君と選んだ毎日は
異世界に来て、もうすぐ四ヶ月が経つ。
最初はすべてが戸惑いの連続だった。見知らぬ土地、馴染めない言葉、そして俺――風間陽斗――に何の特別な力もなかったこと。
でも今、俺の隣にはセリナがいる。それだけで、なんだか世界が柔らかく感じられるようになった。
「……おい、陽斗。いつまで寝てんの」
朝の静けさを打ち破ったのは、そんなぶっきらぼうな声だった。
「ん、ああ……もう朝?」
寝ぼけ眼をこすりながら起き上がると、窓からは淡い日差しが差し込んでいた。春から夏へと移り変わる気配が、王都の空気に混ざっている。
「朝も何も、とっくに八つの鐘が鳴ってる。今日、洗濯物と食料の仕入れ、あんた担当って言ったよな?」
「あ、うん、言ってた……ごめん」
セリナ・アーデンは眉間に皺を寄せながらも、俺に差し出すパンの皿はしっかり温かい。ほんのり甘く香るそれは、昨日ミーナがくれた新作の菓子パンだった。
恋人になって三ヶ月――
気まずさやすれ違いはたくさんあったけど、それでもこうして一緒に朝を迎えられる日々がある。
「……ありがとう、セリナ」
「べ、別に……朝ごはんくらい当然でしょ。変な感謝しないで」
彼女は頬を少し染めながら、そっぽを向く。
この反応にも、だいぶ慣れてしまった自分がいる。
====
その日、王城の裏手にある倉庫の整理を任された俺たちは、午前中からほこりと汗にまみれていた。
「……はぁ、こんなに詰め込んでたら、そりゃ崩れるわ」
「前に落ちてきて足挟んだの、思い出した」
倉庫の一番奥、天井近くに積まれた木箱を見上げながら、セリナが苦笑する。
「あのとき、俺が箱どかしたら、ちょっとだけ見直したって言ってなかったっけ?」
「言ってない。勝手に脳内補完しないで」
でも、セリナの唇の端は緩んでいる。たぶん、あの時のことをちゃんと覚えていてくれてるんだろう。
手を伸ばして、高い位置の木箱を下ろしかけたそのとき――
「――おっと!」
「危なっ、陽斗!」
バランスを崩した俺を、セリナが咄嗟に引き戻した。
その勢いのまま、俺は彼女とぶつかり、二人して床に倒れ込む。
「……い、痛……大丈夫?」
「う、うん……って、あ、あの、セリナ? これ、ちょっと……」
気がつけば、セリナが俺の上に跨がるかたちになっていた。顔と顔が、あと十センチもない距離にある。
「……っ!」
彼女は真っ赤になって、慌てて立ち上がった。
「な、なによ、今のは事故でしょう! 変な顔すんな!」
「してないしてない……!」
でも、心臓はばくばく言っていた。たぶん、セリナもそうだと思う。
いつもの日常。それでも、ふとした瞬間に、彼女の距離が近すぎて、呼吸の仕方を忘れてしまう。
====
その日の仕事を終えて、夕暮れの市場へ向かった帰り道。セリナと並んで歩く時間が、俺は密かに好きだった。
「なあ、セリナ。最近、王都の外でも任務の募集あるらしいよ。村の再建支援とか、魔物駆除の補佐とか」
「……あたしら雑用係に、そこまでやらせる気?」
「いや、そうじゃなくてさ。こういう仕事が増えるってことは、きっと――この国、平和になってきてるってことかなって」
「……そうかもね」
そう呟いたセリナの横顔は、どこか遠くを見ているようだった。
俺はふと、聞いてみたくなった。
「セリナは……この先、どうしたいとかある?」
「……ん?」
「その、もっとちゃんとした役職に就きたいとか、村に帰りたいとか……」
彼女は少し黙って、それから静かに言った。
「今のままでも、悪くないよ。あんたと一緒なら」
心臓が跳ねた。
でも、同時に、どこか不安がよぎった。
――今のままでいいのか?
そんなふうに思ってしまう自分がいるのは、たぶん、欲張りになった証拠なんだろう。
====
夜。王城の片隅にある小さな書庫。そこに、ひとりの少女がいた。
「……やはり、恋とは難解な現象ですねぇ」
ふわりと宙に浮かぶ銀髪の少女――リリス。書の精霊と呼ばれる存在は、陽斗とセリナのやりとりを読み返していた。
「しかし……彼の世界が揺らぐ予兆。面白くなってきました」
彼女の視線の先には、一冊の新しい記録本――表紙に記された名は、
《エリオット・グランツ》
それは、陽斗にとって新たな選択の始まりを告げる名前だった――




