理論と祈りの狭間で
《錬金術》を使ったプロムは、目に見えて疲労していた。
その日はそれ以上の移動はせず、二人は浜辺に留まり、焚き火のそばで静かに過ごすことにした。
焚き火のそば、炎の揺らめきが鱗の破片に淡く映る。
その光を見つめながら、エオがぽつりと口を開いた。
「……あの鱗を核にして、魔石の代替装置を作るのはどうかしら。圧縮構造じゃなくて、層状に魔力を留めるように」
プロムは驚いたように顔を上げ、彼女の言葉に反応する。
「魔力の干渉層を利用するやつ?でも、それって理論上は安定しないんじゃ……」
「不安定なのは境界の魔力揺らぎでしょ。鱗そのものに魔力の流れがあるなら、それを“器”にして外周に強化層を張る。理論上、短期的な蓄積は可能なはずよ」
プロムは真剣な表情で頷いた。
「確かに……でも、その強化層を張るための媒介物がない。鉱物系の触媒があればいいんだけど、ここには」
「水晶も黒曜石もないし、代用できそうな火山性の石すら見つかってない。……土壌にも金属反応が薄いわね」
「魔素含有率が低すぎる。鱗の魔力だけで構造を保てるとは思えない」
エオは歯噛みするように唇を噛んだ。
「……やっぱり駄目ね。現地調達だけで“蓄積構造”を組むのは、無謀すぎる」
「うん。理屈としてはありえるけど、実行は無理だ。
それに……今はもうちょっとでも《錬金術》を使ったら、僕、立ってられないかも」
そう言って、プロムは冗談めかして笑ってみせたが、その顔には確かな疲労の色が滲んでいた。
エオは肩をすくめて、焚き火の炎に視線を戻した。
「分かってる。……ごめん、つい研究者癖が出たわ。目の前に可能性があると、つい試したくなるの」
「気持ちはすごく分かるよ。僕も、似たような理由で身体を壊しかけたことあるし」
ふたりは小さく笑い合いながらも、その笑みに滲むのは、限界を知る者同士の静かな共感だった。
魔石とは、本来、魔力を帯びた生き物の遺骸が、長い時間をかけて変質し、地圧によって圧縮されることで生まれるものだ。
プロムの《錬金術》でそれを再現できないか。
エオはそれも考えた。だが――
(数千万年、数億年かけて出来上がるものを、彼ひとりの力でなんて……無謀よ。彼にだけ、そんな負担を強いるわけにはいかない)
先ほどの毒抜き作業の繊細さを思い出す。
命を支えるために彼が払った集中と魔力の繊細な操作は、確かに彼の体力を削っていた。
波は静かに寄せては返し、時折その中に、あの草食恐竜のものと思しき“鱗”が混じって流れ着いてくる。
エオは長い枝を拾い、波打ち際に向かってそれを差し出した。
水に揺れる、薄く青白い破片。
波にさらわれぬよう慎重に、枝先で掬い上げ、手元に引き寄せる。
「昨日と同じように、夜になれば……あの“殻”がまた流れ着くかもしれない」
プロムが、焚き火の影に揺れる表情のまま、希望を込めて静かに口を開いた。
「そして今日は、この鱗もある」
彼の視線の先、火のそばには、彼らが手元に残したものに加え、波に運ばれてきた“魔力を宿す鱗”がいくつも集まっていた。
薄く透けるその鱗は、焚き火の光にかざすと虹色の輝きを返し、まるで、時空を切り裂くための“刃”のように、鋭く、美しかった。
プロムはそのうちの一枚を手に取り、指先でそっと撫でる。
冷たくて、軽くて、確かな力の余韻を残したその感触に、彼は無意識に息を飲んだ。
「試してみよう。今、ここにあるもので……どれだけの“時間”を飛べるのか」
それは、静かな決意の声だった。けれどその奥には、どこか焦りにも似た感情が滲んでいた。
――もっと早く、もっと遠くへ行ければ。
いつか訪れる終わりを迎えるその前に、彼女を“帰す”ことができれば。
「少しずつでも未来に近づければ、きっと辿り着けるわ」
エオがそう応じた時、彼女の胸にもまた、別の想いが芽吹いていた。
この旅の果てにある“終わり”の輪郭が、少しずつ近づいてきている気がする。
けれど、だからこそ今はこの時間を、大切に抱きしめたい。
そんな、ささやかな願いがあった。
「理論上は、ね」
プロムが笑う。
それはいつもの調子を装っていたが、どこか目を逸らすようにも見えた。
けれどエオは、その不器用な優しさが、言葉よりもずっとあたたかいことを知っていた。
「エオマイアはとにかく祈ってて。時空の先が、海の上とか、火山の噴火口とか……危ないところに出ませんようにって」
「ええ、まかせて。私にはそれしか出来ないんだから」
ふと笑みがこぼれた。
軽口のやり取りは、嵐のような非日常の中で、ほんの少しだけ心を和らげてくれる。
彼らは焚き火の前で肩を並べ、ぽつりぽつりと会話を重ねながら、ゆるやかな時間を過ごしていく。
やがて空が群青に染まり、水平線の彼方から夜が静かに降りてきた。
ぽつり――と、エオの頬に冷たい感触が落ちた。
「……雨」
空を仰ぐと、低く垂れこめた雲の隙間から、細かい雨粒が静かに降りはじめていた。
激しい雨ではない。けれど、それは燻っていた焚き火の赤を、やがてすっと掻き消してしまうほどの、静かな力を持っていた。
火が消える瞬間、エオの胸に、かつて読んだ一冊の図鑑の記憶がふと蘇る。
――かつて、太古の時代。
地球が長い雨に包まれたことがあった。
それは何百万年も続く湿潤な季節で、陸には恐竜が広がり、海では多くの命が消えていった。
空気も、水も、世界のすべてが少しずつ変わっていった――そんな話だった。
この雨がそれと同じ現象かどうか、確かなことは分からない。
けれど、どこか似ている気がした。
静かで、確かで、何かが終わろうとしているような気配。
そして何より――この時代に別れを告げるには、どこかふさわしい天気だと思えた。
「エオマイア、来たみたいだね」
プロムの声が、雨音に溶けるように響いた。
波打ち際から、カチャカチャと乾いた音が聞こえてくる。
その音は、まるで時を運ぶ鐘の音のようだった。
波間に揺れる魔力の“殻”は、今日もまた青白く光を灯し、彼らのもとへ届く。
それはあたかも、二人の進む先を照らす道標のように――
雨の夜を、そっと染めていった。