フェネラの髪 3
イリナは騎士団長の依頼で御柳という花を初めて知った。図案の見本に持って来て下さった花を一輪挿しに活けながら布に色を刺していった。
途中で花に触れてみたり、花穂を輪のように丸めてみると、まるで可愛らしい花冠のように見えた。
(妖精用の花冠みたい···。妖精は見たことはないけれど、もしもいたらこんな可憐で小さな花冠が似合いそうね)
そうだ、中央にこれをあしらったらどうかしら?
その方がバランスも良くなり、収まりが良くなるような気がしたので、思いきって変更した。
出来上がって見ると、やはりこちらの方が良くなったと自分の判断に満足した。
え? ···これはどうして?何で光っているの?
何度も指で払ってもそれは消えず、取れなかった。なぜか銀糸で刺したような仕上がりになってしまい、イリナは焦った。
これでは作り直さなければ。 明日、団長様にはお見せして謝ろう。
団長様に確認すると、心配していた仕上がりは、かえって好評でそのままでいいと言って下さったので助かった。
でも、本当にどうしてこうなってしまったのかわからない。
再度注文していただいて、今度は御柳の花冠の図案だけを刺繍することになった。
またしても、使用してもいない筈の銀糸を思わせる煌めきが浮き上がるような仕上がりなってしまった。
どうしてこうなってしまうの?
手持ちの布に刺しても、同じようになってしまう。
諦めて団長様にはこのままお渡しすると、驚きながらも何か確かめているようだった。
あの時、髪の色のことを質問されたけれど、何か関係あるのだろうか?
副団長様が私と同じ色の髪をしているのは知っていたけど、今まで遠くから見たことしかなかったから間近で初めて見て、親近感を感じてジロジロ見て失礼だったかしら。
シャゼルではこの髪色は差別的ではなくて、妖精の祝福と思ってもらえるならば、この国よりもずっと生きやすいかもしれない。
いつか行ってみたいな。
イリナはシャゼルとその文化に興味を抱いた。
いつものように繕い部へ行くと、部長からあなたに縁談が来ているのよと、個室に呼ばれた。
「縁談ですか? ご存じの通り私は学園を辞めていて、子爵家から出されてしまい寮暮らしです。私は平民と変わらないのです」
縁談話はイリナには寝耳に水だった。
「ええ、だから王宮の馬丁さんとの縁談だよ。年頃も丁度いいし、穏やかで良い人のようだよ。どうだい?あたしはいいと思うんだけどね」
「···あの、すぐにお返事をしなければいけませんでしょうか?」
「うん、あのね、今回の話はちょっと断りにくいんだよね」
「どうしてですか?」
部長はいつになく言いにくそうな表情をしていた。
「それが、バディム公爵様からいただいたお話なのさ」
それは断りにくいのではなくて、断れないということだ。
バディム公爵家は故·元王女殿下の嫁ぎ先でもあり、王家に次ぐ権力者だ。
「お断りすれば、もうここにはいられないということですね······」
「ごめんよ、あたしらではどうにもできないんだよ」
イリナは納期の迫った注文品を深夜まで職場に残り、一人で仕上げた。
「はあ、できた。後は後任に振り分ければなんとかなるわ」
完成品を包むと保存棚にしまうと、繕い部全体を見納めるように見回した。
イリナはこの仕事も職場も好きだった。
公爵家から出された結婚の条件は繕い部を辞めることだった。
慣れた仕事から離れるのは辛いものだ。結婚しても繕い部にいさせて欲しいというそんなわがままは通せないのは十分承知していたから、結婚はせずにここを去る決断をした。
結婚してもしなくても、もうここにはいられないのだ。
新しい仕事を探さないとならない。学園も中退し、何の後ろ楯もない自分、そして自分の髪は揶揄の対象にしかならないこの国ではもう暮らしにくい。
それならばいっそ、妖精の祝福が得られるという国へ行ってみようか。
伊達眼鏡もカツラもしないで、ありのままの自分の姿で生きて行けるならば、その方がいい。
机の上を片付け終わると、疲れ果てたイリナはうつらうつら居眠りをしはじめた。
ぼんやりとした意識の中で、繕い部のドアが開く音がしたような気がした。
あまりの眠気で舟を漕いでいた身体にローブを掛けられ、ふわりと自分の身体が持ち上げられる感覚がしたが、睡魔に抗えずイリナはそのまま意識を失った。
『アリス、わかっているよね』
「ああ、わかっているさ」
『本当に? フェネラの髪だからね』
「ああ、嫌になるほどわかっているよ」
彼女が自分の啓示の相手ではないことはわかっている。
ただ、彼女を保護下において、自分の傍で見守らせて欲しいだけだ。
間に合って良かった。馬丁が浮かれて同僚に自分の縁談を話しているのをノエルが聞きつけたのは幸いだった。
父上と母上の時のような横槍には屈しない。二度と同じ轍は踏まない。
バディム公爵令嬢、故アンジェリーナの娘、
······つくづく懲りない一族だな。
彼女らは王家の滅びを加速させる母子なのだろう。




