優しさは、時に一番残酷で
朝露がまだ石畳に残る早朝。王城の中庭を、セリナは足早に歩いていた。
昨夜、眠れなかった。何度も枕を抱きしめては、ため息ばかりがこぼれた。
(アッシュの言葉……ちゃんと聞いた。嘘じゃないって分かってる。でも――)
心が、まだ追いつかない。言葉にできない感情が、胸の中でうごめいている。
そんな折――
「……おはよう」
石壁の影から、陽斗が現れた。どこか、ぎこちない笑みだった。
「あ……おはよ」
返事も、自然には出なかった。
ふたりの間に、気まずい空気が流れる。
以前のように笑い合うことも、気軽に話すこともできない。
「……最近、なんか冷たくない?」
思い切って、セリナが口にすると、陽斗は一瞬、肩を震わせた。
「ごめん。別に、怒ってるとかじゃなくて……ちょっと、距離が必要かなって思っただけ」
「は?」
セリナの目が見開かれた。
その言葉が、まるで拒絶のように聞こえた。
「私、何かした? 何か、嫌なこと言った?」
「違う、そうじゃなくて。……俺が勝手に、期待してただけで」
「期待って、何を?」
「……なんでもない」
それだけ言って、陽斗は去っていこうとする。
セリナは、思わず手を伸ばした。でも――触れる前に、指先が止まる。
(何で……何も言ってくれないの?)
心の中がざわつく。
言葉にしてくれなければ、何も分からない。でも、自分から問い詰める勇気も、なかった。
陽斗の背中は、そのまま遠ざかっていった。
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数時間後。
厨房での皿洗い中、セリナはミーナに愚痴をこぼしていた。
「なんなのよ、あの態度……意味わかんない」
「うーん、それ完全に察して逃げだね。たぶん、陽斗くん、自分が脇役になったって思い込んでるよ」
「……脇役?」
「セリナとアッシュの間に入り込めないって、自分から決めつけてるんじゃない?」
「勝手に……そんなの、こっちは知らないよ」
知らない。分からない。
でも――ほんの少しだけ、胸がチクリと痛む。
(私だって……どうすればいいか、分からないのに)
ミーナは、そっとタオルを渡しながら言った。
「それね、あたしが言うのもなんだけど――セリナ、自分の気持ちから逃げてない?」
「……っ」
「陽斗くんが何も言わないのが怖いんじゃなくて、自分の中に答えがあるのが怖いんでしょ?」
図星だった。
ミーナの言葉は優しくて、でも突き刺さるように正確だった。
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その夜、誰もいない書庫で。
陽斗は、一冊の古びた本を手にしていた。
隣にはリリスがいる。
「セリナさん、泣いてましたよ」
「……見てたのか」
「はい。だって、私は観察と支援の精霊ですから」
リリスは、静かに言った。
「あなたの優しさは、とても真っすぐです。でも、その優しさは――時に一番残酷なんです」
陽斗は黙っていた。
「あなたが、身を引くことで、誰かが救われると思ってるなら、それは傲慢です。セリナさんは、あなたの言葉を待ってますよ」
「……分かってる。でも、今の俺に何が言えるんだよ。アッシュさんと比べて、何が勝ってる? 俺なんて、ただの――」
「じゃあ、逃げますか?」
リリスの声が、はっきりと強くなった。
「セリナさんを、悲しませたままで」
「……っ」
胸が痛んだ。
優しさだと思っていた行動が、相手を傷つけていた――その現実を突きつけられるのは、あまりにも苦しい。
(でも、それが――俺の逃げだったなら)
小さく、拳を握る。
セリナの涙を思い出す。
すれ違いを終わらせるために、動き出さなければいけない。




