普通の選択ができない夜に
その夜、陽斗はセリナと別れたあとも、長い時間を歩いていた。
帰らないで、と言われた。
その言葉が、胸に何度も響く。
――優しさからでも、同情からでもない。本音だった。
それがわかったからこそ、嬉しくて、苦しかった。
(あんなふうに言われたのに、まだ迷ってる自分がいる)
彼女を好きだ。大切だ。
それでも――「元の世界に帰ること」も、まだ諦めきれない。
自分の人生、自分の家族、自分の居場所。
この世界で築いてきた日々と、元の世界で失ってきたもの。
どちらを選べばいいのか。
何を選べば、後悔しないのか。
誰も答えてくれない問いが、ずっと頭の中を巡っていた。
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王城の資料庫。
夜更けに灯るランプのもとで、リリスは静かにページをめくっていた。
「門は開ける。だが、それには、等価の絆を捧げなければならない……か」
彼女の隣で、エリオットが黙って頷く。
「要するに、風間くんがこの世界に築いた絆が強ければ強いほど、門は開くってことか」
「ええ。そして、それが重さになる」
リリスの声が淡々としているのは、感情を抑えているからだった。
「選んでしまえば、何かを失う……それでも、彼が選ぶ未来が、彼自身の意志なら」
彼女は目を伏せる。
「それを見届けるのが、私の役目ですから」
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翌朝、陽斗は仕事先の農場へ向かっていた。
ゴランじいさんが待っていたのは、いつも通りの朝――のはずだった。
「……よぉ。坊主、顔色悪いぞ?」
「すみません……昨日、ちょっと寝不足で」
「ほう? 寝不足になるような悩みでも抱えとるってか?」
鋭い目で見透かすように言われ、陽斗は苦笑する。
「……ちょっと、人生の岐路に立ってる気がして」
ゴランは黙って麦の束をまとめながら言った。
「人はなぁ、何かを選ぶ時、正しいかじゃなく、悔いがないかで決めるもんだ」
その言葉に、陽斗ははっと顔を上げる。
「……悔いですか」
「ああ。どっちの道を選んでも、きっと傷は残る。だがな――あいつを置いてきたことに悔いる人生と、あいつと一緒に生きる未来……お前が本当に欲しいのは、どっちだ?」
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夕暮れ。
陽斗は、王城の裏庭にある小さなベンチに腰掛けていた。
そこへ、セリナがふらりと現れる。
「……こんなとこにいたんだ。探したよ」
「ごめん。少し、ぼーっとしてて」
ふたりで並んで座ると、少しの風が吹いた。
「昨日のことだけど……あたし、急にあんなこと言って、ごめん」
「いや……嬉しかった。本当に」
セリナが横を向いたまま、そっと言う。
「まだ、決めてないんでしょ?」
「うん……でも、少しずつ答えは見えてきた気がする」
「なら、待ってる……どんな答えでも、ちゃんと聞くよ」
陽斗はその横顔を見つめながら、胸の奥に芽生えた覚悟を、静かに抱きしめた。
(俺が選ぶ未来は、きっと――)




