ルル 3
終演後、マルセルの控室を一緒に訪ねると、握手やハグやサインをしてもらい満足した友人らは先に帰って行った。
ソフィーには目の前の彼が、あの日の道化師だとまだ実感できずにいる。
無言劇を見せてくれた白塗りの顔しか覚えていなかったからだ。
「···本当にあの時の、白塗りさん?」
「そう、あの時のマルセルだよ」
ソフィーはまじまじと彼の顔を見つめた。
(······こんな顔だったかしら?)
「ははっ、もしかして顔を覚えていなかった?」
「···そうなの、ごめんなさい。白塗りの顔の印象が強過ぎて······」
「そうかぁ、ははは、それじゃあ仕方ないか」
「でも、おめでとう、凄い人気ね」
「これも全部、1万ルルのお陰だよ」
「えっ?」
ソフィーが聞き返そうとした時、ノックもせずに「あら先客でしたの?」と艶やかな黒髪の美しい女性が部屋へ入って来た。
小柄だったが、立っているだけで威圧感を与える、そんな堂々とした貴族令嬢だった。
「あ、それでは、私はこれで失礼いたします」
ソフィーがそそくさと部屋を出ようとすると
「じゃあ、またねルル」
マルセルは名残惜しそうな表情で手を振った。
令嬢は扇を顔の前で開いてそっぽを向いていた。
控室を出ると先ほどの女性の侍女なのか、入口の両脇に控えていた。それだけ高貴な方なのだろうということはわかった。
その侍女らに黙礼をすると足早に去った。
劇場を出ると王家の紋章入りの馬車が停まっていた。
(もしや、あの女性は王家の人だったの? ···王女殿下とか? )
家のゴタゴタでこの二年程夜会にもろくに参加していなかったソフィーは、若い王女の顔すらうろ覚えだった。
だとしたら、本当に大輪の花のようにお美しい方なのね。
王族も見に来る程の人気ぶりに、マルセルが遠い世界の人のように思えた。
確かにマルセルという人気俳優は素敵かもしれない。でも私はやっぱり、黒髪で白塗りの道化師さんの方が好きだわ。
帰りの馬車の中で、マルセルからの手紙を改めて読み返した。
封筒の中には次の公演のチケットまで入っていた。しかも高額な特等席だ。
「これからあなたは永遠に特等席です」
あの日の彼は、確かそんなことを言っていたっけ。気にしないでと言ったのに、昔の約束を守るなんて案外律儀なのね。
1万ルルのお嬢さんという呼び名、さっき私をルルと呼んでいたのは、1万ルルのルルよね。
誰かに別の愛称、お互いにしかわからない秘密の名前で呼ばれるのも悪くはないはね。
でも、やっぱり彼があんな端正な顔立ちをしていたことが、まだ信じられないソフィーだった。
あの道化師さんは金髪碧眼だったのね。でも、あの日は黒髪だったような気がするのだけど······。
自分の記憶の曖昧さに驚くソフィーだった。




