第360話 泣いてるの?
――貴方の〖願い〗は何?――
「いやー、ホントに。ナイト領の野菜って美味しいですー」
「『陽気』を含んでる事もあって、他の領地で採れる物よりも、大きく育つみたいでな」
「昔からナイト領の野菜は人気なのよ」
フレデリカが幸せそうに頬張る様を父と母が嬉そうに見る。
ナイト家の食卓は野菜がメインで肉がオマケのような料理だった。
理由は肉よりも野菜の方が美味しいから。
傷があったりして長持ちしない野菜などを、新鮮な内に食べられるのはナイト領に住む者の特権だろう。
「だが、誰も長居はしたくないらしい」
「それって……『昼夜の国境』に近いからですか?」
「『太陽』は敵じゃなくなっていても、『吸血族』にとってナイト領はまだ危険だと言われてもしょうがないの」
「首都付近の領地に比べて不便な事も多い。その上で『陽気』に蝕まれるとなれば仕方のない事だ」
「私も『陽気』が原因で倒れた事があるの。その時は『太陽の民』に助けてもらってね」
「そうだったんですか」
母はナイト領の薄い『陽気』に長年当てられて倒れ、数年ほど首都で暮らした事があった。僕が医者を目指すキッカケになった出来事である。
「俺は無理にこちらに来なくても良いと言ったんだがな」
「あなたは少し無茶をするから、私の方が気が気じゃないの」
「そんなに……俺は君を不安にさせているか?」
「ええ。あなたは本当に目が離せないから」
「……子供達の前だ。あまりいじめてくれるな」
「あら、ごめんなさい。それに今はネストーレも傍に居てくれるし、何かあってもすぐに助けてくれるわ」
「当たり前だよ。その為に医者に――」
“僕は人を殺す為に医者を目指した”
「――」
「ネス君?」
「あ、ああ。うん。僕が傍で母上の事は診てるから。父上も心配しないで」
まただ……妙な記憶……みたいなモノが……
「よーし! 私も、私に出来る事をやってみます! 世界各地を回って、皆が『太陽』の下でも生きられる方法を探して来ますよ!」
意気揚々とそう宣言するフーに父と母は笑う。
「フレデリカ。あまり、俺たちの事情に構わなくて良い」
「貴女は貴女の好きに生きて良いのよ?」
「これが、私の“自由”です。ナイト領は私の故郷にするんで。不安を無くす手伝いをさせてください」
それに――と、フーは僕を一度見ると恥ずかしそうに父と母へ告げる。
「ネス君も居ますので!」
「そうか」
「あら……ふふ。ネストーレ、フレデリカさんを離したらダメよ?」
「うん。一生離さないよ」
「うぇ!? い、一生……うん……はい……よろしくお願い……します……」
「僕まで恥ずかしくなるから……しおらしくなるのは止めてよ」
「だって、ネス君が急にそんな事言うから~」
父も母もそんな僕たちを見て笑い合う。
父が笑って、母が微笑んで、フレデリカが僕の隣にいてくれる。
メアリーもミッドもタンカンおじさんもリリィおばさんもお祖父様も――
みんな、何気ない日常でも前を向いて明日の幸せを考えて歩いていく。
幸せだ。本当に……この何気ない日常が――
『ネストーレ殿、全てを忘れるつもりか? 君は――』
「!」
「あー食べた食べた。ホントにさ、食べ物が美味しい所って素晴らしいよね。食事は冒険のモチベーションなのだ! by.ルドウィック・フリーダムの格言より」
にしし、と笑うフレデリカと一緒に僕は帰路についていた。
薄暗いナイト領も寝静まる時間帯に入っており、人気は殆んど無く僕たちの声だけが響く。
「ネス君、どうしたの? なんかちょいちょい止まるけど」
「ああ……いや、何でもないよ」
上手く生き過ぎると不安になるように、幸せすぎると怖くなるのかもしれない。
何が怖いんだ? みんな傍にいるのに何も怖がる必要なんて――
「ネス君、私は冒険に行っても良い?」
彼女が振り返りながらそう質問してくる。
“ネス君、私は冒険に行っても良い?”
同じ台詞を彼女から聞いた記憶がある。場所は……ここじゃない。聞いた場所は――
僕は『昼夜の境界』である丘に見える『トーテムポール』に視線を向けた。
「ブラッド様がゼフィラさんと話をつけてくれたしさ」
僕は彼女に視線を戻す。
「お言葉に甘えた方がいいかなって」
僕にそうやって語りかけてくれる……
「それならネス君も安心でしょ? ゼフィラさんは【極光壁】で最強の案内人だし」
そう……だった。僕は彼女の事を愛してる。今も変わらない。この瞬間がとても幸せで、愛おしくて――
「フレデリカ。君は旅をすると良い」
「さっきは止めたのに、いいの?」
「うん。君はそうあるべきだ」
だから、僕は何度でも彼女を送り出す。
それが……彼女の生き方で、僕が誰よりも傍に居て欲しいフレデリカ・フロンタルだから……
僕はそっとフレデリカを抱きしめる。
伝わる温もりは偽りじゃない。この気持ちも間違いじゃない。
彼女の笑顔を――
彼女の過ごした時間を――
「ネス君……泣いてるの?」
「ごめん……今が幸せ過ぎて……本当によく解んないんだ」
僕は涙を流しながら、フレデリカを不安にさせない様に笑った。
すると、彼女はそっと手を頬に添えて僕を安心させる様に見上げる。
「私はずっと貴方の手を引いて走ってあげるから。だから、もう泣かないで」
彼女は変わらない。
昔から……一人でいる僕の手を引っ張って、無理矢理にでも走り出してくれる。だから――
彼女が死んだ事を忘れたら駄目だったんだ。
「フレデリカ……僕の手を引いてくれて……ありがとう」
「うん。次は一緒に冒険に行こ」
僕は彼女を部屋まで送り届けて、踵を返す。
近くの窓に反射する自分の片眼は『サトリの眼』となっており、皆が戦っている様が映っていた。
「――」
向かう先は決まっている。
家族で暮らしていた屋敷……父の元へ――




