言えなかった『好き』がすれ違う(前編)
――言わなきゃ、伝わらない。
そんな当たり前のことが、どうしてこんなに難しいんだろう。
城の外れにある小さな菜園。その一角で、風間陽斗は土を耕していた。目の前に広がるのは、春先に自分が種をまいた野菜たち。ぐんと背を伸ばし始めた若葉たちは、陽斗の手によく馴染んだ鍬によって、丁寧に手入れされていく。
額から汗が一筋、頬を伝う。
「……なんか、こういうのが一番落ち着くな」
地道な作業。目の前に成果が見えて、誰かに迷惑をかけることもない。異世界に来てから、自分が、できることのひとつがこれだった。
でも、心の中には、どうしようもなく渦巻いているものがあった。
――セリナが、アッシュさんと並んでいた。
思い出すだけで、胸がもやもやする。
別に何があったわけでもない。ただ、ふたりの会話の雰囲気が、どこか懐かしそうで、親密そうで――
その距離に、割り込めない自分がいた。
「……俺なんかじゃ、ダメなんだろうな」
手にした鍬が、土にめり込む。
先日、セリナを庇って怪我をした。そのとき見せてくれた、泣きそうな顔、心配そうな声。あれが気のせいじゃなければいいって、願っていた。
でも、アッシュが彼女に向ける眼差しは、まっすぐで迷いがなくて――
「風間くん、ここにいたのか」
そのとき、不意に背後から声がかかった。
振り向くと、そこにいたのはアッシュ・ヴェルグリードだった。変わらず凛々しい姿。鎧を脱ぎ、軽装のままでも彼は絵になる。
「あ、アッシュさん……お疲れさまです」
「少し、話がしたくてな」
真剣な顔つきだった。陽斗は無意識に、鍬を置いて背筋を正した。
「セリナのことだ」
その名前を聞いただけで、心臓が跳ねる。
「……何か、あったんですか」
「いや。何も……それが、問題だ」
アッシュは、どこか苦笑を浮かべながら言った。
「俺はずっと、あいつを見てきた。子どもの頃から、誰よりも努力してきたことを知っている。だから……守りたいと思ってた。いや、本当はそれ以上の感情があったんだろうな」
陽斗は、何も言えずに聞いていた。
「でも、最近のあいつを見ていて気づいた。セリナは、お前を見る目が変わってきている――あいつの目は、もう俺じゃない」
「っ……」
「だから、俺は……」
アッシュが言葉を切ったとき、その後ろから新たな足音が響いた。
「アッシュ。あんた、また陽斗に何か言ったんじゃないでしょうね」
やや睨むような目つきで、セリナが歩いてくる。
「……ああ、ちょっとな。でも、大事な話だ」
アッシュはそう言うと、陽斗の肩を軽く叩いて歩き去った。
残されたのは、微妙な空気と――
「……なに話してたの?」
と、静かに尋ねるセリナの声。
「……別に。ちょっと……俺のこと、励ましてくれた感じ?」
陽斗は、心にもない軽口で笑おうとした。でも、その笑顔は上手く作れなかった。
「ふーん……」
セリナの目が、わずかに細まる。
言わなきゃ、って思ったのに。
チャンスは、あったのに。
――「好きだ」って、それだけが、言えなかった。
そしてその沈黙が、すれ違いの始まりになるとも知らずに。