十 開く
乙訓寺は、上宮太子が開かれた古刹、遷都に際して長岡の鎮守として、大いに増築されている。
正門には、下げみずら(角髪)にした、利発そうな少年が立っていた。
古風な利剣を腰に帯び、ほのかに彩雲が立ちこめている。
(護法童子か善財童子か)
世道は、うやうやしく合掌し、一礼する。
境内には清雅な空気が漂っている。
コンドウ(金堂)から、ドキョウ(読経)する声。
この頃の仏教は、多分に、宗教と言うより、科学であり、とりわけ、空海や最澄が活躍する前は、その向きが強い。悟入に至る方法論なのだ。
刷雄が唐土で学んだ禅定も、その一つだ。
世道は、ほのかに香のかおるダウヂャウ(道場)で、座禅する。
止観。
心を単一の対象にとど(止)め、観を得る。
世道は、おのれの法門の純化を迎えぬ、無明の胸中を見る。
仏陀はここから解脱されたというが、世道は、この闇の大地から、おのれが予感する光明を得なくてはならない。
しばらく、呼吸を整え、刷雄から伝授された秘訣を唱える。
すると思わぬことに、おのれの内に広がる暗黒の地に、
ちゃぷぷ、ちょろろ。
と、水音が聞こえた。
(!)
世道は、おのれの精神を水音のした方へ向け、そこで、大地を這う、闇の下あを(碧)くきらめく、流れを見る。
(川が)
ちゃぴ。ちゃぽぽん。
川水が跳ねる。
あぶくが白くたぎる(滾る)
その、水の流れ、泡沫の群がりが、ほとりに取り付いた、子供ほどの大きさの輪郭をなぞる。
赤く光る目。馬のように伸びた耳。
(人!? いや)
も、ぞ、もぞぞ。小児ほどの大きさの、妙に黒々とした豊かなくし(髪)を持つそれが、小さくて固そうな歯が並んだ口中を見せる。
み、
い、
いいぃぃぃいぃいいいぃぃいい~。
と、ないた(哭いた)
(も)
水辺でのたうつ魔。
(魍魎!?)
なぜ、この水妖が・・啓示を求める自分に、この生き物が見えてきたのだ。
(む、むう)
魍魎の姿が薄れ、ぼやけたにじみになる。
モウリョウ(罔両)はまた、影法師の周囲にできる、ボウっ(茫っ)とした広がりなのだという。
荘氏に曰く「日既に山の端にかかれば、夜座しずか(静)に月を待ては影を伴ひ、あかり(燈)を取てはモウリョウ(罔両)に是非をこらす」
夕暮れ時、ともしび(灯火)に浮かび上がる、影の端のにじみ(滲み)
モウロウ(朦朧)とした、実態の知れぬもの。
おぬ(隠、鬼)
(うぬぬぬ)
陰となった魍魎の向こうから、サンサン(燦々)と、ハクチュウ(白昼)の陽がさすーーー
陽光。
それを縁取るぎらつき。
風。
卯月の薫風なれど、そこには、おぞけ(怖気)立つような異臭が混じっている。
陋屋が妙に密集し、それでありながら、手つかずの野が、そのまま広がっている。
水路を流れる水は量が少なく、各戸が出す廃棄物や排泄物を、川まで流すことができずにいる。
たれ流されるがまま、押し流されぬ生活廃水。
(こなたは)
悪所だ。
水面に人糞が浮き、ぷかぷか、押し流されることなく、水に融けていくばかりのそれに、はえ(蠅)がたかっている。
わんわんという、淫祠邪教の舞。
刻々と気温を増す卯月の空気が、妖しの術を編み、疫病が沸く。
(えい、おのれの想念の中でさえ、まじまじと目にしたくはないものよ)
屎尿の融けた、油じみたきらめきを浮かべる水面。
ここでは、水をかき乱すものもなく、水音もないまま、汚水が、流れる、というより、雲のように漂っている。
(うぐぐ)
不浄。
垢。
穢れ・・
だが、ここで、ゾクリ、と、世道の心底をなぞる(擦る)センリツ(戦慄)がある。
これと同じものは、兎角朝が早いこの時代の人ならば、よく味わう。
来る。
闇の向こう、山のあなたからーーそれがきざし(兆し)たとき、人一倍これに敏感な雄鶏の喉から、時が作られる。
払暁。ライゴウ(来迎)
暗闇の底で、底割れを起こし、日がおこ(興)る。
キョクジツ(旭日)
陰中の陰にあって、小陽が射しそめる(初める)栄耀の一瞬。
汚穢と泥濘の底から、セイメイ(生命、清明)が芽吹くようにーーそれは、やってくる!
豊穣。
清浄。
澄み切ったーーーー
(お、おおおお)
世道の止観が、そこに映ずる汚水のおもて(面)が、見る見る晴れて、明鏡止水のみかがみ(水鏡)となる。これまで、人世間の汚辱にけがされるがままだった水面が、磨かれた鏡のごとき澄明をたたえる。
死に水のように停滞しつつ、活き返る。
(あああああ)
ジョウハリの鏡(浄玻璃の鏡)・・閻魔の庁にある。
人の来し方の罪悪を、残らず映し出すというーーーそうなのだ。
穢れの底にはそれほどの澄明が、拓けている。
みずゴリ(水垢離)という。
みそぎという。
穢れの極に達したとき、自然、それを払底させる、浄化のprocessが進行する。
穢れたものは
祓われるのだ。
(こ、これか)
そして、イザナギが、筑紫日向橘の小戸、檍原にて禊ぎしたおり、生じたものは・・
みそぎ(禊ぎ)は、水削ぎ。
黄泉の国の穢れを、伊弉諾は水にてこそいだ。
その結果、そこから、幾多の神々が結んだ(産霊んだ)
やそのまがつひ(八十の凶霊)
それを修正する神。
海神、
日の神、
道の神。
左目を洗った際にあまてらすおおみかみ(天照大御神)が。
右目を洗った際につくよみのみこと(月読尊)が。
鼻を洗った際にすさのをのみこと(素戔嗚尊)が。
神話世界でも類を見ない、輝かしい生誕の瞬間が、穢れと水とpurify(浄化)とcatharsisの渦中から、開けたのだ!
そして、ちゃぴちゃぴ、ちゃぷぷ、と、この清浄の水鏡を乱し、波紋を広げるものがいる。
赤黒き肌に、長き耳、赤い目の魍魎が、豊かなくし(髪)の絡まるみどりごのごとき肢体を、もがかせて。
無心に水と戯れ、あむ(沐む)。
汚水ではない。この至純のしみず(清水)におのれを清めさせる魍魎は、まるで、うぶゆ(産湯)に浸かった赤ん坊だ。
うぶごえ(産声)を上げる。
座禅を組んだ世道の眼界から、止観の世界が去り、道場の床が戻ってくる。
(戛然、頓悟)
魍魎ーー罔両。
モウリョウ(罔象)
みずは(罔象)!
(これじゃ。王道楽土が叶うかは知らず、せめて水清き水郷を実現せん)
急ぎ立ち上がると、乙訓寺を辞し、図書寮へ向かう。




