命をつなぐ実
翌朝、二人は早速“時空転移”の準備に取りかかった。
どれほどの“燃料”で、どれほどの距離や時間を飛べるのか。
それは全くの未知数だった。
殻に残る魔力の総量も、使い方も、手探りでしかない。
「とにかくできるだけ多く集めよう」
そう考え、夜明けとともに浜辺を再び探し回った二人だったが、光っていた殻たちは、すでに蒼い輝きを失っていた。
魔力は、時間とともに失われてしまうのだ。
それでも、希望の灯は消えていなかった。
エオは殻の一つを拾い、じっとその表面を見つめながら呟いた。
「……この魔力を、何かに固定できないかしら」
「魔石を模して作ろうとしてた研究がある。人工的な再構成ができれば……でも、材料が揃えられるかが一番の問題だ」
プロムも応じながら、焚き火の脇にしゃがみ込む。
そうして熱のこもった議論を交わしていると、
ぐう、と二人の腹が同時に鳴った。
「……早急に解決すべき問題があるね」
「同感だわ」
魔力や知識はあっても、空腹には勝てない。
水分は確保できていたが、体力はすでに限界に近づいていた。
プロムは苦笑しながら立ち上がると、腰に巻いた白衣の裾から何かを取り出した。
「昨日、拾ってたものがあるんだ。食べられるかは分からないけど……」
手のひらには、丸い実がいくつも転がる。色も大きさもバラバラな、見知らぬ果実たち。
エオはそれを見つめながら眉をひそめた。
「毒があるかもしれないわ。そもそも、私たちの体に合わなければ、消化できずに逆に体力を奪われることになる」
彼女はひとつひとつ、形や表面の質感を注意深く観察する。
プロムはそれでも強引に口にしようとするように、軽く笑って言った。
「それでも、何も食べなければどうせ死ぬことになる……だったら僕が先に――」
「待って、プロム」
エオはその言葉を遮るように手を伸ばした。
その目が、一つの実に吸い寄せられていた。
「これ……イチョウの実。銀杏に似てるわ」
手に取ったその実は、確かに彼女の記憶にある、秋の香りとともに落ちていたあの形をしていた。
あの世界にあった銀杏の木。まさかこの世界にも似た植物があるとは思っていなかった。
「火を通せば、食べられるはず」
少しずつよみがえる感覚と、手のひらにある小さな命。
エオの表情に、確かな確信が灯る。
プロムもそれを見て頷き、小さな火を再び灯す。
熱した平たい石の上に、ヒビを入れた銀杏を殻ごと並べる。
パチパチと音を立てながら、実は少しずつ炒られていく。
小さな実は、焦げるような香りとともに、二人の命をつなぐ希望へと変わっていく。
「銀杏はね、呼吸器の薬にもなるけど、食べ過ぎると中毒を起こすのよ」
エオは火に目を向けたまま、ぽつりと口にした。
どこか遠い記憶が、煙の匂いに揺らされる。
咳に効くからと、寒い日の朝に母が食べさせてくれた。あの、懐かしい味と香り。
やがて火が通った銀杏を、エオは小枝の先で殻から取り出す。
プロムが海水から取り出して乾かした白い結晶――塩を少し振りかけると、かすかな香ばしさが鼻をくすぐった。
二人は顔を見合わせ、そっと一つずつ口に運ぶ。
「……毒は、ないみたいだね」
最初、プロムは熱で立ちのぼる独特の匂いに顔をしかめていた。
だがすぐに、もう一つを手に取って口に入れる。
「独特な味だね。美味しい……とは言えないけど、こんなに美味しいもの、初めて食べたよ」
「なにそれ、矛盾してるわよプロム」
「でも、言いたいことは伝わるだろ?」
「……まあ、そうね」
銀杏の苦味と熱で香ばしくなった匂いが、どこか懐かしい。
量は少なく、とても満腹にはならない。
けれど、この世界にも、生き抜く方法がある。
そう思えることが、何よりの希望だった。
ほんの少しだけ食欲が満たされて、エオはようやく肩の力を抜いた。
銀杏の苦味と香ばしい後味が、空腹の底にじわじわと広がっていく。
朝の陽射しが、森の木々の隙間からちらちらと揺れていた。
だが、風の匂いが変わった。
土を踏みしめる重い音。繰り返される震動。
エオは思わず顔を上げた。
その瞬間、木々の合間から巨大な影が姿を現す。
背の高い木々の間を、ゆっくりと押し分けるように現れたそれは――
まるでプラテオサウルス。
けれど、はっきりと違っていたのは、頭部から背中にかけて覆う鱗が朝の光を受けて淡く輝いていることだった。
青白い光が、体の内側から滲むように発されている。
ひとつひとつの鱗が、まるで薄い水晶のように透け、魔力の粒子が反射して瞬いていた。
「……プロム、見て」
囁く声が、自分でも驚くほど冷静だった。
プロムも振り向き、次の瞬間にはその場に立ち上がっていた。
その生物は、焚き火に気づいたのか、それ以上は近づかずまっすぐに、浜辺へと向かっていた。
「断定はできないけど……草食の可能性が高いわ。目や足の構造も、動きも……」
エオは目を細め、注意深くその姿を観察する。
どこか遠くで聞いた知識を、ひとつずつ照らし合わせていくように。
「そうであるように願ってくれ……」
プロムの声は不安げだったが、どこかその奥に、好奇心の熱も潜んでいた。
「でも、海へ向かうなんて……なぜ?」
「もしかしたら体温調整……それか、寄生虫を落とすためかも」
エオの思考はすでに、観察と分析に入っていた。
波打ち際まで歩いたその恐竜は、少しだけ迷うように首をめぐらせると、やがて足を折って海に腰を沈めた。
冷たい海水が鱗の隙間に触れ、朝の光を受けて青い閃光がさざ波に揺れた。
この世界の命は、脅威と美しさを同時に宿している。
恐ろしいはずの巨体も、今はただ、自然の一部としてそこに在る。
エオは、言葉を失ったまま、朝の海とその神秘を、静かに見つめていた。