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番外編 2 闇の右手

マルセルを気に入って侍らせていたのは、彼の風貌がかつての意中の相手に似ているからだとアンジェリーナ王女はある時自ら語った。


「フレデリク·モンタークを知っていて?」

「いいえ存じ上げません」

彼が親戚だなんて口が裂けても言える筈がない。

「そうなの?」

「私は他国の生まれですので」

「じゃあ、モンサーム伯爵は?」

「お名前だけはなんとなく」

自分がそこの嫡男だったとは言える訳がない。特にこの人には最も知られてはならないだろう。


彼女は閉じた扇の先でマルセルの顎をグイと上に向けさせた。人を物としか思わない典型的な王侯貴族の行動だ。

「あなた、彼に少しだけ似ているのよ」

そりゃあ、親戚だからな。

「そう、こうやって顎を上げると余計にね」

「左様で」

「あなたは父親似?それとも母親似?」

「母親似ではないかと」

あえて反対のことを答えておく。

「見てみたいものだわ」

「両親共々幼い頃に死別しております」

「そう、では誰に育てられたの?」

「叔父夫妻です、それも既に他界しております」

身バレしないための方便に、親でも親戚でもみな殺してしまうのさ。実際は元気でピンピンしていたとしても。

ホラ吹き男爵ぐらいの嘘を並べないと、身を守れないこともあるのだ。

役者も詐欺師並みに嘘をつく必要があるのは本当だ。美しくない子女を褒め称え、心にもないことを美麗な笑顔を添えて囁かねばならないのが、貴族は辞めた筈の自分の日常になりつつある。


でも、あの矢車菊のような蒼い瞳でじっと見つめられると、本音しか言えなくなるのはなぜだろう。


「ルルっていう娘は誰?」

王女の口からその名が出てヒヤリとする。

「あれは以前世話になった下宿屋の主人の娘さんで、来月嫁ぐらしくて観劇ついでに挨拶に来たようです」

よくもまあベラベラ嘘が次々浮かぶものだと我ながら恐ろしくなる。

「そうなの」

一応ルル詮索への予防線は張れたようだ。だが、油断は禁物だ。彼女が野望を果たすまで隠し通さなければ。


王女はバディム公爵夫人になってからもマルセルを物見遊山に連れ回した。

ある日、モンターク公爵領にある妖精の森への花見に随行するように命令された。

元王女からの依頼は、依頼ではなくて命令なのだ。

王族でも入れないと言われている森へ、取り巻きを引き連れて何をしに行くのだろうか。

自分は曲がりなりにも妖精公爵の末裔だから、森へ入れないということはないだろうが、彼女らはまず入ることすらできない筈だ。


それを間近で見るのも一興か?


『自殺行為だよね』

『フェネラに毒を盛った罰を受けるよ』

「フェネラ?」

『フレッドのお嫁さんだよ』

「会えたのか、良かった。いや、毒だって?」

『あの元王女、嫌い』

それは激しく同意だ。まさかフレッドの嫁に毒を盛るとは、危険過ぎる。


あんな女をフレッドが選ぶわけがない。



マルセルが渋々同行したその日、1歩森へ入ろうとしたところで、元王女らは毒蛇型の妖獣に襲われて逃げ帰った。

元王女はその時受けた毒で両目を失明するに至った。


マルセルがその日見たものは、蒼い肌に黄色の長髪の男が、元王女にだけ妖獣を放ったところだった。元王女以外は無傷だったのはそのせいだ。


失明してからの元王女は、社交界からは退いたものの、次第に暴君と化した。

退廃的な生活に溺れ、いかがわしい遊興にも耽るようになり、マルセルだけでなく、ドニまでも付き合わせようとすることがあった。


そんな中、ドニが命を落としてしまった。


マルセルが留守中に連れ出されて、無理矢理薬物と酒を飲ませられ、錯乱して果てたと知らされた。


それをやらせたのはあの女だ。人の皮を被った魑魅魍魎、狂った王族だ。


ピピは信頼できる知人に預け、しばらく匿ってもらうことにした。



まるで何事もなかったかのように全く悪びれずに、元王女はマルセルをいつもの店に呼びつけた。


この店は常に照明が薄暗い。それだけで陰鬱な気分になる。甘ったるく、すえたような香りが鼻をつく。

健全さの微塵もない元王女と、それを改めさせようともしないその一族は、腐臭しかしない。


既に泥酔しているのか、彼女はふらつきながら歩いていた。

「お手を」

マルセルは階を下る彼女に手を差し伸べた。

だが、彼女はうるさいと言って振り払った。


その時、暗闇から古びたマルカジットのような鈍い銀色に輝く右手が彼女の肩を掴んだ。彼女は驚いて身をよじると、バランスを崩して階段の手摺にぶつかった。その勢いで、腰より低い手摺を掴み損ね、そのまま前のめりで階下に転落した。


声を上げる間も無く床に転がった。絨毯に血だまりが広がってゆく。


マルセルはそれをしばらく呆然と見つめていた。 我に返って人を呼ぼうとすると、マルセルの口を先ほどの銀色の右手が塞いだ。


『呼ぶな、呼ばなくていい』


右手の主は、建物の濃い暗闇の中にマルセルを引っ張り込むと手を離した。

振り返ったその暗闇の中に仄かに輝いて見えたのは、妖精の森の入り口で見た、あの長髪の男だった。


「あなたは···」

『お前が手を汚してはならぬ』

「そ、それは······」

マルセルはこの日、殺意を抱いて元王女のもとへやって来た。そのため黒髪と黒い服に身を包んでいた。

ドニを無惨に殺された仕返しをしようとしたのだ。

目の見えない彼女なら、自分でも殺せるかもしれないと。

店が店だけに人払いし、侍女と護衛は近くにいなかったからだ。


『これは我の役目だ』

「······わかった」

『ではな、クリス』

「···!」

男は瞬時に姿を消した。


階下ではようやく誰かの悲鳴が上がり、人が集まりはじめた。


非常階段から外に出ると、街灯に照らされた花壇の矢車菊の花が目に入った。

それを一輪摘むと、無性に彼女に会いたくなった。あの蒼い瞳で、今夜の自分を浄めてもらいたかった。


マルセルは酔った振りをして、かつて幼いドニがそうしていたように、道化のように時々跳ねながら夜の舗道を歩いていった。


以来マルセルは、舞台に立つ時や写真を撮られる時には、いつも蒼い矢車菊の生花か造花を一輪身につけるようになった。


(了)

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