六 乱神
はたうじ(秦氏)
この名は、重いーーいや、大きい。
漢氏に並ぶ、帰化人勢力の巨魁。
上古から、百済経由で、幾度となく、大陸から渡来した。
本邦をわが庭とする、大陸の雄。
(ぬえ鳥よ)
大陸からやって来る漂鳥だ。
成る程、彼らは、まつろう民、そして、うつろう民でもある。
日本にやって来た、日本で成功した、なにものか。
それが、「秦」と、いかにも、大陸の古王朝を連想させる氏名を掲げ、依然、本邦に融け切らぬ、大陸文明の余熱を宿している。
秦氏は、その実体をうんぬんするより、帰化人が依然宿しているその熱と、成熟しつつある国風ぶりとの、差違そのものと考えた方がいい。
実体は不明瞭ながら、どことなく、異様。
その違和感そのもの。
実際、この氏族は、いまいち、その全容をつかむことができない。
おそらくは、秦氏自身にも。
秦の始皇帝の末裔、というのは、誇張だろう。半島に由来する素性と思われる。
(こやつらは、秦、なぞという、古豪の筋目ではなく、徹頭徹尾、王権と反目した、異民族の出なのではないか)
そう、刷雄は考えるに至っている。その傍証は、目前に佇立している。
炎帝神農氏、姓はキョウ(姜)
名は蚩尤。
これが、この牛頭六臂の魔神こそが、秦氏の氏神なのだという。
上古から中古。ひとの世が、依然、神話時代の伝説と、分明になり切っていない。
神別の素性持つ貴族らが、おのれらの家祖を記紀神話に置き、それを誇りとする。
秦氏がおのれらの祭神として、日本へ持ち込んだのは、兵主神。
その実体は、はるけきいにしえに黄帝と世を争った乱神、蚩尤なのだという。
夕立のすぎにし池のはちす葉に涼しくのこる露のしら玉
「易伝を正し、春秋を継ぎ、詩書礼楽の際にもとづくるもの有らん」
と、高々と謳い、聖代の五帝から漢の武帝まで、歴史や政治、諸侯や人物まで巨細なく記したものが、司馬遷の『史記』だ。
「易経を正しく解釈し、春秋戦国の心を継承し、詩、書、礼、楽の基盤となるものを出そう」
ということだ。
占事から、歴史と政治、文芸文化と、その筆は及ぶ。
そこに、「封禅書」がある。
「ホウゼン(封禅)」
と、刷雄は言う。
「秦の始皇帝も、これを行ったそうじゃのう。泰山にて、天地の神々を祀り、帝王の即位とその至徳を言祝ぐ。地鎮祭の、とくにめでたいもの、鳳凰と麒麟が慶賀を述べるがごとき至尊の天子が行う、社稷を祀る儀式、そんなところか」
「知った風な口ぶりをのぞけば、まあ、大意は、肯けよう」
徐福の軽口を無視する。
「泰山の頂にて、円壇を築く。そのふもとにて方壇を。天円地方、天は円く、地は方四角(方)く。そして、天地の神々と、八神を祀る。八神とは、天主、地主、《《兵主》》、陰主、陽主、月主、日主、四時主」
三曰兵主、祠蚩尤。
蚩尤在東平陸監鄉、斉之西境也。
三に曰く兵主、蚩尤を祭る。
史記には、そうある。
「兵主神は、封禅にて天子が祀る、八神の一柱、そして蚩尤のことじゃ」
(主上が重んじられるはずよ)
桓武帝のお心が、唐様を嘉される、というのは、上下共通の認識だ。
そも、国母がやまと氏(和氏、渡来人系)であらせられるし、ご自身がたびたび郊祀を執り行われている。これは、封禅から来た祭祀だ。その場所は、この長岡京の南郊。
(長岡京の郊祀を完全なものとして、至徳の帝が執り行う封禅に昇華する。そんな風にでも、売り込んだか)
成る程、通すべき筋を通している。
かくて、こなたに、兵主神、蚩尤が佇立している。
あなたの神が。
バンシン(蕃神、異国神)
蕃は、蛮。
(蛮族の神だ)
蛮の字には虫偏が入っているし、それは、蚩尤も同じだ。
もろこしでは、王化に浴さぬ西戎北狄の類いには、容赦なく「蝦」と、虫を当てて、人間あつかいを止める。
これを氏神として持ち込んだ秦氏は、そもそもが、中華にとって、蛮族にあたる、まつろわぬ民だったのではないか。
蚩尤は、反乱の神であり、兵器に鉄を用いることをはじめたとされる、鉄の神でもある。これはうがち過ぎかも知れないが、春秋戦国を終わらせた秦は、はじめは諸侯会盟にも招待されない野蛮国だった。
彼らが優位に立ったのは、鉄製兵器が豊富だったからだ。
鉄を背景にした蛮族、ということで、秦氏が、秦の始皇帝を祖としたとも考えられる。
さらに、こじつけのような話をつづけるのなら、秦氏の出自はともかく、百済経由で日本に渡来したのは間違いない。
蚩尤は神話の中で、黄帝とタクロク(涿鹿)という場所で決戦している。
これは現在の河北省涿鹿県であり、ざっと言って朝鮮半島よりだ。




