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普通の選択ができない夜に

 その夜、陽斗はセリナと別れたあとも、長い時間を歩いていた。


 帰らないで、と言われた。


 その言葉が、胸に何度も響く。


 ――優しさからでも、同情からでもない。本音だった。

 それがわかったからこそ、嬉しくて、苦しかった。


(あんなふうに言われたのに、まだ迷ってる自分がいる)


 彼女を好きだ。大切だ。


 それでも――「元の世界に帰ること」も、まだ諦めきれない。


 自分の人生、自分の家族、自分の居場所。


 この世界で築いてきた日々と、元の世界で失ってきたもの。


 どちらを選べばいいのか。

 何を選べば、後悔しないのか。


 誰も答えてくれない問いが、ずっと頭の中を巡っていた。


 


====


 


 王城の資料庫。


 夜更けに灯るランプのもとで、リリスは静かにページをめくっていた。


「門は開ける。だが、それには、等価の絆を捧げなければならない……か」


 彼女の隣で、エリオットが黙って頷く。


「要するに、風間くんがこの世界に築いた絆が強ければ強いほど、門は開くってことか」


「ええ。そして、それが重さになる」


 リリスの声が淡々としているのは、感情を抑えているからだった。


「選んでしまえば、何かを失う……それでも、彼が選ぶ未来が、彼自身の意志なら」


 彼女は目を伏せる。


「それを見届けるのが、私の役目ですから」


 


====


 


 翌朝、陽斗は仕事先の農場へ向かっていた。


 ゴランじいさんが待っていたのは、いつも通りの朝――のはずだった。


「……よぉ。坊主、顔色悪いぞ?」


「すみません……昨日、ちょっと寝不足で」


「ほう? 寝不足になるような悩みでも抱えとるってか?」


 鋭い目で見透かすように言われ、陽斗は苦笑する。


「……ちょっと、人生の岐路に立ってる気がして」


 ゴランは黙って麦の束をまとめながら言った。


「人はなぁ、何かを選ぶ時、正しいかじゃなく、悔いがないかで決めるもんだ」


 その言葉に、陽斗ははっと顔を上げる。


「……悔いですか」


「ああ。どっちの道を選んでも、きっと傷は残る。だがな――あいつを置いてきたことに悔いる人生と、あいつと一緒に生きる未来……お前が本当に欲しいのは、どっちだ?」


 


====


 


 夕暮れ。


 陽斗は、王城の裏庭にある小さなベンチに腰掛けていた。


 そこへ、セリナがふらりと現れる。


「……こんなとこにいたんだ。探したよ」


「ごめん。少し、ぼーっとしてて」


 ふたりで並んで座ると、少しの風が吹いた。


「昨日のことだけど……あたし、急にあんなこと言って、ごめん」


「いや……嬉しかった。本当に」


 セリナが横を向いたまま、そっと言う。


「まだ、決めてないんでしょ?」


「うん……でも、少しずつ答えは見えてきた気がする」


「なら、待ってる……どんな答えでも、ちゃんと聞くよ」


 陽斗はその横顔を見つめながら、胸の奥に芽生えた覚悟を、静かに抱きしめた。


(俺が選ぶ未来は、きっと――)


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