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『小さな災厄』  作者: 矢掴州納
序章『夜空の一等星』
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2『終生まで忘れない』

 森林のすぐ近く、若草が風に揺れる平原から木々の間へと抜ける小道。平たくならされた道には多くの足跡と深い(わだち)が刻まれ、その跡をなぞるように、新たな馬車の車輪がガラガラと音を立てて轍を深めていく。


 いや、正確には馬車ではない。どしどしと、四つ足で地面を蹴りながら荷台を引くのは馬ではなく、全身を鱗で覆われた巨大なトカゲ。

 そして何よりも怜の目を引いたのは、荷台の上で楽しそうに談笑する、剣や槍で武装したファンタジーのような装いの数名の男女。


 その光景にひどく渇望を覚え、思わず左手を伸ばした。


「……づっ!」


 陽光に晒された指先に、熱された鉄を押し付けられたような鋭い痛みが走り、思わず手を引っ込める。見ると、怜の半透明の指の先端は体積を減らし、しゅうしゅうと煙を上げていた。


「日の光で、溶けた……」


 中天から陽光降り注ぐ森林の小道、怜は指先の消失した拳を力なく握り、木陰で俯いていた。


――複数の事故に巻き込まれ、異世界に転生したかに思われた怜は。二度目の死を迎え、肉体を持たず魂だけでこの世を彷徨う幽霊となった。


「……こんな、ことって……あり得るのか」


 呟く声も一切の反響がなく、まるで自分という存在ごとブラックホールに吸い込まれていくようだった。周囲の森林の景色もどこか暗く、遠い宇宙に放り出されて一人きり――そんな錯覚さえ覚える。


「お化けが、なんで人間を呪ったり祟ったりするのかわかった気がする。……羨ましいんだろうな、生きてる人間が」


 我が身で地面を踏み締め、楽しげに笑う人間達がひどく眩しく思えて、怜は無意識に暗い森林の影へと去っていった。




「……なんもないな……仮に何かあったとして、干渉できるわけじゃないけど」


 陽光が差し込む森林の奥地、影と影との間を縫いながら、怜は半透明の両脚を動かしていた。――幽霊になって、変わった事はふたつ。


 ひとつは、自身の体が物体をすり抜けること。――ただし地面などはその限りではなく、移動したければ不可視の足で大地を踏む必要がある。


「もうひとつは……本当に難儀だ。どうしよう、二度とお日様を拝めないなんて」


 太陽の光の下に、出られないことだ。

 古くからのファンタジー小説に登場するアンデッドや吸血鬼よろしく、陽光を直接この身に浴びた箇所から幽体は煙となり、跡形も残らず消滅してしまう。


「もし成仏したとして……俺、どこに行くんだろ」


 生まれ変わるとしたら現世か、この世界か、天国か、――それとも、地獄か。友を死なせた者へ末路は、安寧など得られないものは確かだ。

 幽霊になってから妙に靄のかかった脳味噌で、直前の記憶を辿る。膨大な質量に押し潰されて圧死、気がつけばこの世界に転生――


「ひっ! ……また、あいつがいる」


――そして、熊に襲撃されて二度目の死。


 数本の樹木を隔てた先、数刻前にも見たその巨躯が見えた。熊そっくりの体躯なれど、地球には存在しないような赤銅色の毛皮を纏い、数メートルにも及ぶ巨体を丸太のような脚で支え、地面を揺るがす。怜に二度と忘れられないトラウマを刻み込んだ、恐怖の象徴。

 そして足元には、ぐちゃぐちゃの肉片。


「……あ、ぁ……」


 その鮮血の滴る肉片の形には、見覚えがあった。否、正確には見続けていた訳ではない、十九年もの間、思い出を重ねてきた自分自身の肉体。

 数分前まで怜だったその肉塊が、ぐちゃりと音を立てて捕食されていた。声にならない声が、霊体の喉から漏れる。

 しかし、その肉塊を仕留めた大熊の牙は動かず、ただじっと()()()を見つめるのみ。


「……ぁ」


 肉を喰らっていたのは、二頭の子熊だった。


「――ッ」


 母熊だったのだ。よく見れば、その巨体の分厚い毛皮に比べて、母熊の肉体はいくらか痩せ細っているようにも感じる。あの時、怜を残酷に冷酷に引き裂いた悪魔の如き暴獣の両目は、我が子を見守る穏やかな瞳だった。


「…………なん、だよ。なんでだよ」


 抱いていた恐怖と、焦燥と、嫌悪が、かき混ぜられて裏返ったようだった。――ここは平和な現代日本ではない、弱肉強食を至上とする残酷な世界のだと、冷たく突きつけられたみたいで。


「……っ、ぅ」


 嫌悪感を胸に抱えながら、怜は背を向けその場を去った。その嫌悪は、仇敵かこの世界か、それとも自分自身に対しての感情なのか、怜自身にもわからなかった。


 幽体の足で、誰の眼にも映らない体で、失った右腕を振るいながら、逃げ出すように地面を駆ける。二度と陽の光を浴びる事すら許されない体で、前すら見ずに、一心不乱に。


「……なんで、だよ……。何で俺は、こんな……っ」


 後悔と、恐怖と、罪悪感と、行き場のない感情が、怜の胸中で渦巻き、暴れる。この現状が、惨状が、誰かのせいだとは思えなかった。でも、全てを自分の咎として背負うには、身が引き裂かれそうなほどに重く、苦しくて。


「……でも」


 最愛の友を死なせた大罪人への罰ならば、まだ足りないくらいだった。


「……ゔ、ううっ」


 脇目も振らずに走り、走り、走り続けた。罪もしがらみも振り払いたかった。忘れてしまいたかった。この苦しみから逃れるためなら、罪を贖えるなら、いっそ命を捨ててしまえばと――


「ゔぁっ!?」


 突如、怜の口から苦悶の声が漏れた。全身に高圧電流の流れる電線を巻き付けられたかのように、体の奥まで突き抜けるような激痛が走る。


「づっ、体が……!」


 激痛だけでなく、脳天から爪先まで鎖で縛られたように体がぴくりとも動かせなくなる。何が起きたのかと視線を走らせた怜の周囲は、森林ではない風景へと変貌していた。古めかしい木の壁、毒々しい色の液体が入った小瓶、真っ黒い水晶の地球儀――言うなれば、魔女の家のようだ。


「なんだこれ……うわっ!?」


 拘束されていた怜の眼前、何もない虚空から突如、長身の人影が幻出する。

 2メートルに届くであろうか、人間ならば相当な高身長だ。フーデッドローブを全身に纏い、その顔はおろか身体さえも影に包まれて見ることはできない。しかし、唯一ローブの下から露出していたその右腕に握られていたのは、異様な圧力を放つ長大な杖。

 そのローブの姿には、どこか見覚えがあって。


「死神、なのか……?」


 数多の創作物や神話にも登場する、死にゆく魂を冥府へと運ぶ役目を持つという冥界の導き手、死神。そうか、穢れた罪人の魂を、刈り取りに来たというのか。


「……は、ははっ」


 口端から、乾いた笑いがこぼれた。こんな短期間で、三度も死を迎えるなんてとんだ笑い話だ。それとも、怜はとっくに死を迎えていて、燃え盛る地獄の大地を彷徨(さまよ)いながら、ただ幻覚を見ていただけの話なのか。


『……おい、貴様』

「うわっ!」


 低く、深みのある声が突如聞こえる。否、耳を通して聞いたのではない、テレパシーのように直接、怜の頭に響いたのだ。見れば、不服そうにこちらを見下ろしながら、杖を握ったまま腕を組む死神。


『誰が死神だ、あんな低俗な連中と一緒にするな』

「え……? ……じ、じゃあ」

『ならば誰か、だと? 私は、そうだな……ただの魔術師だ、何とでも呼べ』


 眼前の『魔術師』は杖を振るうと、怜の全身に走る激痛はさっぱりと消えてしまった。呆然とする怜をよそに、青ローブの男は例の脳内へとテレパシーを再び響かせる。


『ここは私の家だ、勝手に入って何をしている』


 眼前の魔術師は、その圧倒的な存在感でもって怜を押し黙らせながら、なおもテレパシーを続けて泰然と言い放った。


『興味深い。貴様……この世界の人間ではないな』

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