人を呪わば何とやら…。
今更の話になるが人間とは既成概念に支配される事を喜ぶ生き物である。
ここで言う既成概念とは社会的な地位に付随する価値観ではなく、もっと否定的な要素を含む代物で過去の失敗が原因で生まれた心理的外傷一般の事だ。
これらをなぜ不確定な事柄として列挙するかといえば、その理由は全て(※原因)が全て(※心理的外傷による副産物)そうでは無いからである。
私自身上手く説明できる自信は無いのだが、強いて言うならば偶然そうなってしまうという稀有な例が存在する。
偶発的に生まれた既成概念という物はジンクスや縁起といったオカルトの類に属し、人間の手では多くの場合どうする事も出来ない。
喉の奥に突き刺さった魚の骨のようなもので時間の経過に任せるか、奇跡が訪れる事を祈るしかないだろう。
以前の私のしょうもない話で語ったようにこれもまたある種の通過儀礼に過ぎないので肩の力を抜いて聞く方が良いだろう。
まず始めに私は人間という生き物が心理的外傷を克服できないと決めてかかっている。
人間は何かをする時に限ってこの出っ張りに躓き、転んでは前に進もうとする。
もしもそういった経験が無いと考えている人間の多くは、よほど感受性が鈍いのか或いは人生経験が浅いだけの話だ。
無駄に人生の時間を費やしてきた私が一つだけ言えることは、失敗や挫折を経験していない期間が長ければ長いほど後になって体験するそれらはとても重いものになる。
間違っても自分だけそういった不祥事に巻き込まれないと考えてはいけない。
人生は常に誰にでも平等な不幸を与えるのだ。
故に”若いうちは苦労を買ってでもしろ”という年寄りの余計なおせっかいはつくづく嫌味な物だと私は考える。
まさにその通りなのだ。
厄介な話になるが、人生において苦労は情報として共有できるが体験としては共有出来ない。
どれほど上手く自分の苦心に満ちた話を心許し合える友人に語ったとしても真面目そうに聞きながらおそらく内心では”耳にタコができるほど聞かされた”と辟易している事だろう。
いくら親友とはいえ弱い自分をさらけ出すのはほどほどに。
では偶発的に発生する負の既成概念に対して、能動的或いは自発的に発生する既成概念をどうすべきか、という話をしよう。
多くの場合はこういった障害は自力で克服すると考えるのがより良い方法なのだろうが人間はそれほど優秀でも強靭な生き物でもない。
例えばそれは動物の天敵関係に良く似ていて、人間には先天的に得手不得手という物が必ずある。
また体調管理という物も是に関わっていていつも全力を出せるというわけではない。
少し下世話な話になるが女性は生理不調で健康のバランスを崩しやすい、という例が一番分かりやすいだろうか。
故に人は万事全力かつ誠心誠意というわけには行かない生き物だと仮定した上で負の既成概念についての考察を進める。
多くの場合、負の既成概念に一度支配されると人間は何をやっても上手くいかないと考えてしまう。
こういった観念に一度囚われてしまうとどんどん深みに嵌って行き、果ては自分に対して何も希望を抱く事が出来なくなってしまうのだ。
現代のマイナス査定主義に偏重した社会の良くないところはタダの一介の失敗で他者を無能とこき下ろす点だろう。
数多くの要素が複雑に絡み合って成功と失敗が結果として生じているのだから、一度の失敗で他者を無能とこき下ろすのは早計だと思われる。
ゆとりを持てなどと悠長な話をするつもりは無い。
だが短期的な闘志で多くの利益を得るだけのsy会構造にはいつも破滅のリスクが付き纏うということだけは心得て欲しいと考える。
少し残酷な話になるがいつも他人を一階の失敗で無能とこき下ろすような冷血漢が、何かに失敗した時に一体誰が彼の立場を弁護してくれるのかという話だ。
私の実に対した事の無い人生においてもこの手の冷血漢が失敗した時は残飯に群がる鴉のように無能に貪られていた。
ある意味、世の中はこのようにしか出来ていいないと思う。
さて冷血漢どもの幸薄い未来は頬っておくとして負の既成概念に縛られてしまった場合はどうするかという話に移ろうと思う。
時間は有限で貴重だ。
くだらない人間の救済策に使っていい時間など一秒たりとて存在しない。
最初に思いつく簡単な方法は自分にマインドコントロールをかけてみるという物だ。
つまり”子の失敗は一時的な物でm時間をかければ十分に取り戻せる”と自分に信じ込ませる。次になるべくネガティヴな思考を頭から排除して深呼吸をするとグッと楽になるだろう。
それでも気が晴れない時にはネガティヴな思考を少しでも減らすように努力するしかない。
これが出来なければ死ぬ、ぐらいの覚悟で。
気をつけて欲しい事は反省するから失敗しても良いという話では無く、これからは絶対に失敗しないくらいに自分を適度に追い込むことか。
この心理的な調整は自分にしか出来ない事なので、やはりとことん自分と折り合いをつけなければならないだろう。
そしてやはり大切なことは周囲のフォローの仕方だ。
先に述べたように他人の失敗を見て大袈裟にため息を吐いたり、罵倒するのは論外だ。
人間は利益を共有する集団もあるので、責任を追及するなとは言わないがここでヒステリックに振る舞って人間関係に亀裂を入れるのは下策も下策だろう。
利益を集団の優先するならば私は寛容さを身に着けるのが良い処世術だと考える。
要するに失敗した人間は迷惑をかけた周囲の人間に心から謝罪して、二度とこのような事にならないように心がける。
周囲は失敗した人間に寛容な態度を取って物事をさらに円滑に進められるように計らえば、まあ全体的に五十点というところだろう。
くれぐれも気をつけなけれならないのは配慮のさじ加減だ。
誰にでも優しすぎると八方美人だと揶揄されるのが人の世の常なのだから。
最後に、既成概念の支配から解き放たれるという事は別の既成概念との対立を生むという事を忘れてはいけない。
負の既成概念は生きている時間に比例して増え続けるものなのだ。
我々が生きる上で用心しなければならないのは、生きている間はこうした不可避の脅威に晒されているという自覚を持つことなのだろう。
※ ここからが一番重要な話です。
最初に字牌が揃っているからと言ってすぐにポンしてホンイツを狙ってはいけない。
時には字牌を切って清一色を狙いつつ、タンヤオやピンフを盛り込んで…それでも倍満を振ったとしてもそれは決定的な敗北にはならない。
「俺は負け犬じゃねえ‼この拳は勝利の味しか知らねえんだよ‼シュッ、シュッ‼」
次が、次があると考えているうちに九段から八段に降格したとしてもそれは人生における一つの通過点であり、
もう涙で前が見えないよ、パトラッシュ…。
どうして僕は生まれてきてしまったんだ。
もう人類なんて滅べ‼銀河系爆発しろ‼
心のケア?
俺の知った事か‼