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恐れと好奇、そして希望

歩き慣れない森の道は、想像以上に苛酷だった。

フィールドワークの経験はあるものの、基本的に研究室に籠もることの多い二人にとって、この移動と探索は体力を削る試練だ。


「水は問題ない、すぐそこに川が流れてる」



森を抜けた先を指差しながら、プロムが言った。



「川の中に……魚のような生き物とか、貝に見えるやつがいたよ」



見つけた生物をあえて“魚”や“貝”と断定しないその言い回しに、プロムの慎重さが表れている。



「食べ物については、とりあえずそれらを試してみよう。君のギフトがあれば毒に当たる可能性を避けられる……って、冗談だよ?」



軽口を叩くプロムに、エオは難しい表情を浮かべた。


《可能性の灯火》は、可能性がゼロでない限り未来を叶えることができる――が、それは叶えたい未来が“どれだけ現実的か”にもよる。

そもそも、その確率すら分からない対象を選ぶのは、命を賭けるに等しい。



「そもそも、川に不用意に近づくのは危険だわ。この森には、あの大きなやつの他に……あいつよりは少し小さい、すばしっこいやつがいる」



エオは鋭く言った。



「君も、やっぱり気づいた? 実は見たんだよ、君が目覚める前に」



プロムは肩をすくめ、あっさりと口にした。



「大きさはあの巨大なのの半分くらいで、細身の体。尻尾が長くて、口の中には……ノコギリみたいな細かい歯が並んでたな」



エオは即座に記憶を探り、恐竜図鑑の一頁を思い浮かべる。



「それ、コエロフィシスに似てる。三畳紀後期の小型肉食恐竜……集団で狩りをする習性があったかもしれない」



そこで、彼女はふと顔を上げ、真顔で尋ねた。



「……それって、口の中が見えるほど近づいたってことよね。よく無事だったわね」



「うん、たぶんあいつ僕のこと、普通に食べようとしてた」



プロムはなぜか得意げに言った。



「もうだめかと思ったけど、そこでひらめいたんだ。“動物は火を恐れる”って」


そう言って彼は、指先にふわりと小さな炎を灯して見せる。

魔法の才能がほとんどないプロムにとって、これは精一杯の“魔法”。

実験装置に火をつける程度の火力にすぎない。



「それを、やつの鼻先に突き出したらさ、驚いた顔して一目散に逃げていったよ」



エオは呆れたように肩をすくめる。



「……それは、よかったわね」



けれどその表情には、少しだけ笑みが浮かんでいた。

プロムの軽薄そうな態度の裏に、彼なりの勇気と知恵があることを、エオは知っていた。


二人は、当面の拠点を森の入り口――海が見える開けた場所に定めた。

決して最適とは言えないが、見通しの悪い森の奥であの肉食恐竜と鉢合わせるのは危険すぎる。

それに、火を焚くにはある程度の風通しと安全な視界が必要だった。


森を歩き回って集めた木の枝や葉を一か所にまとめると、プロムは大きな葉を丸めて作った器をエオの手にそっと持たせた。



「よく燃えるように、水分を取り出すよ」



プロムが手をかざすと、青白い光が夜の気配を滲ませ始めた空気の中でふわりと灯る。

彼の《錬金術》によって水分を抜かれた植物は、乾いた音を立ててすぐに火がついた。

器の底には取り出された水がわずかにたまり、それを二人で分け合う。


食べ物はまだ確保できていないが、喉の渇きを潤せるだけでも救いだった。

夜になっても空気はむしろ蒸し暑く、焚き火は暖を取るためではなかった。

それでも二人は、その小さな灯りのそばを離れずにいた。

炎の明かりが、心を落ち着けるための拠り所のように思えたからだ。


しばらくの沈黙のあと、プロムがぽつりと口を開いた。



「コエロ……なんだっけ? あのすばしっこいやつ」


「コエロフィシス?」


「そう、それそれ。君のいた世界の生き物って、なんでそんな覚えにくい名前ばかりなの?」


「そうでもないわよ。でも……なんでかしらね」



エオが小さく笑う。

彼女の“十年だけ生きた世界”の知識は、細かな生態や分類よりも、見た目や印象に強く結びついていた。

それも無理はない。今の彼女にとって、エオとして過ごしてきた時間の方が遥かに長いのだから。



「たとえば発見者の名前とか、その恐竜が発見された土地の名前がついてることが多いわ」



その言葉に、プロムは興味深そうに目を輝かせた。



「じゃあ、もしこの時代で僕らが何か新種を見つけたら……その名前になれるかも、ってこと?」


「ええ、そうかもね」



エオは肩をすくめながらも、どこか楽しそうに火を見つめる。


ふと、エオは自分の白衣のポケットに何かが入っていることに気づいた。

指を差し入れると、そこから取り出されたのは、一冊の古びたノートだった。



(……これ、研究室で見て、そのまま……)



思い出す。前世の記憶を取り戻したあの日、失わぬようにと繰り返しページをめくったあのノート。

生き物たちの名前、特徴、スケッチ――。

彼女の記憶を繋ぎとめるために、何冊にもわたって書き記してきた“記録”の最後の一冊だった。


しかし、そのノートのほとんどは空白だった。

数ページだけ埋まったその先には、何も描かれていない広い余白が続いていた。



「プロム、このノートに……私たちがこの世界で見た生き物を記録していこう」



エオは焚き火の明かりを背に、そっとその提案を口にする。

プロムは一瞬目を見開いたあと、楽しげに頷いた。



「いいね、それはすごく楽しそうだ」



彼は焚き火の中で燻っていた炭化した植物に手をかざし、青白い光を灯す。

小さな輝きが消えた後には、黒く細長い一本の鉛筆が残されていた。



「書き味は期待しないで。あり合わせの材料で作ったんだからね」


「そんなこと気にしないわ。この世界で初めて作られた道具を使えるなんて、むしろ光栄よ」



二人は焚き火のそばに座り、今日見かけた生き物の姿を思い出しながら、スケッチを始めた。

プロムの大げさな身振りと独特の命名センスに、エオは何度も笑ってしまう。

そのたびに、不安は少しずつほどけていった。



そんな時だった――。



カチャ、カチャ……と、硬いものがぶつかり合うような音が風に混じって聞こえてきた。

エオが顔を上げると、波打ち際に淡く光る蒼い光が揺れていた。

それは、夜の闇の中でも目を凝らさずに歩けるほどに明るい光だった。



「……なに、あれ……」



思わず呟いたエオの声とは対照的に、プロムは目を輝かせて立ち上がる。



「見に行ってみよう!」



不安げにその背中を見送る暇もなく、プロムは波打ち際へ駆けていく。

エオは慌ててその後を追いかけた。



「エオマイア! すごいよ、これ全部、生き物の殻だ!」



波のきらめきの中でプロムが声を上げる。

エオもその光の中で、小さな一つを手に取った。


それはすでに砕かれ、中身のない殻だったが――彼女の記憶が即座に呼び起こされる。

螺旋を描いたその形。古生代から中生代にかけて繁栄し、世界中で化石が発見される存在。

その形は、まさに――



「アンモナイト……」



呟くエオに、プロムが横から覗き込みながら言った。



「この殻はそういう名前なんだ。中身も……生きた状態で見てみたいね」




プロムがそう呟くのを聞きながら、エオは手のひらの上にある渦巻き状の殻を見つめた。

前世の記憶にある“アンモナイト”は、こんなふうに光ることはなかった。

実際に見たわけではないけれど、教科書にも図鑑にも、こんな記述はなかったはずだ。



――やはりここは異なる世界。似て非なる生き物たちが生きている。



「何のために光ってるんだろう。求愛?……でもそれなら、死んでからも光り続けてるのは不自然だね」



プロムの推測に、エオははっとして顔を上げた。



「……警告かもしれないわ。仲間への、危険の合図」



砂浜には、中身のない殻がいくつも打ち上げられていた。

その一つひとつが、静かに青白い光を放っている。

命を終えてなお、何かを伝えようとするように。


エオの言葉に呼応するように――

海の向こう、闇に沈む水平線の向こう側で、水飛沫が高く跳ね上がった。

何か、巨大な影が一瞬だけ姿を見せたのだった。



「その考え、面白いね。この海にも、僕たちが知らない生き物がまだまだいるってことか」



プロムはそう言って、いくつかの殻を手早く拾い上げた。

そしてエオとともに、念のため焚き火のそばへ戻る。


二人は火の明かりのもと、集めた殻を改めて見つめた。

すると、ふと気づく。目に見えるだけではない“反応”があることに。



「……ねえ、エオマイア。この光る殻、魔力が残ってる」



プロムの声はわずかに熱を帯びていた。

魔石――それは、魔力を帯びた古代の生物の遺骸が、長い時をかけて結晶化したもの。



「魔力……!この殻をたくさん集めれば……」



エオの目に希望が灯る。


プロムは懐から《アウリス・クロノス》を取り出し、指先でそっと表面を撫でた。

それは懐中時計のような、小さな魔導具。



「動かせるかもしれない。今度は“未来”に向かって――」



焚き火の光と、殻の蒼い輝き。

それは、二人の胸の中に芽生えた新たな可能性を、そっと照らし出していた。


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