番外編 1 滅びの足音
カレン·バディム公爵令嬢は、その容貌もさることながら、性質も亡き母によく似ていた。
自分の持つ公爵家、王族に連なる者としての権力を、手段を選ばず、悪びれることもなく存分に利用尽くした。
母のかつての因縁の相手、モンサーム伯爵フレデリクの子息には関わるな、絶対に恋愛感情は持つなと幼少の頃からきつく言われて育った。
カレンにとって、やってはいけないことに手を染めるのは、この上なく甘美な誘惑だった。
自分にとって下位の人間を自分の欲望のまま自由に支配や操作することは無情の喜びを与えてくれるということを、既に子どもの頃から知っていた。
毒蛇の毒によって光を失った母は、華麗な元王女の仮面の下に苛烈な性質を忍ばしていたが、年々嗜虐性を強めて行った。
それは使用人らに対してだけでなく、夫や娘に対しても向けられるように次第になっていった。
そのうち父は家庭を顧みなくなり、別邸に女を囲い移り住み、文字通り仮面夫婦となった。
母と一人娘であるカレンの暮らしは、すぐに退廃的なものになっていった。
母と自分のどんな不始末も、金と権力で揉み消して来た。
ある時母は、珍しく熱を上げていた俳優、マルセルの付き人を誤って殺してしまったことがあったが、それすら誰からも咎められなかった。
お母様って何て素敵なの。
闇の女王のように君臨する母にカレンは心酔した。
自分も母を真似て、傍若無人に振る舞い、享楽の限りを尽くした。
誰も私には逆らえない。
全ては私の思い通り。
何て最高な気分なのかしら。
母が目の敵にしていたモンサーム伯爵令息は、確かに評判通りの美男子ではあった。
彼の出世を執拗に阻むお母様には流石に引いてしまった。
なぜお母様は新しい人を見つけようとしないのだろう。
自分の意にそぐわない相手など、とっとと身限ればいいのに。
そこが私とお母様の違いよ。
あそこまで過去の相手に執着するなんて、本当に馬鹿らしいわ。
今を楽しまなくてどうするのかしらね。
アリステアは確かに美しいが、金髪碧眼の貴公子など珍しくもない。
それよりもいつも彼の傍にいる、あの珍しい薄紅色の髪を持つ男の方がいい。
ノエル·デジレ、 彼もなかなかの美形だし、私の美形好きは母から引き継いだのかしらね。
そんな中、母が泥酔した挙げ句、自宅の階段から足を滑らせて亡くなってしまった。
本当は自宅ではなくて、貴族向けのいかがわしい店で転落死したのだけど、王家が手を回してそういうことにしたのよ。
お母様ったら、なんて無様なの。
私はお母様のようにはならない。
母が亡くなって、妨害する者がいなくなったお陰なのか、あの伯爵令息が騎士団長に昇格したみたいだけれど、そんなことはどうでもいいわ。
それよりも、あの薄紅色の髪の男も副団長になったみたいで、他の女達が纏わりついてうるさく騒ぐから邪魔で仕方ないわ。
特に、繕い部のあの娘は、団長と副団長とも親しげなのが気に入らない。
自分で学費を稼ぐ苦学生らしいけど、学園を辞めさせてしまえば、もうここで働かなくてよくなるのよね。
だったら中退させてしまえばいい。あの娘の親にそうするように脅せばそれで済むわね。
学園は辞めた筈なのに、まだ繕い部からいなくならないけど、まあ、適当に嫁ぎ先をあてがってやればすぐにいなくなるわね。
目障りなものは排除すればいいだけよ。
やっとあの娘がいなくなったと思っていたら、馬丁は別の女と結婚していたから驚いた。
しかも、あの娘がモンターク公爵家に引き取られたなんてあり得ない。これはきっとアリステア·モンサームが余計なことをしたのだ。
私の邪魔をするなんて許せない。
今度、ノエル母子を招きお茶会を開くとか。ノエルはあの評判の女伯爵の息子だったのね。
私は美談のように語られる正統派の女達が嫌いだ。
不遇にも挫けずに健気に立回り幸せを掴む、手垢のついた三文小説のような話が、最も虫酸が走るのよ。
確かあの繕い部の娘も健気に頑張る身の上だったかしら?
ああ嫌だ、何でそんな娘ばかりにいい男達が引き寄せられるのかしらね。
それに、なぜ私的な茶会に女伯まで招くのかしら···、
まさかあの娘とノエルとの縁談話を取り付ける気とか?!
そうはさせないわ、絶対に妨害してやる。
そんな矢先、カレンの父が急死した。腹上死だった。
なおも不幸は続き、カレンの祖父である現王が崩御し、カレンは自分の後ろ楯を次々と失った。
そこから急激に潮目は変わってゆき、バディム公爵家の不正や醜聞が次々と明るみになってゆくに連れて、カレンの知らなかった父の負の側面が浮き彫りなった。
カレン自身の過去の醜聞も取り沙汰されるようになり、バディム公爵家の没落は止まらなかった。
伯父である王太子が即位すると、カレンは数々の蛮行から素行不良と見なされ修道院行きを命ぜられたが、抵抗した彼女は逃亡した。
ベシュロムから出国する前に、モンターク公爵領にあるという妖精の森にカレンは足を運んだ。
かつてこの森に入ろうとして母達は毒蛇に襲われたという、いわく付きの森だ。
それを国を去る前に一目見ておきたいという悪趣味な興味がわいてきたのだ。
カレンにとっては度胸試しのようなものだった。
良識を持たない者は、どこまでも残慮で、救いがたい向こう見ずなのだ。
カレンが森の入り口に立つと、ふと人の気配を感じた。
『ここまで愚かだとは』
先程までそんな人物はいなかった筈だが、鱗状の青い肌に膝まで届く黄色の長髪の若い男が立っていた。
異形ではあったが、人間離れした美形であるその男にカレンは目を奪われた。
『お前達一族は、よほど懲りぬ血なのであろうな』
カレンには男が言っていることは何も聞こえてはいない。
森への1歩を踏み出そうとしたカレンに、男は制止するように近寄って来た。
『これ以上、この森をそなたら一族の醜悪な血で瀆すことは罷りならん』
目の前の男の美しさに目が眩んで、カレンはその男が黄色の髪の隙間から覗かせている大蛇の姿に気がつくのが遅れた。
『お前達一族は真の王家へどれだけ悪意を向け害して来たことか。咎はその身で贖え』
気がついた時には、大蛇に全身を巻き付かれていた。
「ヒッ、や、やめて、離して!」
大蛇はギシギシと締め上げてゆく。
「グッ、ギ、く、苦じい·····」
カレンは呼吸することすらできずに、ダランと脱力し、口の端から血混じりの泡を一筋垂らすと絶命した。
国境沿いの河に彼女の遺体が浮かんでいるのが発見されたのは、それから2日後のことだった。
私はお母様のようにはならない
そう豪語した公爵令嬢はもうどこにも存在しない。
ベシュロム王家が衰退の一途を辿って行くのは、身から出た錆、自浄できない一門の行く末でしかないのだ。
(了)




