時の灯火
雨がしとしとと落ちる中、ふたりは恐竜の鱗と、波に砕かれたアンモナイトのような殻をひとつに集めていく。
火を灯すことはできなかったが、魔力を帯びたそれらは微かに光を放ち、暗い足元を優しく照らしていた。 まるで、夜の底から生まれた小さな星のように。
「もっと……この時代を見てみたかったな」
プロムが、名残惜しむように言葉を漏らす。 エオはその横顔を見つめたまま、わずかに首を傾けた。
「あら、時空転移が成功すると思ってるのね」
その軽口に、プロムはふっと笑う。
「当たり前だよ。僕が作ったんだ、そして君がいる。……失敗する理由がどこにある?」
その声は自信に満ちていたが、魔力の灯りは彼の笑顔までは照らしてくれなかった。
プロムは懐から、懐中時計のような形の魔導具を取り出す。
《アウリス・クロノス》。時間を記録し、刻み、操る術式の中核となるそれを、そっとエオの前に差し出した。
「向かう先は未来。期間は、“行けるだけ”」
「初めの実験でも、未来に設定していたはずよね?」
エオが確認するように言うと、プロムは肩を竦めた。
「でも、君のギフトには勝てなかった。転生者様の意志のほうが、僕の魔導具より強かったらしいから……今度はちゃんと“祈って”」
そう言って、プロムはエオの手を取り、自身の魔導具ごと包み込むように握った。 その手は、微かに震えていた。
「プロム……?」
「僕も、少しだけ……怖いんだ。君と二人で、ちゃんと飛べるのか」
その震えは、寒さではない。未知へと踏み出すことへの不安――けれど、彼女の手はそれを包み込むように、ゆっくりと握り返した。
「大丈夫。ここまで連れてきたのは私……だから、ちゃんと一緒に行けるわ」
その言葉に、プロムは目を伏せ、深く息を吐いた。
次の瞬間、彼らの手の中で《アウリス・クロノス》が脈打つように青白く輝き始める。 その光に呼応するように、足元に積まれた鱗と殻の残滓が淡く明滅した。
「……いいぞ。《アウリス・クロノス》も、ちゃんとこれらを燃料として認識してくれてる」
その言葉に、プロムの顔に安堵と希望が同時に浮かぶ。
雨の音が、一定のリズムで世界を包む。 夜の帳がすべてを呑み込み、ふたりの呼吸さえも静かに混ざっていく。
――だからこそ、彼らは気づかなかった。
森の奥、黒く濡れた枝葉をかき分けて――
突如、ひときわ鋭い視線を放つ影が現れた。
「……プロム、後ろ!」
エオの声が雨を裂く。
振り返るより先に、彼女の視線が捉えたのは、しなやかな四肢、細長い首、鋭い歯。
それは、森の中で何度か目にした“コエロフィシス”に酷似した小型の肉食恐竜だった。
すでに、至近距離。
飛びかかろうとしたその瞬間、プロムは反射的にエオの手を振りほどき、身を翻す。
ざっ――!と風が裂け、恐竜の鋭い爪が空を掻く。
直後、踏み込んだ足が、二人が丁寧に積み上げていた魔力の燃料――恐竜の鱗とアンモナイトの殻の山を一気に崩した。
「くそっ……!」
だが魔導具との魔力反応はまだ途切れていない。
鱗と殻の断片たちは今も淡く脈動し、転移に向けてエネルギーを収束させ続けている。
青白い光が、以前よりも明確な周期で明滅していた。
「これ……どうやって止めるの!?」
「止める機能はつけてないよ!」
プロムの返答は、思いのほかあっさりしていた。
「は!?」
二人の間には、肉食恐竜が割って入っていた。
荒い呼吸を吐き出しながら、獲物を見定めるように視線を揺らしている。
どちらを狙うか――まだ決めかねているのだ。
「このまま転移したら……こいつまで一緒に飛んじゃうんじゃない!?」
エオが息を詰めて叫ぶ。
「大丈夫!転移の条件は、“魔導具に触れていること”に書き換えたから!」
「――!」
その言葉を聞いて、エオの背筋が冷たくなる。
たった今まで繋いでいた、プロムの手の感触を思い出す。
「プロム! それなら、今のほうがまずいわ! 早く手をっ!」
「……あ、本当だ」
間抜けな声で返すプロムの顔は、事態の重大さをまるで今気づいたかのようだった。
「ほんと、あなたって……!」
その間にも、魔導具の明暗は加速度的に間隔を縮めていく。
おそらく転移の“発火点”が、刻一刻と近づいている。
プロムは、静かに――だが確かな意志を持って、波打ち際へと歩を進めていく。
彼の背中を、エオは目で追った。
「プロム、なにを……?」
声をかけても、振り返らない。
「大丈夫! 後から追いかけるから!」
返ってきたのは、いつも通りの調子の声。
けれどその言葉には、根拠も確証もなかった。
夜の闇にその表情は隠れ、エオには何も見えなかった。
だが――その瞬間だった。
彼女の足元から、別の光が生まれる。
淡く、揺らぎながら広がるその輝き。
それは《アウリス・クロノス》のものではない。
もっと柔らかく、けれど圧倒的な存在感を持った光。
――エオの“力”が発動した。
「プロム! 伏せて!!」
視界が拓けた刹那、エオは叫んだ。
だが警告の矛先は、プロムに飛びかかろうとしていた肉食恐竜ではない。
その背後――海面から、黒い影が弧を描いて跳ね上がった。
――魚竜。
巨体が水を切り裂き、宙を舞う。
まるで重力を捻じ曲げられたかのような軌道で。
同時に、エオの放った光が――ふっと、消える。
しかし、辺りは暗闇に沈まなかった。
魚竜の体が、青白い魔力の光に包まれていたのだ。
誰かに導かれているかのように、異様な角度から肉食恐竜へと食らいつく。
鋭い顎が狙いを逸らさず、獲物を咥えたまま宙返りするように――
ふたつの生き物は絡み合いながら、轟音とともに海へと消えた。
ざぱあん、と跳ねる水しぶきが、魔力の光を弾く。
「は、は……やっぱり、重力魔法……だね」
波打ち際で、プロムが呆然とつぶやいた。
その顔には、驚愕と安堵が入り混じっている。
だが次の瞬間、その目が揺れた。
視線の先。
砂に倒れ伏すエオ。
彼女の手からは、魔導具が滑り落ち、砂を打って転がっている。
プロムは、咄嗟に駆け出した。
ぬかるんだ砂に足を取られ、よろけながらも――
「エオマイア!!」
その声には、もはや迷いはなかった。
闇も恐怖も――振り払うように、プロムは走った。