マデラインの瞳 4
イリナの刺繍の見事さにアリステアは息を飲んだ。
御柳の花をこんなに生き生きと刺繍で表現できるなんて驚きでしかない。
風にそよぐ薄紅色の可憐な花は、その香りまで漂わせそうで、見惚れるしかない。
すべての家紋を彼女に刺繍してもらいたいと思えるほど感動していた。
しかも、四隅と中央にという指定していた図案は、中央の部分が、花冠のような輪の形に変更されてあったのが更に良くて気に入った。
「本当に凄い···。これは、もったいなくて使えそうにないな。部屋に飾っておきたくなるね」
「ありがとうございます。中央だけバランスを考えて少しだけ変更してしまったのですが、よろしかったでしょうか?」
「もちろん、こちらの方が断然良いよ。花冠みたいだね。これは銀糸も使ってあるのかな?」
「えっ、あの、それが···」
イリナは言いにくそうに口ごもっている。
「どうかしましたか?」
「···それが、銀糸は一切使用していないのですが、出来上がって見ると、銀糸が混ざったようになってしまったのです」
「えっ?これ銀糸じゃないんだ···」
中央の花冠の薄紅色の濃淡の刺繍の上に、チカチカと煌めいているものが銀糸ではないなんて、これではまるで······。
まさかそんなことは。
アリステアは一瞬よぎったある可能性を打ち消した。
「ですので、もしお急ぎでなければ、再度作り直させていただけると助かります」
「いや、これで全然かまわない。この方が素敵だからね。これはうちの一門に見せたら注文が殺到しそうだな、何せ御柳好き一族だからね、ははは」
「そっ、そんな」
「ありがとう、またそのうちに注文させてもらうよ」
「団長、何かいいことでもありましたか?」
副団長のノエル·デジレが休憩から戻ってくると開口一番に聞いてきた。
「まあね」
「イリナ嬢とはどこまで行っているんですか?待望の花嫁候補ですよね」
今この場に彼と自分しかいないのをいいことに、ノエルはあからさまに探りを入れて来た。
「知っていたのか···!」
「あの時詰所に一緒にいた面々にはバレていますよ。何せ、猛禽が狙いを定めて獲物目掛けて飛び立つ勢いでしたからね」
アリステアは苦笑した。
「みんな、女性にあんなにグイグイ行く団長は初めて見ましたからね」
「グイグイって···」
他人にはそんな風に思われていたことに軽い衝撃を受けたアリステアは自分の迂闊さを恥じた。
「知り合いに似ていたから、確かめに行っただけだよ」
それはある意味嘘ではない。
「できれば噂を広めないでくれ。これは私のためではなくて、イリナ嬢のためだ」
「ええ、わかっています。みなあなたが早く結婚するのを楽しみにしてますから、邪魔は絶対しませんよ」
「楽しみ?」
「あなたがとっとと妻帯してくれないと、他の令嬢達が残りの野郎どもを相手にしてくれやしませんからね」
「それなら君だってそうだろう? 君は意中の人はいないのか」
「貴族なんざ大抵政略結婚ですからね。それでも気に入る相手だったら幸運ですが」
アリステアは彼がデジレ伯爵家の嫡男だったことを思い出した。
「君は嫡男だったか。兄弟はいないのか?」
「一人息子ですよ。いずれ継ぐ時が来たら結婚はするでしょうね。うちは女系なのでとにかく母の気に入る相手ではないと無理でしょうね」
ノエルの母は女伯爵として有名だ。父親の後妻と子どもに家を乗っ取られることを回避するために、無能な父から爵位を奪い取り自分が当主になった女傑と言われている。
そして彼女は結婚して子供を授かると、その夫とは直ぐ様離縁したということだから、ノエルは母伯爵に女手ひとつで育てあげられたということだ。
ノエルの妻としてそこへ嫁ぐ女性も、大変そうではある。
他人の心配よりも、まずは自分の嫁探しをしないとならない。
イリナ嬢は自分の啓示の相手ではないのだから、あらぬ噂をばら蒔かれて迷惑をかけたり、巻き込んではならない相手だ。
もう少し今後は距離を取らないとならない。
啓示の相手と出会えても、焦りや油断から、結局母上を追い詰めてしまった父上。同じ轍を踏まないように気をつけないとならないのだ。
父上は未だにそれを悔やんでいるからな。
妹のジュリーはそんな父上のことを愛妻家でいいなあなんて言っているが。
頑張って王子妃教育を受けているのに、当の王子からは見向きもされていないから辛いとかぼやいているし···。
本当に妖精公爵一族とは難儀なものだな。でも、そうではない人達だってままならないものなのだ。
アリステアはノエルの母である女伯爵に、いつかお会いしてみたいものだと思った。