毒をほどいて
プロムはその鱗の一つを持ち、森の入り口近くへと向かう。
彼の足が止まったのは、一本の低木の前だった。
幹はごつごつと硬く、葉はまるで巨大な緑の羽を広げるように放射状に広がっている。
エオはふと、懐かしさに胸をつかれた。
「……ソテツの木」
小学校の庭。あまり通えなかった日々の中で、それでもふと目にしていた風景。
それと同じ姿が、目の前にあった。
彼女の呟きを聞いたプロムが、振り返りながら微笑む。
「エオマイアの世界では、そう呼ぶんだね。……じつはこの木、食べられるんだ」
言葉の意味をすぐには理解できなかった。
だがプロムの視線は真剣で、同時にどこか茶目っ気も帯びていた。
「……食べられる? 実?それとも、樹皮?」
「実も食べられるけどね。毒抜きが必要だよ。僕が狙ってるのは、幹の部分。……まあ、そこにも毒はあるんだけど」
プロムがいたずらっぽく笑う。
その顔に、エオの強ばっていた頬もようやく緩んだ。
ついさっきまで、命が裂かれ飲み込まれる光景を目の当たりにしていた。
だがこの青年は、そんな中でも柔らかく笑ってみせる。
その在り方に、エオは少し救われた気がした。
「なんだか、大変そうな作業ね。……手伝うわ」
彼女も手にした鱗の破片を刃として握りしめ、プロムの隣にしゃがみ込む。
硬い樹皮に刃を当て、丁寧に削ぎ落としていく。
やがて、現れたのは白く繊維質な幹の内部。
プロムが幹の白い繊維を少しつまんで手のひらに乗せると、どこか満足げに息を吐いた。
「この部分……デンプン質が多くて、ちゃんと処理すれば食べられる。味は保証できないけどね」
「……毒があるって言ってたわよね?」
エオが問いかけると、プロムは軽く頷いた。
「うん、あるよ。この木の実も幹も、神経毒を含んでる。放っておくと、肝臓や中枢神経をやられる。だからしっかり処理しないと、下手すれば死ぬ」
神経毒。その響きに、エオは思わず背筋を強張らせた。
だがプロムの横顔には、恐れではなく探究の光が宿っている。
それはまるで、未知のものと向き合うことを喜びとして受け入れているようだった。
「まずは、削った幹の白い部分を水にさらして、何度も繰り返し洗う。普通なら何日もかけて毒を抜いて、乾かして粉にして使うんだけど……」
そう言いながら、プロムはあらかじめ用意していた水を繊維片に注いだ。
「今回は、僕のギフト《錬金術》を使う。毒成分の構造を分解して、変質させることができる」
エオが見守る中、プロムは削り取った繊維を平たい石の上に広げ、掌をかざした。
次の瞬間、彼の指先から淡い光が流れ出す。
それは繊維の表面を這い、絡みつき、まるで見えない微粒子をひとつずつ丁寧に解きほぐしていくようだった。
淡い光が繊維の奥へと吸い込まれ、やがてわずかに湯気が立ち上る。
まるで毒が“蒸発”していくかのように見える。
だがそれは、《錬金術》による精密な分解と浄化の過程だった。
「神経毒は揮発性が低いから、分解酵素の構造を模した魔力式で働きかけてる。構造を緩めて、無害な成分に変換する感じかな」
説明は専門的すぎて、エオにはすべてを理解することはできなかった。
けれど、その魔力の動きには、確かな理と技術が宿っているのが感じ取れた。
プロムの動きには一切の無駄がなく、何よりも“恐れ”がない。
「……物質の性質や仕組みを理解してないとできないのよね」
「そう。僕の《錬金術》は、“物質の性質を理解して変質させる”ギフトだから。素材の特性を知らなきゃ何もできないし、逆に言えば、知識さえあれば、毒だって武器にも糧にもなる」
その声には揺るぎがなかった。
恐怖ではなく、知ることによって恐れを超える――そんな確信の強さがあった。
エオはしばらくその光景を見つめていたが、やがて小さく息を吐いて言った。
「すごいわ、プロム……魔法っていうより、科学みたい」
「どっちも同じだよ。“わかる”ってことが、なによりの力になる」
その言葉には、ただの知識や魔法ではない、彼自身の信念が宿っていた。
食べられる状態になる頃には、すっかり日が昇っていた。
焚き火のそばで、プロムが処理を終えたソテツの繊維を慎重にまとめている。
光を浴びた白い繊維は、どこか艶があり、見た目はまるで乾いた餅のようだ。
「……これで、たぶん大丈夫。念のため、少しずつ火を通してみようか」
プロムは平たい石を火のそばに戻し、その上に繊維の一部を並べる。
油も調味料もない。ただ、乾いたソテツの芯をそのまま熱で炙っていく。
やがて、繊維の端がうっすらと焦げはじめ、かすかな香ばしい匂いが立ちのぼった。
エオはその匂いに顔をしかめる。
「……なんだか、紙を焼いたときの匂いに似てるわね」
「うん。でんぷんは熱を加えると、そういう匂いが出るんだ。でも、それはちゃんと加熱されてる証拠でもある」
火の熱で乾燥した繊維は、外は少し焦げ、内側はもちっとしていそうに見えた。
プロムがそれを小さな木の枝でつまみ上げ、そっと息を吹きかけてから、慎重に口へ運ぶ。
しばらく咀嚼してから、小さくうなずく。
「……苦くない。たぶん、大丈夫」
その言葉に、エオも安心して一口をもらい、口に運んだ。
口の中に広がるのは、淡い甘みと、根っこのような土っぽさ。
ふわりとした食感のなかに、ほんの少し、焦げた部分のカリッとした歯ごたえが混じっている。
「……どこか懐かしい味。野外炊飯のときに焦がした芋の端っこ、みたいな味」
「僕は結構好きかも。身体が“栄養だ”って反応してる気がする」
そう言って笑うプロムの声には、どこか子供のような無邪気さがあった。
毒をも糧に変える知識と技術。それが、この過酷な世界を生き抜く手段になる。
エオはもうひとつ手に取り、今度はゆっくりと味わうように口へ運ぶ。
焦げた匂いの奥に、確かに生命を支える力があった。
「でんぷんはね、消化されると糖に変わる。つまり――僕たちの最大の武器、頭脳の燃料になるんだよ」
プロムはそう言って、わずかに得意げに笑った。
「こんな食べ方、想像したこともなかった」
「僕も。でも生きるって、そういうことだよね。どこにでも、使えるものはある」
ソテツの繊維を少しずつ口に運びながら、エオはふと湧き上がった疑問を口にした。
「ねえ、プロム。よくこんな複雑な処理方法を知ってたわね。いくら《錬金術》で再現できるって言っても……本で読んだだけの知識には思えなかった」
プロムは一瞬、手を止めた。
小さく息をついてから、焼けたソテツを見つめるようにして呟く。
「……昔、おばあちゃんに教わったんだ。一緒に作ったことがあってね」
その声には、どこか懐かしさと少しの陰りが混じっていた。
「僕の家、けっこうな田舎でさ。飢えるほどじゃなかったけど、食べ物に困った時期があったんだよ。山や庭にあるものを、どうやって食べるかっていうのが――生きる知恵だった」
思いがけず、重たい記憶に触れてしまったのかもしれない。
エオは胸の奥に、わずかな痛みが広がるのを感じた。
「……ごめんなさい、そんなこと聞くつもりじゃ……」
「いいよ、大丈夫。もう昔のことだから」
プロムはすぐに笑顔を取り戻し、焚き火の炎を見ながら肩をすくめた。
「それに、こうして役に立ったなら、おばあちゃんに感謝しないとね」
エオは静かにうなずく。
「ええ。私も、あなたのおばあさまにお礼を言いたいくらいだわ。命の恩人よ」
「うん……でも、もっと美味しく食べる方法を聞いておけばよかったなぁ。どうせなら、パンケーキとか、クッキーとか……」
明るく冗談めかすプロムの声に、エオの口元にも自然と笑みが浮かんだ。
焼けたソテツの素朴な香りとともに、焚き火のまわりには、やわらかい空気が漂っていた。