8:桃色吐息
部屋を出て廊下に出る。そして最初に見えたのは、壁によっかかって葉巻煙草を吸っているミオピアだった。
煙草は嗜好品だ。割と高価なので、私達みたいな冒険者が吸っているのは珍しい。高級品を扱っている商人が吸っているのを見るくらいで、ミオピアには、似付かわしくない光景だった。
「ん? なんだお前ら。ああ、声がでかかったからなぁ」
ミオピアの声が今までと口調も声の高さも違う。キャンキャンした高い子供っぽい声じゃない。今は普通に大人の女性の声だ。私は何が起こっているのか理解できずに固まってしまった。
「おい、何黙ってんだよ」
ミオピアがこちらを睨みつけてくる。口は悪いが間違いなく自分のことを名前で呼んで、愛嬌振りまきたっぷりな声でラクトに媚びるように話していたミオピアのはずだ。
「えっと、ミオピアだよね? なんか随分印象が違うんだけど」
「あ? あれか? あんなのキャラ付けに決まってるだろ。演技だよ。あんな気持ち悪い喋り方、素でする奴がいるわけねぇだろ」
ミオピアがケラケラと笑う。
「え、どういうこと。わけがわかんないんだけど!」
「こういうキャラのほうが受けがいいんだよ。ラクトがこういうのが好きなんで、あいつの趣味に合わせてやってるんだ。あ、これはラクトには黙っていろよ」
そういってミオピアは煙草の煙を口からふーっと吹き出した。煙がかかったミオソタが激しく咳き込んだ。
「で、なんだお前ら三人揃って」
ミオピアは短くなった煙草を床に落として足で踏みつけて火を消した。
そうだ、私達は大急ぎで服を来て、靴は間に合わずとりあえず外套を羽織って臨戦態勢を整えたのだった。ミオソタなんて、服を着るのが間に合わなかったので、裸のまま外套を被っただけなのだ。
「あ、そうだよ! さっきの声! なんなの? 何があったの?」
女性の悲鳴にも似た叫び声だ。声の感じからしてシーラに違いない。ミオピアの態度も気になる。私はミオピアを注視した。
しかし、ミオピアから帰ってきた答えは私の想像の範囲外だった。
「ああ、ラクトとシーラがやってるだけだ。あいつ声でけぇからなぁ」
「んぁぁぁんぁああああ!」
再びシーラの叫び声がした。これはただ事じゃないだろう。やっているって何をやっているんだ?
「いや、なに? どういうこと!?」
私がおろおろしていると、ミオピアが大きなため息をついた。
「おい、お前物分りが悪いな。誰かこいつに説明してやれよ」
ミオピアの視線が私の後ろへ向いている。
後ろにいるミーナとミオソタのほうを振り返る。ミーナはなんだか呆れたような顔をして私を見ているし、ミオソタは何故か恥ずかしそうに下を向いている。
「いいっ! いいーーーーーっ! ああああん!」
またシーラの叫び声が聞こえた。いや、叫び声というよりも歓喜の声に近い。それに、かすかに男の息遣いも聞こえてくる。これはおそらくラクトだろう。ベッドのある部屋で、男女が激しく行う行為となると、流石に私も気がついてしまった。
「ちょ、ちょっとまってよ! なんでこんなときに、その、えーっと、ともかく! おかしいよね!?」
私もなんだか恥ずかしくなってきた。でも今って依頼の途中でしょ? そういう行為を旅の途中、しかも他人がすぐそばにいる状態でやるなんて思わないよ。私がすぐに二人の情事に気が付かなかったのはおかしくない。おかしいのはこんな状況であの行為を行っているシーラとラクトのほうだ。
「それじゃ、もう戻って寝ましょう。まったく、人騒がせだったわ」
ミーナはもう関心がなくなったようだ。人騒がせで常識的にどうかとは思うけれど、私達が立ち入るような問題じゃない。
それにしてもラクトもシーラもまさかここまで非常識だとは思わなかった。それにミオピアの変貌っぷりも受け入れ難い。最初のかわいこぶっていたときのほうがまだましだ。
「あ、そうだお前ら。取引をしないか?」
部屋へ戻ろうとする私達を、ミオピアが呼び止めた。
「取引っていってもまぁ、情報だよ。お前ら、大陸行きの船を探してるって言ってただろ」
ミーナが立ち止まりミオピアのほうに振り向いた。
「まともな情報でしょうね? だいたいあなたのこともよく知らないのに、言うことを信じられると思う?」
そう言いつつも、ミーナは銀貨を数枚取り出してミオピアに渡した。
「なんだよ、これっぽちか。ま、煙草代くらいにはなるか」
ミオピアは残念そうに、だけどしっかりと銅貨を自分の懐にしまい込んだ。
「さてと、結論から言うとな。貿易船はもう期待しないほうがいいぜ」
「え? なんで?」
「シューラには今まで大陸の貴族がいただろ。そこの貴族の国と貿易してたけどよ、これからはコロネ商会が大陸との貿易はぜんぶすることになってるんだ」
不思議そうにする私にミオピアが言い放つ。私達にとってはとても困ることだ。すこしすればまた貿易が再開されるんじゃないかと思っていた私には信じたくない言葉だった。
「商会が独占するってこと? でもそんなことどうやって?」
「どうせコロネ商会がシューラ復興軍に武器を流していて、その見返りに大陸との貿易を独占させてもらおうってことでしょ」
私の疑問にミーナが答えた。
「なんだ、復興軍のことを知ってるのか。そうだよ、コロネ商会は復興軍がこの国を支配する手伝いをしてるのさ」
「困ったわね。これまでシューラ国との直接の貿易はファルファリアだけだったものね。私達が乗ってきた商船もそうだったし。それがもう当てにならないとなると、他の方法を探したほうが良さそうね」
「コロネ商会は大陸から来てるんじゃないの? 商会に頼めば船に乗せてくれないかな」
私達が乗せてもらった船はたしかファルファリアから出ていた商船だ。シューラで魔晶石を大量に買い込んで大陸に運んでいるのを覚えている。コロネ商会が貿易を独占するとしてもその売り先は大陸だ。
「そうね。商会を運営しているのが誰なのか知りたいわね。おそらくエリシュバルの貴族が絡んでいると思うんだけど、ムーズ家かオノメロウ家、ジニアスカー家、このあたりかしら」
「あー、聞いたことがあるのは、オノメロウか。あ、しまった、これは追加料金を貰わないといけないやつだったんじゃないか」
貴族の名前を聞いて、答えたミオピアが悔しそうにする。それを見たミーナの表情は、少し険しいものになった。
「オノメロウ伯爵か。協力は無理そうだわ」
「どんなお貴族様なの?」
「正直、あまりいい噂は聞かないわね。中級貴族で身分意識が強い印象ね。なにかあったら平民なんて簡単に捨てるような家柄かしら。とても私達に協力なんてしてくれないわよ」
ミーナがそう言うのならコロネ商会を頼るのは無しだ。同じエリシュバルの貴族だというのにミーナが無理というのだから本当に危険なお貴族様なのだろう。
「こうなったらシューラ以外の国へ行くことも考えたほうがいいかもね。とはいえ大陸と交易のある国が他にあるかどうか、そこから調べないといけないわ。ミオピア、そういう情報はないの?」
ミーナがミオピアに質問する。ミオピアは首を横に振った。
「そういう話は聞いたことがないぜ。オレらはこの前まで東の方にいたんだけどよ、シューラの隣、南東にはアビエルトって国があるんだけど、そこは海に面しているけど大陸に行けるような船は持ってないぜ。せいぜい内海を渡る程度のものだけだったぜ。西のほうは正直わかんねーな」
「そう、ありがとう。オノメロウには本当に気をつけておいたほうがいいわよ」
ミーナが真剣な表情でミオピアに言った。あまりにもミーナの目が本気だったので、ミオピアは一瞬固まってしばらくして「おう」と小さく返事をした。
沈黙が流れる。いや、静かになったのは私達だけで、あの二人の出すミシミシというリズミカルな音がより聞こえるようになり余計に気まずくなった。
「あ、そうだ、ミオちゃんのことを笑ってたじゃない。あれ何だったの?」
この状況に耐えられないので、私は話題を変えてみた。食事のあと、ミオピアのちょっとした言葉が妙に気になっていたのだ。
「え? なんだ? ああ、飯んときのか。いや、なんでそんなこと聞いてくるんだ?」
「あの、私、小さい頃から人間の家で育っているので鬼人のことがあまりわからないんです。何か知っているなら教えて下さい」
ミオソタが真面目な表情でミオピアに言った。私達三人は誰も鬼人のことを知らないのだ。当の本人も本来なら親から教えてもらうようなこともきっと知らないのだ。ここにきて人間との違いに気がついたのだ。気になるのは当然だ。
その様子を見てミーナが銀貨を一枚ミオピアに渡す。
「こんなのカネをとるような情報じゃないぜ。ま、貰えるものは貰っておくけどよ」
銀貨を懐に仕舞うと、ミオピアはミオソタのほうを向いて話し始めた。
「あんな、鬼人ってのはな、子供のときは汗とかいろいろ甘いんだ。それが育って大人の体になるとなくなるんだ。ただ、時々お前みたいにまれに大人になっても甘いままのやつがいる。お前みたいに成長が残念な結果になった奴がなることが多いんだよ。大抵の鬼人は結構スタイルがいいからな。お前はかなり珍しい残念なやつだ」
「残念ってなんですか。私はちょっと成長が遅いだけです」
ミオピアにミオソタが強く反論する。
「遅いんじゃねぇよ。それがお前の限界だ。諦めろ。もうそれ以上成長しねぇからよ」
ミオピアの言葉には説得力があった。ミオピア自身がそうなのだ。背も高くなく、女性特有の出るところはそれほどでもない。ミオソタもそうだ。体を隅々まで見た私にはわかる。子供と大人は体つきが微妙に違う。いくら胸が小さくても、子供と大人では違うのだ。ミオピアの言う通り、二人ともこれ以上の体の成長は期待できないだろう。
「いいか、人間だろうと鬼人だろうと個体差ってのはあるんだ。無理なものは無理、早めに現実を受け入れたほうがいい。小さいことは悪いことばかりじゃねーから。むしろそれを武器にして逞しく生きろ」
ミオピアの言葉にミオソタも反論できなくなっていた。ミオピアが甘い声であんなキャラを演じているのも生きるためなのだろう。そう思うとちょっとミオピアのことが受け入れられるような気がしてきた。
「それで、大人になっても汗とかが甘いと、何か困ることとかあるの?」
私が気になっている大事なことだ。忘れずに聞いておく。
「さあな、べたべたするとかくらいじゃねぇか? あー、変態に好かれるぜ。いるんだよ、体中舐め回したりションベン飲んだりするやつがよ。そういう奴に狙われるかもな。てかお前、そういう奴に飼われてた、ってわけじゃねーのかよ」
「私を育ててくれた人は立派な人です!」
「へー、鬼人を育てるなんて変わった奴もいたもんだな」
ちょっと信じられないといった表情のミオピアを、ミオソタが睨む。ミオソタを養ってくれていたマウザー様のお屋敷の人たちは、本当にいい人だったのだろう。
「とりあえず、汗とかに毒があるとかはないんだね」
「そんな話は聞いたことがねーな。結構うまいらしいぞ。そうだ、ちょっと舐めさせろよ」
笑うミオピアとは対照的にミオソタは露骨に嫌な顔をする。おしっこをわざわざ飲むのが好きな人がいるってのがちょっと信じられない。あれは緊急時の水分補給手段じゃないか。ミオピアの知識が正しいのかはわからないけれど、とりあえず毒ではなさそうなので少し安心した。
「しかしまぁ、この話をラクトにしたら面白いかもな」
ミオピアの顔がにやついた悪い顔になる。
「ラクトよぉ、お前らの体を狙ってたんだよ。あいつはな、行く先々で女の前でいいかっこして手を出してんだよ。夢はハーレムだってね」
ハーレム? たしか一人の男に複数の女が取り巻く状態を言うんだっけ。
「ちょ、ラクトはシーラとお付き合いしてるんでしょ?」
「あはは、シーラとラクトは体だけの関係だぜ。ハーレムのひとりってわけさ。あいつ、行く先々で女に手を出してんだけどよ、やっぱ一緒に冒険できるくらいの女のほうがいつでもやれるからってんで、女冒険者を狙ってるのさ。だけどよ、お前ら強いもんだから、ラクトのやつ苛ついてたぜ」
どういうことなの? 手を出すって? やれるって?
こういうことに疎い私にも流石に想像がついた。なんせラクトは今まさに壁一つ隔てたすぐ近くで、あの行為を行っているんだ。
「ま、女冒険者なんてそんなにいないし、いてもやべー奴ばかりだからな。お前らみたいなのはそりゃ狙いたくもなるだろうよ」
「ちょっと待ってよ! 私達を狙ってたっていうの?」
「そうだぜ、目の前でかっこつけて優しい言葉をかければ大抵の女が引っかかるからな。これまでもそうやって村娘とかを食ってきてるからなぁ」
もう嫌だ。悍ましい。ミオソタは心底嫌そうな顔をしているしきっと私も同じような表情だ。ミーナは呆れた表情をしている。
「だけど甘い話を知ったらどうなるかな。どっかから鬼人は肌触りや締りがいいって聞いたもんだから、二号のことはとくに狙ってたからな。諦めきれずにどうにかしようとしてくるかもしれねーな」
ミオソタの肌触りがいいのは鬼人の特徴だったみたいだ。確かに、あの肌触りはとても心地よい。
ミオソタはびくっとして私の外套の裾を強く握る。
「ま、言わねーから心配するな。ラクトがお前に手を出すとオレが困るからな。キャラ被ってるし名前も似てるとかんな奴が来られたら困るからな」
睨みつけるミオソタをミオピアがへらへらと笑う。あまりミオソタを怖がらせないで欲しい。
「ま、オレとしてはお前らに全くその気がなくて助かったぜ。あいつ、ちょっと甘えれば財布をすぐに緩めるし、ちん○こもでかいからそっちのほうでも満足できるぜ。ただ良すぎて素が出そうになるのが困るんだけどよぉ」
ミオピアがニヤリと笑う。その口から出た下品な単語に私は顔を顰めた。
「ふ、不潔だよ! そういう行為は子供を作るためのものなんだから!」
「あ? お前、頭かってーなぁ。敬虔なファルファ信徒じゃあるまいし。固いのは男のちん◯こだけで十分だっつーの」
ミオピアがからかうように笑って返す。嫌だ嫌だ。シューラじゃこれが普通なのだろうか。だとしたらほんと早く大陸に帰りたい。ミオピアの言葉で、大陸ではよく見かけるファルファ教のシンボルや教会施設をこちらでは一度も見たことがないことに気がついた。布教はしているはずだしミオピアだってファルファ教を知っているのだ。堅苦しい教えがこちらの人には受け入れられなかったのだろうか。
「お、終わったみたいだな、じゃあな」
気がつけばラクト達の部屋から聞こえていた物音が止んでいた。
ミオピアが部屋のドアを開けて入っていく。中からもわっと汗のような匂い、そしてミオピアの高めで媚びた作り声が聞こえる。
「早くこの仕事終わらせて、あの人たちと離れたいよ…」
「ほんとミリアはこういうのが苦手ね」
ミーナはため息をひとつついて部屋に戻る。私も後に続く。
「あ、私はちょっと、お手洗いに」
ミオソタはなんだかもじもじしながらバルコニーのほうへ向かった。食事のあとにみんな済ませたのに、飲み物でも飲みすぎたのかな。
今日は最後にとても疲れた一日だった。明日には依頼を片付けて早く街へ帰りたい。無事、街へ帰れることを神に祈りながら、私って結構信仰心があるほうだったのかな、なんて思ったりもした。




