ルル 5
ソフィーは相続や爵位に関する法的な専門書を扱う書店に来ていた。図書館でも良かったのだが、いつでも読めるように手元に置いておけるようにしたかったのだ。
父の書斎にもあるにはあるが、今はこちらの動向をできるだけ悟られたくなかった。
矢車菊を思わせる蒼い瞳で真剣に書籍を選んでいると、背後から「ルル」と声をかけられた。
声の主はマルセルだったが、黒髪に流行りの黒縁の眼鏡で変装していた。
「エムと呼んでくれ」
「ルル、こんにちは」
その子どもの淡い水色の瞳には見覚えがあった。
「こんにちは、ウサギさん」
「あたり!僕はドニ」
その場でピョンピョン跳ねているのは、やはりあの時の道化師の子どもだ。
「少し話せるかな?」
「ええ、大丈夫よ」
書店を出て、近くの公園にある東屋に腰かけた。
「難しい本を読むんだね」
「必要に迫られているからよ。今、家がゴタゴタしていて。この前は観に行けなくてごめんなさい」
「今度はいつ観に来れそう?」
「ありがとう、でも特等席はもったいないわ。一般席で十分よ、それに当分は無理そうなの」
ソフィーは申し訳なさそうに笑みを浮かべた。
「ねえ、初めて会った時って黒髪じゃなかったかしら?」
「ああ、あの頃はまだそうだったね」
「金髪は染めているの?」
「いや、金髪が本当の色だよ。こっちの方が客受けがいいんだ」
「私は黒髪の方が好きだわ」
心の声を口に出してしまってから後悔し、慌てて口に手をやった。
「はは、君は俺に興味や関心がこれっぽっちもないのかと思ったよ」
「えっ?」
「楽屋に呼んでも、握手もハグもサインすら、何もねだらないなんて君だけだよ」
「それは、ねだって欲しいものなの?だって疲れているのに迷惑じゃあないの?」
「ぶはっ、迷惑って···、君、本当に面白い人だね」
ソフィーの矢車菊の蒼い花のような瞳が見開かれた。
「······変わり者なのは自覚しているわ」
「例えば、どんなところが?」
「女伯爵になりたいとか······」
「それって変なこと?君にぴったりだと思うけど」
マルセルは不思議そうな顔でソフィーを見た。
この国では女性が爵位を継ぐことはそれほど珍しいことではなくなって来てはいる。ただあまり世間はそれを好まないだけだ。
「どうしてそう思うの?」
「君、なかなか勇ましそうだから」
「勇まし···? なぜ?」
「初めて会った時、あの金額を平然と入れるし、勢いよくドレスの裾を翻して立ち去るとか、この娘カッコいいなって」
ソフィーは赤面した。それはレディらしくないと言われているのと違わないのだろうか。
「あの時のお金は、母の遺品を買い戻すつもりで持っていたの。でもダメだったから、もういいやって」
「フッ、そういうところだよ、思い切りがいいというか」
「そうなの?」
ソフィーはマルセルがとても話しやすい人だと感じていた。
同性同士でも、心にもないことを言い合うとか腹の探り合いのような疲弊するだけの会話が大嫌いだったから、本音で語れる数少ない人のように思えた。
気が張らないでいられる相手はとても楽なものだ。
俳優としての彼ではなくて、普段のマルセルがソフィーには心地よかった。
「それで、今君が欲しいものって何かないの?」
「爵位と自分の子どもよ」
そう答えるソフィーに、流石のマルセルも驚いた。
「君は、既婚者なのかい?」
「いいえ、独身よ。家督を継ぐ嫡男を産みたいの」
「じゃあ、結婚すればいいのでは?」
「子どもだけ欲しいの。今すぐにでも」
想像の斜め上を行くソフィーに、マルセルは絶句した。




