海より跳ねる者
海へと腰を下ろした巨体の恐竜を、エオはじっと見つめていた。
魔力を帯びた鱗が、朝の光を受けて淡く揺らめく。静かな海と、波音だけが辺りを包み込んでいる。
その静けさのなかで――違和感が生まれた。
波の音に紛れて、小さな水音とは異なる“何か”が、耳の端に引っかかる。
プロムが何か言いかけたのと同時に、その音は唐突に途切れた。
エオが瞬きをした、その次の瞬間だった。
海面が爆ぜる。
水飛沫とともに、異様な影が跳ね上がった。
鋭く湾曲した顎。滑らかな肌。
――魚竜だ。
イルカにも似た流線形の体を持つ、しかし遥かに巨大なそれは、プラテオサウルスに似た恐竜の長い首に食らいつき、音もなく海へと引きずり込んだ。
魔力の光を放っていた巨体が、水面に呑まれていく。
青白い鱗と血の飛沫だけが、その死を証明するように、海上に残された。
次の瞬間には、すべてが嘘のように静まり返っていた。
波音がまた、何事もなかったかのように寄せては返す。
プロムが息を呑む気配が隣にある。
エオの鼓動もまた、胸の内で打ち鳴らされていた。
「……海棲の捕食者」
彼女は、震える声で言葉を発した。
その姿は、彼女の記憶にあるイクチオサウルスやショニサウルスに似ていた。
海の生き物。おそらく陸には上がってこない。
――だが、問題はそこではない。
「あんな巨体が……どうしてあの浅瀬にまで」
波打ち際は深くないはずだった。
それなのに、あの魚竜はまるで重力など存在しないかのように、海中から宙を翔けた。
地形を無視するような動き。その存在が、ただの恐怖を超え、異質な脅威として刻まれた。
「……あれ、魔力を使ってたんじゃないか?」
プロムがぽつりと呟いた。
「跳ね上がる直前、海水が浮いてた……重力が歪んだみたいに見えた。あれは、身体能力だけじゃ説明がつかない」
エオはその言葉に息を詰めた。
確かに、ただの魚竜ではない。
この世界で魔力を持つ生物が進化すれば、物理法則に反した動きをしてもおかしくはない。
海には血のにじむ跡がまだ薄く残っている。
そしてその中に――淡く光る“かけら”がいくつか、砂浜に打ち寄せられていた。
エオは先に立ち上がり、迷いなく歩み寄った。
それは、あの恐竜の鱗だった。
透けるように薄く、しかし強く、辺縁が鋭く反っている。
手に取った瞬間、びり、と皮膚が反応する。
魔力が、確かに宿っている。
「ナイフ……いや、刃に使えそう」
エオの呟きに、すぐ後ろでプロムも拾い上げる。
「軽いけど、硬い……加工しだいで武器にも道具にもなりそうだ」
プロムが拾い上げた一枚の鱗は、ちょうど手のひらに収まるほどの大きさで、端が自然に割れ、刃のように尖っている。
恐竜の死は恐怖だった。
だが今の彼らにとっては、命を繋ぐ糧でもある。
それがこの世界の現実だった。