誰かのために、今できることを
東の森へ向かう馬車は、朝焼けの街を静かに抜けていった。
荷台に積まれた木箱。そのひとつには、陽斗とセリナが手分けして用意した、保存食や薬草、修理道具などがぎっしり詰まっている。
「……本当に、行くの?」
馬車の横で、ミーナが心配そうに声をかけた。
「調査隊の補給係ってだけだよ。戦うわけじゃないし、俺はただの雑用係だから」
陽斗は笑って見せる。けれどその笑みの奥に、不安がないわけではなかった。
あの森には、異世界に来て最初に見た、何も分からない自分がいた。
そして、今また何かが起きる予感がそこにある。
「……帰ってきたら、パンいっぱいあげるね」
「ありがとう、ミーナ」
小さく手を振ると、陽斗は荷台に飛び乗った。セリナも黙って隣に腰を下ろす。
馬車が走り出すと、街の喧騒が少しずつ遠ざかっていった。
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道中の森は、思った以上に静かだった。
空は青く、風が葉を揺らす音だけが耳に残る。
「……何も起きなければ、それが一番なんだけどね」
セリナが呟いた。彼女の表情は険しい。
「うん。でも、もし何かあっても……俺、逃げないよ」
「……ふーん。やけに格好つけるじゃん」
「言っただろ。俺、前よりちょっとだけ強くなったんだ」
陽斗は、リリスから譲り受けた魔導具の小箱を見せる。使いこなせるほどの力ではない。けれど、自分にできる範囲を、彼は理解し始めていた。
「今できることを、ちゃんとやる。それが俺の役目だから」
セリナは、少しだけ視線を逸らしたまま小さく笑った。
「……やっぱり、ちょっとだけ好きかも。そういうとこ」
「え?」
「ううん、何でもない」
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調査隊の拠点は、森の奥の広場に設営されていた。簡素なテント、周囲を囲む結界装置、そして中央に刻まれた――紋様。
「……これって、見覚えある」
陽斗は、かつて自分が転移したときに足元に広がっていた紋様を思い出す。
「異世界の境界に通じる痕跡かもしれない、とのことです」
調査隊の一人が説明する。
「今回は調査と監視のみ。万が一に備えて、王都から騎士団が数日中に増援予定です」
「アッシュも……来るのかな」
セリナが呟いたそのときだった。
――「……来ない方がいい」
不意に、声が聞こえた。
振り向くと、そこに立っていたのは――リリスだった。
「リリス!? なんでここに……」
「ふふ、興味深い現象には自然と足が向くものです……でも、今回は少し様子が違う」
彼女の瞳が、森の奥――誰もいないはずの闇を見据えていた。
「彼が目を覚まそうとしています」
「彼? 誰……?」
リリスははっきりとは答えなかった。ただ、ぽつりと告げる。
「この世界の裏側で、あなたがたを見ていた誰か……かもしれません」
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夜になり、森の空気は重く冷たく変わっていた。
調査隊の一人が、テントの外に出た瞬間――
「っ……誰か、いる……?」
闇の中に、確かに何かがいた。
それは、形を持たない存在。
けれど確かに、視線だけがそこにあった。
「――君たちは、誰を選ぶ?」
声が、森の奥から響いた。
陽斗とセリナは、反射的に互いの手を握った。
そこにいた何かは、まだ正体すら分からない。
けれど、それが、これからの選択に関わるものだということだけは、ふたりの胸に刻まれた。




