性の狭間は呼吸が止まるほどに苦しかった。


だが、幸いな事に彼らの記憶の中には優しいものもあって。


それがあるから、人間全てを憎むに至らなかったことを、幸せと思うべきか。


つい先日接がれた、この世界で唯一竜に生身で対抗できる鬼の最後の生き残りの角の持ち主は、彼の集落の近くに住む村娘に恋をしていた。


幼く、拙い、けれど暖かな恋の記憶は、怒りに焦げる心を静かに癒してくれた。


結婚の約束を交わし、花冠に誓って、鬼の少年は頬を染める。


精霊は二人を祝福し、明るい未来を想像しては二人を温かな風で包んだ。


小さいけれど、確かな幸せがそこにはあった。


でも、待っていたのは余りにも残酷な運命で。


竜に対抗しうる力を持つ鬼の、唯一の生き残り。


その肩書きと有用性に目が眩んだ皇帝は、着々と進めてきた計画の為に彼を欲した。


『勇者』という自分たちに都合のいいバケモノを作ろうという、そんな計画のために。


子供と侮っていたが故に成功しない誘拐に、国は憤っていたのだろう。


その理不尽な怒りは、彼を擁護する村全体に向けられ、そして最悪の日が訪れた。


本来なら、そこを埋め尽くしていたのは死体ではなく昼食をとるために集まった村人で、聞こえる声は叫声や怒号ではなく温かな食事に捧げる感謝と朗らかな笑い声だったはずだ。


だが、この惨状は一体何だ?


青い空の下で踊るのは民家に放たれた焔と、焔に抱かれた村人で。


涼やかな音を立てて振り下ろされる剣が切り裂くのは幼子を抱いた母親だ。


男達は手に鍬や鋤、斧や剣を持って応戦するが、一人二人と地に臥していく。


井戸の中には焔から逃げた、首が折れた翁の焼死体が入っていて。


畑に撒かれたのは水ではなく近所のませた子供の鮮血。


首の無い身体はそこかしこに転がっていて、飛んだ頭はどこぞの民家に放り込まれ、新たに火が放たれた。


そして、簡素な服を赤い斑に染めた村娘は、虫の息の鬼の頭を抱えて泣いている。


彼はその手を娘に伸ばし、その背を押そうとした。



死ぬ前に言いたいことは、たくさんあった。


人質にとられたきみが悪いんじゃない。


庇った村人も、何も悪くないんだ。


きみを泣かせたくなんてなかったのに。


ぼくがいなければ、きみは笑っていられたのだろうか?


でも、それでもぼくは、きみにあえてよかった。


きみを好きでいられて、ぼくは幸せだった。



彼は最期の力で娘の頬にそっと触れて、そっと囁いた。



にげて、と。



だけど、それにどれ程の意味があったろう。


娘がゆっくりと彼に落ちた。


泣き顔のまま、彼の胸の中で死んだ。


娘の胸に刺さるのは鈍く輝く剣。


娘は、彼の言葉を聞く事無く、絶望の中で死んでいったのだ。


彼は、娘の亡骸を抱き留められないまま、怒りの中で死んでいった。


私に接がれたのは彼の角。


その角には、彼らの魂が入っていた。


彼らが私を見てどう思ったかまでは解らなかったが、それでも彼らは私に力をくれた。


鬼の力、竜をも倒す、けれど竜と仲のいい一族の、力。


そして、記憶をもらった。


優しい午後の血塗られた記憶、怒りや哀しみ、痛みの記憶。


幸せだった日の、穏やかで優しい記憶。


そうして彼らは消えて逝った。


神の元へ、天上の彼方へ。


私は彼らを心の内で見送り、ここに留まった。


優しい記憶のお陰で、私はギリギリ狂わないでいられる。


接がれた身体と継いだ記憶……力が私の命を永らえる。


ギリギリの場所から先に落ちる事は、私のなけなしの矜持が許さない。


それから私は子供たちを迎え入れる度に、此処から出た時に何をするか考えるようになった。


考えはゆるゆるとまとまっていき、今日受け入れた子供の記憶を見て、それを実行に移すことに決めた。


最後にやってきたのはフレズベルク。死体を飲みこむ者。冒涜された命を正しく神に送り届ける、神の鳥。


彼の親は最後、愛しい者の死体を弄ばれ、弔いに喰らって死んだ。


残された子供が私に置いていったのは風精霊の加護と、神と意志を交わす術。


幾重にも重ねられられた記憶が、力が、命が、私が迎合し、統合され、そして『私』になった時。










私は神の声を聴いた。









**************************








「そろそろ……か」



光を感じられない真っ暗な視界の中、年若い神官の声が時を告げた。


今の時刻は解らないが、これが五年前と同時期同時刻に行われるものだとしたら、昼より少し前の時間帯だろう。


神官は呟くなり立ち上がり、私の元へと近付いてくる。


そしてそっと膝を付くと、コツン、と私と彼の隔たりに額を当てた。


一年で随分と耳が良くなったようで、今では些細な物音も聞き逃す事が無くなった。


何か越しに感じていた神官の気配も、そう遠くなければ容易に察知出来る。


思えば、随分と人並み外れてきたなと思う。


昨日の朝だか昼だか、はたまた夜かは知ったことではないが、私は今日の事を聞いた。


今日、召喚される勇者に私が着いて行かなければならない事と、行けば神官が殺されてしまう事。


神官は私に殺して欲しいと言ってた。


彼は、『私』になる前の子供達を逃がそうとして捕まってしまったのだという。


そもそも神殿はこの召喚にも、子供達を犠牲にすることにも反対だったのだ。神のつくりたもうた命が生きることを許される今と、日々の恵みに感謝を捧げることを理念に置いたこの世界最大にして最古の宗教は、創生の神・フィスィがもたらした言葉を最優先で守る。


曰く『生きることを望むならば、他者を生かすもので在れ。不要に奪う者なれば、不当に奪われる者と成れ』。


この他にも二つ三つもたらされた言葉があるのだが、一番有名なのはこの言葉だ。


故に神殿は『不要に奪われた者』である私と子供達を守り、『生きることを望む者』として『他者を生かす』べく抗議を繰り返している。皇帝が『必要』としているのに『不要』とされるのは、『私』になった私たちがそうなることを望んでいなかったからだ。


そうして何とか助け出そうと乗り込んで捕まった彼は、神殿でもかなり高位の存在で、民にも他の神官にも慕われていた人物故に処刑が難しく、それならばと皇帝が私付きの世話役にしたらしい。


神殿でも重宝される彼を人質に、民や神殿の反発を防いだということか。


そんな経緯でここにいる彼は、私が勇者と共に旅立てばすぐさま殺される。魔人と全面戦争を始めるのだ、神殿が掲げる理念など眼中になくなる。そうなればこの国はこれ幸いと神殿そのものの排除にとりかかるだろう。世界一の宗教だろうがなんだろうが、創生の頃より続く種の一角が滅びれば、形のない『神様のご高説』なんてどうとでもなると思っているようだ。


なんと、傲慢な。


身勝手な思考に怒りが湧く。



「なぁ、ユーデクス」



沸々と湧くいやに冷めた怒りの合間に、神官の心地よいテノールの声が耳朶を打つ。


ユーデクス、審判者という意味を持つ名前は、彼が『私』に与えたものだ。


魔術師長が私のことをソレだのコレだの言うから、見かねた彼が考えてくれた。彼らが付けた正式名称は、勇者に追従するもの、引いては帝国の下僕という意味で『スキロス』。犬を表す言葉らしい。


呼びかけられては、応えないわけにはいくまいと、聞いていると意思表示ができないから怒りを抑えて耳を澄ませる。



「ユーデクス、前にお前に言ったこと覚えてるか?お前が来て今日で丁度五年だって話」



覚えている。私に意識があるかどうかなど知りもしないのに、一方的に投げかけられる外界の情報。彼の神官という職に合わず粗野な印象を受ける口調は、すでにこの耳に馴染んでしまったのだと伝える術もない。



「お前はどうか解らないけど、オレはこの五年間、すっげぇ長く感じたよ……それと同じくらい、自分の無力さも味わった」



お前らを、助けられなかった。そう言って神官は空々しく笑い声を上げる。


僅かに震える声が痛々しくて、この手を伸ばせないことが今更ながらに悔しい。



「魔人はな、家族を重んじる。基本的に人間が手出ししなけりゃ、向こうも何もしてこない。人を襲う事もごく稀にあるが、それは食物連鎖で当たり前のことだ。オレだって腹が減ったら肉も魚も食うさ。もちろん、必要分だけな。なのに皇帝は人間が食われること自体が気に食わないらしい」



馬鹿みたいだろと、神官は言う。



「散々生き物を蹂躙しておきながら、生にしがみ付くなんてな。こんな国、いっそ捨てちまおうか……なんてな。いくら神殿の保護があるとはいえ、国籍はあるに越したことはないし、そもそも無能なのは皇帝だけだ、民に罪はねぇ…………でもな、思っちまうんだよ。もしも五年前のあの時、オレに力があれば何が何でも召喚なんて馬鹿な真似させなかったのにって」



はぁ、と彼が力なくため息を吐く。


そして、とんでもない事を口走ったのだ。



「ユーデクスの目覚めた時、オレ、出来ればお前に殺して欲しいな……」



どこか期待しているような声音だった。


そして、聞きたくない言葉だった。



「断罪、して欲しいんだろうな。他でもないお前に……罪を背負わせるって、わかってんのに。なぁ、ずっと眠ってるお前は気付いてねぇだろうけどさ、お前、もう、人間じゃねぇんだ……人でも、女でも、男でもない…………オレが、オレたちが壊したんだ。人の、お前を」



…………。



「つーかオレさ、最初お前を見た時、あまりにも堂々と皇帝をこき下ろすもんだからすげぇ吃驚した。仮にも皇帝だぞ?なのに犯罪者とか……」


「……あの時、オレお前の事羨ましいって思ったんだよ。言いたい事全部ぶちまけちゃってさ。オレだってアイツに言いたい事沢山あんのに、お前だけずるいって」


「だからさ、オレ、お前が出ていく前に……いや、勇者が召喚される儀式自体ぶち壊して、今まで思ってたこと全部ぶちまけるよ」



だから、と、彼は言った。期待するように、罪悪感を隠した声に、わざと喜色を滲ませて。



「だからさ、全部終わったら、ユーデクス、お前がオレを殺してくれないか?」



正直に言えば。


彼の願いは何でも叶えてあげたい。私の身を案じ、子供たちを助けようとして、結果死への道を歩むことになった彼の助けになりたかった。名前をくれた彼を支えたいと思っていたけれど……その願いだけは聞けない。


恐らく皇帝にとっての彼の使い道というのは、『私』というバケモノが完成する事で終わるのだろう。


だとすれば、皇帝は嬉々として彼を処刑するだろう。今までの鬱憤を晴らすために拷問まがいのことまでしでかすかもしれない事を考えれば、私が一思いに殺してあげたほうが彼も幸せなのかもしれない。


でも、それは、とても……嫌、だと思う。


彼は私を助けられなかったというが、助けようと動いてくれた。殺されると分かっているのに、その涙も悲哀も憤りも全て『私』の為だった。応える声がないにも関わらず、ほぼ毎日欠かさず話しかけてくれた。


それがどれだけ嬉しいことか、彼は知らないのだろう。


私が『私』になってから、ずっと側にいて優しく声をかけてくれたのは彼だけだった。職務に忠実な魔術師長は組み込むだけ組み込んで、完成したらあとは細かな調整に寄るだけで声を掛けもしない。


誰かの存在に救われるということを実感した。させてくれたのは、彼だ。


その彼を殺す?冗談じゃない。彼を殺すくらいなら皇帝を殺す。


今回召喚される勇者も、彼が望むなら救い出す。


……本当なら、この体が自由になったらすぐにでも彼を攫って逃げるつもりだった。


意識が沈まない内に自身の性能を正確に把握し、行使するにあたって齟齬がないように自分で調整してきたから、やろうと思えば何時だって逃げられる。そういうふうにしてきた。


ただ最大にして唯一の障害は、五年前の体と今の体、その体躯の差になれるまでの時間が必要だということで。


つまり、変化してしまった体格を五年前と同じ要領では動かせないから、逃げるにしてもどこかでミスをしてしまう可能性があるという事だ。


筋力の衰えなどは別段、どうと言う事はない。


いざと言う時の為に、自身に流れているという魔力で内側から筋肉を動かしていたので、傍目にはそう見えなくても、人一人を抱え上げられるだけの筋肉は確実にある。


けれど、それを行使するにあたっての腕の距離感、力の加減が解らない。


……慣れるしか、ないのだろうな。


幸い、彼は私の世話役で、私が出ていくまで彼は生き残れるから……出ていくときに、彼も共に連れ去ってしまおうか。


私はひっそりと笑みを浮かべるが、表情は全く変わっていない。


いや、よく見れば微かには動いていただろうが、神官は俯いていたのか、それに気づく事はなかった。


それが少し残念だが、気にしてはいられない。


彼が急に私から離れたのだ、そんな思考は放棄して理由を探るのが最優先だ。


だが、それほど考える必要は無かった。


ノックの音がしなかったにも関わらず、数人の人間、足音からして男がこの部屋に入ってきた。


突然場を乱されたことで空気ごと汚染されたような錯覚を覚えながらも、まるで口論のような会話に耳を傾ける。


その声は忘れようもない……あの日の憎い皇帝のものだった。



「ほぅ、コレが彼奴か……我が国の力の象徴となる、バケモノ。神官よ、こやつは何時目覚める」



象徴だと?だれがこんな国の力になどなるか、クズが。私の言った言葉を忘れたか?


というか、コレってなんだ、愚帝。



「はい……術式解放すれば、直ぐにでも。ですが、あまり無茶な事はさせられません。五年も動けなかったのですから、少なくとも数日は人の手を借りずに立ち上がる事は出来ないかと」



皇帝の尊大な問いかけに、彼は何時になく丁寧に答える。


慇懃無礼でもなく、ただ淡々とした受け答えに感情が滲む隙は一分たりとも無く、それが余計に彼の心の内を偲ばせた。



「そうか……だがそれでも問題無かろう。召喚した勇者をそのまま送り出す事は出来ないからな。コレも勇者もひと月はこの城に留まらせる事になっている」



鍛え上げるなり何なりしておくつもりか……なら最低でも一ヶ月は神官は無事なんだな?



「そうだ、神官よ。コレの世話は引き続きお前に任せる……お前が救いそこなったコレが、そうとも知らずにお前に頼り、兵器として慣らされる様はさぞかし愉しかろう」


「っ!」



小さく彼の息を呑む音が聞こえた。


怯えるように、恐れるように響いたその音に瞼の奥で光が弾けたような錯覚に襲われる。


溢れてくるのは今まで身体に受け入れた者達の感情だ。


悔恨、悲哀、憤怒、痛み。


死に際の感情が、私を内側から焼く。


ピクリとも動かない身体の中で、持て余した熱が暴れだす。


そんな中でも、皇帝の声ははっきりと聞こえた。



「脆弱な女でも、男でも、ましてや人間ですらない。我が帝国が生み出したバケモノを従えた勇者に、魔人どもはどう手を打つのだろうな?」



愉しくてたまらないと言うように紡がれた声が、耳の奥で反響して煩わしい。


私が何も知らないと思って、私が何も考えていないと思って。


彼を、優しい彼を傷付ける言葉を平然と吐くその心の有様は、その目と同じ沼色に濁りきっているのだろう。


今ほど動けない事を、話せない事を後悔した事はない。


本当なら今この場で皇帝を手に掛けてしまいたいが、そうすれば彼はきっと気に病んでしまう。


結果的に彼に迷惑をかけなかった事に安堵するべきなのだろうが、どうでもいい、そんな事。


彼を傷つける全てが疎ましい。



「半刻後に勇者を召喚する……それまでにコレを放ち、見苦しくないよう服も持ってきてやったからそれを着せろ。小間使いが呼びに来るまで親睦でも深めておくがいい」



去り際に嘲笑と衣類らしき布の塊を残して皇帝は部屋を後にした。


完全に扉が閉まり、たっぷり十秒は数え、漸く彼は息を吐いた。


微かにだが、吐き出される息が震えている。


それを飲み込み、彼が優しく隔たりに手を付いた。



「それじゃあ……今、出してやるよ。今まで窮屈だったろ?」



呟かれた台詞の後に、何かが割れる音がした。


それは床に落ちるときにもう一度甲高い音を立て、動かなくなる。


それから、急に身体が浮かび上がるような心地がした。


今まで身体に纏わりついていた汚泥が雪がれるように、身体の内側から力が溢れてくる。


そして何より、身体が動いているのが解る。


だがやはりと言うべきか、胎内の赤子のように丸まっていた身体では、足はまだ浮いている感覚があった。


まずは指先がピクリと動き、拳を作っては開くを繰り返す。


首もゆっくりと左右に振る。


動かした箇所は例外なくぽきぽきと骨が鳴る音がした。


それから私は、ゆっくりと光を調整しながら、重い瞼をこじ開ける。


最初に入ってきた光が存外眩しくて、一度瞑りなおしてしまったが、それでも再び瞼を開く。


折角この目が開くなら、最初に写すのは彼がいい。


今まで声だけの存在だった彼のことを、もっとちゃんと認識したい。


そう思って、私は必死にこの瞳を外界に晒した。


思い切り良くパチッと開けば、視線の下のほうで光が瞬いた。


迷わず視線を落とせば、そこに居たのは、当然、彼だった。


だが、少々予想外な事があったのだ。



「おはよう。気分はどうだ?…………スキロス」



そう言って、彼は苦しげにと微笑んだ。


私を『スキロス』と呼ぶことに酷く抵抗があるらしく、その顔からは苦々しさが消えない。


彼は私よりも低い位置に頭があった。腰ほどの長さまで伸びた一房だけを残して、あとは肩口に付くか付かないかの長さの淡い紫を帯びた銀色の髪が揺れる。


健康的なクリーム色の肌は張りがあるが、心労のせいかいささか艶に欠けていた。


コーカソイド系の彫りの深い顔立ちだが、声色から想像していたほどの年を経ていないのか、彼の顔立ちは青年とは言い切れず、また少年と言い表すには拙いような、少年から青年への過渡期にある顔立ちをしていた。


顔の造りも美しいというよりは、気だるげな猫を見ているような気分にさせる可愛らしさがある。


たれ目がちな目に収まる瞳の色は優しい春空の色。垂れた目元に反してキリリとしている眉のせいで、どこか苛立たしげにも、背伸びをしているようにも見えてしまう彼は、一度口元を掌で覆うと、すぐに何でもないような顔をして私を見上げてきた。


初めてみる彼の姿は、綺麗だった。



「ぁ……ぅ……ぅあ、あ?」



もごもごと初めて言葉を口にする幼子のように喉をふるわせる。私の記憶にある自分の声よりもずっと低くなっていた。


出てきたのは腰に響くような艶のある、けれどどこか無感情な冷たさを孕むバリトンの声。重いけれど、すっと馴染むように響くこの声が自分の声だとは思えなくて逡巡する。



「ちょっと待ってな、今拭いてやるから」



何をすればいいのか解らないで突っ立っていると、彼は渡された布の塊からタオルを引き抜くと私の肌を滑る水滴を丁寧に拭っていく。


此処で漸く自分が裸であると理解し、自身の体を見下ろしてみると、身長が伸びたのか彼よりもずっと高い。そういえば、彼の頭は旋毛が見える程度には低い位置にあった。


おそらく二メートル強はあるのではないだろうか。地面が遠い。


だがそれ以上に違和感を感じるのは、身体のつくりが明らかに女性体ではなく、男性体に変化していた事だ。


固そうな胸板に、無駄なく筋肉が付いた細身の身体、持ち上げた腕も手も少々骨ばっていて無骨な印象があるが、指は細く長く、備わる爪は薄く整い、桜貝のような色をしている。


顔は鏡が無いから解らないが、恐らくこちらも変わっているはずだ。


体の方は、やはりと言うべきか、違和感こそ無いものの、外側にではなく内側に組み込まれた他種族の特性がストックされているのを感じた。全て繋がっているが、自らの意志で後付と格納が自由自在にできるパーツを手に入れたような感覚だ。


顔を見てみようと足元に散らばるガラス片に目を移すと、そこに居たのは一人の男だった。


すっと鋭角的に削られた頬に、秀でた額、鼻梁は高く、美しく引かれた眉は意志を表さない。


膝裏を過ぎるほどに伸びた髪は五年前に持っていた黒髪よりもなお深い闇色。艶消しの黒は重々しいのに、風が撫でるとしゃらしゃらと綺麗な音を立てて流れた。ストレートだったのに、今では羽のように一定の纏まりを持って広がる黒の中には、メッシュを入れたような深紅の髪が幾房か交じっている。


そしてこちらを見るその瞳は、まるで血を煮込んだかのような、赤黒。


見れば見るほど飲み込まれそうな、飲み込まれたら最後、戻って来れなくなりそうな、静寂を湛えた地獄への入り口。


どこか白々しい光を宿す眼を持つのは、間違いなく『私』の面影を残した『私』だった。


青白い素肌に様々な『闇』を纏った私は、そこに居るだけで『死』を想起させた。


『畏怖』でも『尊敬』でも『慈愛』でもないそれは、確かに『私』の纏う雰囲気であった。


そんな風に変わり果てたというには中途半端に面影の残る自分を見ていると、不意に彼の手が私から離れた。


水滴を多大に含んだ布が彼の手から離れ、変わりに衣装らしき物がその手に収まる。



「少し屈んでくれないか?お前に服を着せなきゃいけないんだが……」



そっと私の手を引いて、彼は私を座らせる。


床にぺたりと座り込んでみたら、少し高い位置にきた彼の目と視線が合う。


春空色の瞳の神官。


その頬が薄らと赤いのはどうしてだろう?


疑問に思いながらじいっと食い入るように彼の瞳を見ていると、彼は赤くなる頬を誤魔化すように苦笑して、私に服を着せるために布を広げて私の視界を奪ってしまった。


もっと見ていたかったのにと少し面白くない気分になるが、よくよく考えれば少し近い位置に顔があったような気がする。


いくらなんでも近すぎたか?と反省していると、彼の困ったような声が聞こえた。


どうやら上手く着せれないらしい。


彼には散々世話になったし、困らせたくは無いので、視界を奪っていた黒い布を彼の手からそっと奪う。



「ん?どうした?」


「………………やる」



不思議そうに首を傾げ、服を取ろうとする彼の手をやんわりと押し返して断り、広げてみて構造を確認する。


一見すると頭からすっぽりと被れるタイプに見えるが、どうやら身体に巻きつけて着るようだ。


これでは彼には手間だろうと、憶測だけでするすると布を巻きつけていく。


途中、横合いから彼が新しく着衣を渡してくるので、それを確認しては着ていくという作業を黙々と続けた。


何か会話をしたかったが、彼の纏う『気配』が沈痛なものだったし、うまく声も出せる気がしなかったので、落ち着くまでは何もしない方がいいと判断した。


下半身、上半身、脚部に腕部と全てを着終わり、一息つく。


着るものの全て黒だった。


「着終わったな……すげぇ似合ってるよ。お前は黒に……いや、精霊みんなに愛されてるみたいだな」


一仕事終えたように呟く彼の声に、嬉しさが滲む。


はっとして顔を上げれば、彼が僅かに微笑んでいた。


苦しそうでも悲しそうでもない笑顔。


彼の周りには常に守るように『光』が飛んでいるが、今はその光が常に無く優しい。


彼の言う精霊とは、その光の事だ。よくよく見れば光の中に人影を認めることができるが、そこは今は置いておこう。私の周囲にも、実に様々な精霊が集っている。彼には彼らが見えるのだろう。


彼も精霊に愛されていることが無性に嬉しくて、つい、私も表情を緩めて微笑を作る。



「んっ…………きみ、も……ひぁ…ひかり、に、あいされて、ぃる…………とても、きれいだ」


「なっ……!」



使い慣れない喉を震わせ、緩く息を吐き出すように呟けば、彼の頬が林檎のように真っ赤に染まる。


右に左にと視線を彷徨わせ、最後に私に行き着いてぱっと顔を伏せる。


勢いが良すぎて髪が跳ねるが、そんな事も気にならないのか、彼は俯いたままだ。


男性に対して抱く感想ではないが……なんというか、こう、可愛いな。


心の中に、彼は初心、とメモを取る。


とりあえず一ヶ月は確実に彼と一緒に過ごせる訳だ。


その間に彼の事を沢山知ろう。


この世界の事は大体は『識って』いるから、そこに肉付けしていき、最終的には彼と二人で何処かに逃げよう。


召喚される勇者については、召喚される前にどうにか手を打つことにして。無理だったら、仕方ないけど予定の人数を一人追加して。


頭の中で計画を練り、頷く。


こんな所に彼は置いていけない。


彼はもっと自由になるべきで、それを『神』も望んでいる。


それに……



「……が、わ………ぃで、…………ぃ……」


「え?今何て?」


「……いいや、なんでも……ない…………ぁ、そうだ」



ふと思い立って、私は彼に視線を合わせるように膝立ちになり、騎士のようにその手を取った。


まるで剣を扱う手のように固い皮膚を労わるように握りこめば、私の手よりも小さな手は隠れてしまう。


ほんの少し緊張した彼と視線を揃え、怖がらせないようにと緩く笑む。



「わたし……私、は、うー……ユー、デクス。きみ、の……なまえ、は?」



問いかける声は自分のものとは思えないほどに穏やかだった。


懇願するような響をもったそれは彼の鼓膜を震わせ、空の瞳を見開かせる。



「お前、それ…………」


「ぉ、ぼえて、る。ぃ……きみが、はなして……くれたこと、ぜんぶ」



覚えてる。全部、憶えてる。



「だか、ら……しり、た、ぃ…………『私』、を、おもってくれた……きみの、なまえ」



君がくれた優しさを、私は全部、憶えてる。


全部大事な記憶。私の宝物として、この心を温め続けてくれる優しい記憶。


それをくれた、君の名前が呼びたかった。


ずっとずっと、君が私の名を呼ぶたびに、私も君を呼びたかった。


そんな思いを込めて、小さな空を見つめる。


彼は呆然としたかと思えば、くしゃりと顔を歪ませて、笑った。


負い目を感じていた相手に求められる苦しさと、消えない罪悪感がもたらす痛みと、それから。


助けたいという想いが伝わっていたという、喜びを、一緒くたにしたような笑み。


頬を紅潮させ、笑みを浮かべ、それでも足りないのか涙までながしながら、それでも彼は逡巡して、控えめな声色でそっと囁いた。



「……オレの名前は、ラビア……ラビア=ナヴゥ=ジェンニ、だ……」



ありがとう、それと、よろしく。そう付け加えて恥ずかしそうに告げる彼の、ラビアの手を、私は優しく握り締めた。






































この後、召喚された勇者がまたしても女性で、それにキレた皇帝が彼女を殺そうとしたから予定を大幅に前倒して逃亡したり。


逃亡初日、城を出てすぐに異世界からの召喚なんて非道すぎる!と出遅れてきた魔人に保護されたり。


その魔人が実は魔王の側近で幼馴染の宰相様で、召喚されてきた勇者に惚れてしまったり。


三人で魔王国にお世話になるも、宰相と勇者の恋愛模様が怪しくなったり。


帝国が勇者を返せと戦争をしかけてきたりしたのを皆で撃退したり。


帝国が禁術指定をくらった召喚を行ったことが露見して皇帝が干されたり。


そんな風になる気はなかったのに、いつの間にか私がラビアに惚れていたり。


バケモノとなった私が、神の采配で神獣として召し上げられたり。


それについてきたラビアが私の番認定されてしまったり。


魔王がお世継ぎコールに辟易して家でした先で運命の人を見つけたり。


身分差と年齢差と後宮と陰謀が入り混じった物語が展開されたり。


最終的には魔王も宰相も意中の人と結婚し、私とラビアは神殿で世界の終焉まで生きることになるのだが。






























それは、まぁ、またの機会に。












ありがとうございました!



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