言えなかった『好き』がすれ違う(後編)
その日の夜――
王城の裏手にある小さな井戸のそば。水くみ場はほとんど人気がなく、ひんやりとした空気が辺りを包んでいた。
「……なんだよ、リリスまで来てんのか」
「観察対象の動向は常に記録しておきたいので。って、冗談ですよ。今日は支援モードです」
リリスは、いつもの浮遊状態のまま陽斗の隣に現れた。彼女の金色の目が、夜の中でもほんのりと光を宿している。
「支援って、何を」
「あなた、何も言わないつもりですね? セリナさんに」
「……」
「それ、後悔しますよ。たぶん、すごく」
リリスは、真顔だった。
いつも軽口混じりな彼女の態度が、どこか本物の警告のように響いた。
「……でも、もしセリナが、アッシュさんのことを――」
「もしで逃げていいなら、世界中の恋愛は全員逃げますよ」
ズバッと断言されて、陽斗は返す言葉を失った。
「陽斗さん、あなたがセリナさんを好きなら、その気持ちを信じてください。セリナさんは――あなたを見てますよ。ちゃんと」
その言葉が胸に刺さる。
けど――
(俺は……今のままで、セリナを幸せにできるのか?)
疑問は、心の奥に巣食ったままだった。
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一方、同じ頃。
セリナは、マリベルに部屋へと呼び出されていた。
「はぁ? アッシュが告白?」
「言ってないってば!」
「でも、あの様子は、言う気満々だったわねぇ……にしても、ほんと気づいてないの? セリナちゃん」
「なにが?」
マリベルは、呆れたように溜息をつく。
「陽斗くんのあんたへの視線よ。あの子、完全に落ちてるわよ? しかも結構前から」
「……うそ、でしょ」
「うそじゃないわよ。あの不器用な目、あんたのこと、真剣に見てた」
セリナは言葉を失った。
(陽斗が……私を?)
思い返す。いつも隣で、ぶつかりながらも手を貸してくれたあの姿。自分のために飛び出して、怪我までしたあの日。泣きそうになって、笑ってごまかした表情――
「……でも、最近、なんか避けられてる気がする」
「そりゃ、勇気が出ないんでしょうね。たぶんアッシュの存在がでかすぎるのよ。彼にしたら、あんたら似合いすぎるし」
「そんなこと……ない」
ぽつりとこぼれた言葉は、セリナ自身も驚くほどに熱を帯びていた。
「私、陽斗のこと――」
その先を言いかけて、やめた。
まだ、自分の中で答えが出ていない。でも確かにある。胸の奥に、消えない何かが。
「……はぁ。面倒くさいなあ、恋って」
「そうそう。それが普通よ、セリナちゃん」
マリベルは、優しく笑った。
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――そして、次の日。
「セリナに話がある」
そう言って、アッシュが彼女を呼び止めたのは、王城の廊下。朝の通勤のように慌ただしい時間帯の中で、二人は小さな応接室にいた。
「私に……?」
「……ずっと、言わないでおこうと思ってた。でも、もう嘘をつくのはやめたい……セリナ。俺は、ずっとお前のことが好きだった」
その言葉に、セリナは目を見開いた。
「子どもの頃から、ずっと。あの時、手を取れなかったことを、今でも後悔してる。だから、今……もう一度、チャンスが欲しい」
「アッシュ……」
「返事は、今じゃなくていい。ただ、伝えておきたかった」
静かに告げて、アッシュは部屋を出ていった。
残されたセリナの心は、混乱していた。
(どうすればいいの……)
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「――は?」
そして、その告白の事実を、後に陽斗が耳にしたのはミーナからだった。
「え、知らなかったの? あんたの部屋の窓の真下でアッシュが言ってたじゃん!」
「…………」
陽斗は、黙り込んだ。
(やっぱり……俺じゃ、ダメなんだ)
好きだと伝える前に、負けた気がした。
心の奥から、静かに引き裂かれるような痛みが広がっていく。
――何も言えないまま。
すれ違いは、さらに深くなっていった。