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出発の予感

高原を渡る風が、研究所の白壁をかすかに揺らしていた。

エオ・マイア・アニングは、規則正しい魔力測定装置の音に囲まれながら、静かに机に向かっていた。


魔石とは。

光、熱、風、命の痕跡を蓄えた「魔力」の結晶。

それはかつて滅んだ古代文明の遺産であり、失われた魔導術の核心であり、そして現代の魔道具の根幹でもある。

この世界において、魔法を学び、魔石を研究することは確かな意義があった。



……それでも。



エオの視線は、ふとした拍子に窓の外へと彷徨う。

整然と並ぶ研究棟、管理された花壇、白衣姿の同僚が通路を横切る姿。

すべてが整っていて、まるで実験装置の中に生きているかのような息苦しさがある。



――ちがう。

どこか違う。何かが、足りない。



そっと机の引き出しを開ける。

取り出したのは、一冊の古びたノート。

ページをめくると、鉛筆で描かれた稚拙なスケッチが現れた。


肉厚な脚、鱗、羽毛、しなやかな尾。

幼い字で書き込まれた分類名と、学名。



エオは指でそのページをなぞる。

懐かしいその文字と図に、胸の奥がほんのりと温かくなる。



前世――それは日本で彼女が「舞亜まいあ」と呼ばれていた頃。

病弱で、外で遊ぶこともあまりできず、病院のベッドで過ごす日々。

そんな中で心を躍らせたのは、分厚い生き物図鑑だった。

とくに、遠い昔に存在した古代生物たち。



漫画やゲームよりも心を掴まれた、名前も姿も異質なその存在たち。

少女はそれらを何度も読み返し、覚え、描いた。

そして――

死の間際に、心の底から願ったのだ。



「丈夫な体で生まれたなら、古代の世界を探る研究者になりたかった」と。



その願いが神に届いたのか――

この世界で生まれ変わった彼女は、十歳の誕生日にすべてを思い出した。



前世の記憶。自分が転生者であるという事実。



この世界には時折、別世界からの転生者が現れる。

彼らは神の恩寵を受けし存在として特別視されている。

エオも例外ではなかった。

皆が等しく一つの《ギフト》と呼ばれる才能を与えられる世界で、彼女の《ギフト》は優秀だった。

転生の事実を家族に告げた時、両親は戸惑いながらも受け入れ、やがて国からの支援によって高等な教育を受けられるようになった。


そして今。

エオは国立魔法研究機関の一員として、魔石や魔導術の研究に従事している。


彼女の《ギフト》は、「可能性の灯火かのうせいのともしび」。


――わずかでも可能性が存在するならば、望んだ結果へと導く。

選択の岐路に立ったとき、その先を照らす、細く揺れる導きの火。


それは、研究における最適な手段や成果を直感的に導き出す力となり、

魔石生成や魔力変質の研究では多くの成果をもたらしてきた。


それでも――

心の奥では、いつもくすぶる想いがあった。


今の仕事は嫌いじゃない。

でも、彼女が心から望んでいたのは……



“生きているもの”だった。



熱を持ち、息をして、互いに干渉し、進化していく生命の姿。

図鑑でしか知らなかった存在たちが、実際に動く姿を見せてくれるなら。


そんな想いに沈んでいたとき、扉がノックされた。



「やあ、エオマイア。ちょっと面白いものができたんだけど、見ていかない?」



銀白の髪を揺らしながら現れたのは、同僚のプロム・メティア。

中性的な顔立ちに、淡く紅い瞳。

研究所ではひときわ異彩を放つ存在だった。

彼はいつも研究者らしからぬ格好で、エオの机の上に気軽に腰をかける。


転生者たちは、現世の名と姓の間に前世の名を挟むことが多い。

それは記憶の証であり、過去を忘れないための楔のようなもの。



プロムは時折、わざとらしく彼女を「エオマイア」と呼ぶ。

からかいとも愛称ともつかぬその呼び方に、エオはいつも微妙な反応を返す。



「新しい魔導具?」



彼女が興味と警戒の入り混じった視線を向けると、プロムはにやりと笑った。



「うん。――時空、越えちゃうかもしれないやつ」



その一言で、エオの胸の奥にあった小さな灯火が、ふっと揺れた。



「……時空を、越える?」



エオは、思わず問い返した。

声のトーンは抑えたつもりだったが、眉がぴくりと上がってしまっていた。



「うん、まあ理論上ね」



プロムは、いつものように飄々とした調子で言いながら、研究用の外套を軽く払って立ち上がった。

その仕草が妙に優雅で、どこか演劇の一幕を見ているようだ――と、エオは内心で呟く。


銀白の長髪はゆるく波打ち、淡い紅色の瞳が光を受けてぼんやりと揺れている。

どこか人工めいた、あまりにも整いすぎた容貌。

エオは時々、思うことがあった。



(……本当に、私と同じ年なんだろうか?)



年齢だけを見れば、プロムは「20歳(自称)」ということになっている。

だが、研究所に初めて配属された頃から、彼はすでに“ベテラン”と呼ばれていた。

理論魔術、変性魔導具、魔素の可視化といった複雑な分野を軽やかに横断し、指導員たちですら彼に助言を求める始末。

その一方で、彼の素性や過去については誰も詳しく知らない。

まるで、気がついた時にはもうそこにいたような存在――



「……エオマイアさん、考え込んでる?」



ふいに名前を引き伸ばして呼ばれ、エオは軽く睨んだ。



「その呼び方、やめてって言ったわよね」


「でも、響きがいいじゃない? エオとマイア、両方の名を大事にしてる感じがするし」


「私が名乗ったときには、長ったらしいって言ってたくせに」


「うん。でも僕が言うと、それっぽく聞こえるでしょ? ――天使の名前みたいに」



口元に笑みを浮かべてからかうように言うプロムに、エオは小さくため息をついた。



「……それで? 時空を越えるって、具体的にどういうこと?」


「実物を見てもらったほうが早いかな」



そう言って、プロムは懐から小さな物体を取り出した。

掌に収まるほどの、金属と魔導石でできた懐中時計のような器具。

盤面には幾重もの環が重なり、中心には水晶体がはめ込まれている。



「名付けて《アウリス・クロノス》。“耳”と“時間”という意味で……まあ、聞き取るように時間を掴むって意味。かっこいいでしょ?」


「ふざけてるの?」


「少しだけ。でも、これは本当にすごいんだ。

微弱な魔素の振動を拾って、局所的な“時間の残響”を再構成できる。うまくいけば、数分前や後の世界を直接“観測”できるかもしれない」



プロムの瞳が、めずらしく真剣な色を帯びていた。



「もちろん、まだ完成品じゃないけど……ほら、君の《ギフト》の力を借りれば、もう少し先に行ける気がしてさ」


「……それって、つまり実験台になってほしいってこと?」


「うん、ざっくり言うとそう」


「もうちょっと丁寧にお願いできないの?」


「エオマイアのために、とっておきの冒険を用意しました。どうぞご参加ください、って感じ?」


「そういうの、ふざけた態度っていうのよ」



口ではそう言いながらも、エオの胸の奥では小さなざわめきが広がっていた。

数分先や過去の未来を直接“見る”。

もし、それができるなら――

もし、それ以上の“時”を越えられるなら……?



「……実験はいつ?」


「今から」


「ずいぶん急なのね」


「エオマイアは自分が歴史を塗り替えるような大発明をしたかもしれないのに、誰にも見せずにどのくらい我慢できる?」


「それは、難しい質問ね」



不安と期待の間で揺れるエオの表情を、プロムはおもしろがるように見つめていた。



「君の《ギフト》があれば、望んだ未来にだって届くかもしれない。それって、ワクワクしない?」



ワクワク――

確かに、彼の言葉は軽かった。

だが、その奥に、どこか幼さにも似た好奇心が垣間見える。


エオは、もう一度アウリス・クロノスを見つめた。

その小さな懐中時計の中心で、水晶体がわずかに揺れていた。



「……わかった。見るだけなら、付き合ってあげる」


「やった。じゃあ、さっそくラボへご案内!」



プロムが軽やかに歩き出す。その背を追いながら、エオは小さくつぶやいた。



「……本当に、あなたって偉大な研究者には見えないわね」


「え、それ褒めてる? けなしてる?」


「どっちでもない」



その言葉の真意を聞き返すことなく、二人は研究棟の奥――魔導具試験室へと歩いていった。


その扉の向こうに、まだ誰も知らない“旅”が待っているとも知らずに。



余り長くならない予定です。

誤字訂正しました。

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