きっとずっと未練だけ
「じゃあ、何が残ると思ってたの」
「何かを断ち切るべきか悩んだとき、かけた時間だけが未練なら、その関係はもう終わりだと思うようにしてる」
そう口に出したのは、数年前の私だったと思う。
どこかのカフェで、グラスの底に残った氷をカラカラ鳴らしながら。
少し大人びた顔をしていた。
悟ったような、どこか上から目線のような顔で。
だけど最近、その言葉が自分に返ってくるようになった。
ブーメランのように、正確な角度で頭に突き刺さる。
痛みはじわじわとしていて、抜くこともできない。
私はあのとき、たぶん、自分がそれを言われる側になる未来なんて、まるで想像していなかった。
人間関係。
友達。
恋人。
職場の人。
家族。
何かを続ける理由に「時間」が入ってくるのは当然だと思ってた。
5年の付き合い、10年の縁、幼馴染、親子……そういうものは、何となくそれだけで特別だと思ってた。
でも、いつからだろう。
それらがすべて、重荷になっていった。
会いたいと思えない。
けれど「長い付き合いだから」と会ってしまう。
言いたいことが言えない。
でも「昔から知ってるから」と黙ってしまう。
本当はもう関係が崩れているのに、「こんなに時間をかけてきたんだから」と繋ぎ止めてしまう。
私の人間関係は、もうとっくに死んでいるのかもしれない。
でも私は、その亡骸にしがみついている。
愛しているわけじゃない。
信頼しているわけでもない。
ただ、「ここまで一緒にいた」という事実が、すべての判断を鈍らせる。
ふとした瞬間、LINEの履歴を見返す。
3年前のやりとり。
学生時代のグループトーク。
既読がついたまま返事のないメッセージ。
画面の中の言葉たちは、もうどこにも繋がっていない。
ただ、あったという証明のように存在している。
誰も悪くない関係が壊れるとき、一番苦しいのは、明確な終わりがないことだ。
喧嘩もしていない。
裏切られたわけでもない。
ただ、なんとなく、話さなくなった。
会わなくなった。
それでも、「また今度ね」と言ったまま、もう何年も会っていない人が何人もいる。
それでも、私のスマホには彼らの連絡先が残っている。
消す勇気がないわけじゃない。
消した瞬間、かけた時間までもがゼロになってしまう気がするから。
かけた時間。
積み重ねた日々。
それが未練になることを、自分で選んでしまっている。
本当は気づいている。
もう、笑い合えない。
もう、言葉が届かない。
もう、隣にいても寂しい。
なのに、私はその全部に目をつぶって、ただ「長く続いたから」という理由だけで、扉を閉めることができない。
未練って、こんなにも地味で、こんなにも静かで、こんなにもやっかいだ。
映画みたいな激しい別れじゃない。
泣き崩れるような感情の爆発でもない。
ただ、ある朝、ふと、「もう一緒にいられないかもしれない」と思ってしまうだけ。
もし、かけた時間を全部なかったことにして、ゼロから関係を見直せるなら。
私は今、誰と残っていただろう。
たぶん、誰もいない。
それに気づいたとき、自分で思わず笑ってしまった。
笑えないくせに。
結局、私のまわりに残っている関係は、全部、時間で繋がっているだけだった。
思い出があっても、それは過去のもので、今の私に優しくしてくれるわけじゃない。
だけど、私はまだそこに縋っている。
まるで、それ以外に縋るものがないみたいに。
本当はわかっている。
かけた時間は、関係の「価値」ではなく、「重さ」だ。
価値があるなら、時間なんかなくても、繋がれるはずだった。
でも私には、価値を感じる余裕も、見極める力も、もう残っていないのかもしれない。
だから私は今日も、同じようなメッセージを打ちかけては、送らずに消す。
会う予定を立てかけては、キャンセルして黙る。
ただ、「関係が終わった」ことを自分からは言わずに、風化するのを待っている。
それが一番、罪悪感が少なくて済む方法だから。
もし明日、このすべてを断ち切ったら。
私の人生は、いったいどれだけ軽くなるだろう。
それとも、空っぽになって、風に飛ばされてしまうだろうか。
どちらにしても、その想像をしてしまった時点で、もう答えは出ている。
たぶん、私はもう、誰の隣にもいられないんだと思う。
 




