4:狼なんか怖くない
雨上がりの虹がとてもきれいだ。ミーナの魔法で服もしっかり乾いている。少し雲があり青空というほどではないものの、久しぶりの太陽が心地よい。
と思ったのは最初だけだった。温かい日差しに温められた地面から、容赦なく湿気が立ち上る。
蒸し暑い。
今日は目的地であるコラプラナ村まで移動する。音信不通のれつなんとかとかいう冒険者が向かった魔獣討伐の依頼を出した村だ。
泥濘んだ道をただただ歩く。
外套が暑い。時々ばたばたと裾を動かして風を送り込むけどともかく暑い。ミオソタの外套はポンチョタイプなので余計に暑そうだ。
ミーナは外套をしっかり羽織ったまま、ぶつぶつ言いながら歩いているけれど、私達とは違ってなぜか涼し気な表情だ。
私は気がついた。
「ミーナ! なにかやってるでしょ! 私にもお願い!」
ミーナに近づいて外套に触れた。ふわっとした感触が返ってくる、そしてミーナの首元から風がでているのを見つけた。
「外套の中に風を送り込んでみたの。首のとこから風が抜けていくからこれ結構涼しいわ」
「すごい! お願い! それ! 私にも!」
汗が滴る顔をミーナに向けて訴えた。
「それがあとちょっとで完成なんだけどなかなかうまくいかないのよ」
ちょっと困った表情でミーナが返す。
「難しいの? その魔法」
「ええ、名前が決まらないのよ」
先程からぶつぶつ言っていたのは名前を考えていたようだ。そうだ、いつもミーナは魔法の名前に時間をかける。いつも使う呪文になるのだから、わかりやすいものがいいと言う。それは十分理解できるけど、ミーナが付けた呪文は変なものばかりだ。今回もきっと、それはないでしょって名前を考えているに違いない。
「カゼトース、スズシーン、いや、クウチョーンかなぁ。フウジーンもいいわね。どれが良い?」
やっぱりだ。どれもひどい。そんなことより早くその魔法、私にも掛けて欲しい。
「エミュ・レインの風なんてどうですか」
ミオソタが外套をばたばたしながら話に入ってきた。顔は汗が滴っていて本当に暑そうだ。
「エミュ・レイン? なにそれ」
エミュ、どっかで聞いたことがあるような気がする。
「エミュの実が熟す季節に降る雨のことで、こっちではこの雨季のことをそう呼ぶこともあるんですよ」
ああそうだ、あの酸っぱい木の実だ。うん、『エミュ・レインの風』いいと思うよ。なんだか詩的で美しい。
「よし、スズシーンに決めたわ! 術式展開:スズシーン、対象をミリアにしてっと、術式実行!」
ミーナが叫ぶ。ミオソタの意見はなにごともなかったように無視された。そしてふわっと私の外套の中に風を感じた。
「外套は前閉じてね。じゃないと風がきれいに通らないから」
あわてて前を閉じると、下から全身を包むように風が流れ、首元から出ていく。風で汗が乾かされて気持ちがいい。これはすごい、別世界だ。名前はやっぱり残念なことになったけど。
「ミーナ先輩! 私にも、私にも!」
額から汗を流しながらミオソタが訴える。
「ごめん、この魔法、外套の裏地に魔法紋を描いてないと使えないのよ。ミオのは表しか描いてないから今は無理ね」
ミオソタは絶句した。
「まぁこんだけ暑いのにその外套はかえって危険だよ。脱いだほうがいいよ」
ミオソタに外套を脱ぐように言った。ラクトのパーティーのほうもみんな脱いでいる。シーラはローブを脱いで薄手の丈の短いワンピース姿、ミオピアは外套だけでなく上着も脱いで上は胸巻き、下はミニスカートという破廉恥な格好になっている。いくら蒸し暑いといってもこれはひどい。ちなみに胸巻きというのはおっぱいが揺れて邪魔になるのを防ぐために胸に巻く布のことだ。ちなみにミオピアには揺れて困るほどのものはついていない。
ミオソタが外套を脱いだ。全身汗でぐっしょりといった様子で、気持ち悪そうだ。
「私、汗が多いからこれからの季節、辛いんですよ。べたべたするし」
ハンカチを出してミオソタの顔を拭いてあげたら汗が細い糸を引いた。
「え、ほんとにべたっとしてる」
指にちょっとミオソタの汗をつけてこすり合わせると一層ねばねばしてきた。少し舐めてみると仄かに甘かった。
「なにこれ、汗が甘いよ、どういうこと?」
「なにって、え、舐めたんですか? …変態」
私を見てミオソタが引いている。
「ミリア、うかつになんでも口にしちゃだめよ」
ミーナに言われてはっとした。鬼人と人間とは違う。人にとって有害なものが出ているかもしれないのだ。つい先日おしっこのことでそういう話をしていたというのに私が忘れているなんて、これじゃ冒険者失格だ。
「ううっ、失敗したー。でも鬼人の汗って甘いんだね。毒じゃなきゃいいけど」
とりあえず様子を見るしかない。刺激的な感じもなかったし大丈夫だとは思うけれど、なにもないことを祈ろう。
「汗って、ちょっと甘いものじゃないんですか?」
ミオソタが言った。
「いや、普通ちょっとしょっぱいよ。多分人間と鬼人の違いじゃないかな」
「今まで汗が違うなんて考えもつきませんでした。昔から私にばっかり虫が寄ってくるのはこのせいだったんですね」
他人の汗と比べることなんて確かになさそうだ。それにしても虫が来るなんてなんて恐ろしい。
ミーナは興味深い研究課題を見つけたようで、あとで調べさせてねとミオソタに詰め寄っている。汗だけでなく、他の体液も調査しなければとなんだか嬉しそうだ。ミオソタには災難だけど、こうなったミーナを止めるのは難しい。諦めてくれ。
「あ、待って」
ふと何かの気配を感じた私は声をあげた。湿った空気にちょっと獣臭さも感じる。ミーナがすぐに足を止め、いつもの防御魔法を唱えた。私とミーナの武具に魔法がかかる。ミオソタは外套を脱いでいるので魔法の支援がすぐにはできない。
「右の方、何かいるよ!」
少し前を歩くラクトたちに向かって叫んだ。すぐにラクトたちも足を止め、あたりを見渡している。
しばらくしてがさがと複数の箇所から音がして、狼っぽい獣が数匹飛び出してきた。
「シーラ! 魔法障壁を頼む!」
ラクトが叫ぶ。
獣がラクトに襲いかかるより先に、どうにかシーラの範囲魔法障壁が完成した。直径5mほどのドーム状の、微妙に緑色をした透ける障壁は、攻撃を通さない。内側からも攻撃はできないので、時間稼ぎの魔法だ。
ラクトが背中から剣を外し構える。ミオピアは弓に矢をつがえる。
遅い。私が警告を出した段階ですぐに武器の準備をはじめないなんて素人だ。こちらはミオソタが外套を羽織り、ミーナが防御魔法を付与し終わっている。私も敵の数を把握し終わっている。狼のような獣が十二匹だ。
ラクトのほうに襲いかかった獣はバリアに向かって突進し、攻撃できないことを理解すると、数匹がこちらに矛先を変えた。
ミーナとロバを中心に、私とミオソタがその前後につく。私に向かってきた獣の攻撃を左手の剣で制してその流れのまま右手の剣で裂く。ミーナの魔法が付与された刃が、確実に獣に食い込み行動不能にする。動きはちょっと速いけど読みやすい。私にとってはそんなに強い敵ではない。
私達の中では一番弱く見えるミオソタを狙う獣を、ミーナが確実に魔法で仕留めていく。ミオソタも獣の攻撃にちゃんとついていけているようで、盾を使ってうまくいなしている。ロバは怯えているけど逃げ出せない。逃げたり暴れたりしないようにミーナが魔法で拘束しているのだ、ロバには気の毒だけどしばらくの間耐えて欲しい。
私が二匹始末したところでミーナのほうも三匹を仕留めていた。ミオソタは大きく肩で息をしているけど怪我はないようだ。案外戦闘もいけるんじゃないかな。体力には問題はありそうだけど。
ラクト組のほうは一度バリアを解いて外に出たラクトが長剣で暴れている。そしてその身体は赤黒い魔法の光で覆われていた。全身に刺々しい刃のような魔法の光は、暴れまわるラクトの周辺を切り裂く。地面には三体の獣の死体が転がり血と内臓をぶち撒けている。そして三体がラクトから距離をとり様子をみているけど、完全に攻めあぐねているといった感じだ。
ラクトが纏う近づくだけで切り裂かれる魔法の刃の装甲には見覚えがある。斬り裂き鬼とも呼ばれる魔獣が同じような魔法を使っていた。ちなみに魔獣の正式名称は忘れた。
ラクトが戦っている間、残った三人とロバは魔法のバリアの中に篭もって見ているだけだ。そのバリアの側に、獣が一匹張り付いている。バリアが解除されればすぐに襲うつもりなのだろう。
「ワオォォォォォオオン!」
狼のような遠吠えが聞こえる。それを合図に残った四匹が踵を返して走り去る。
「逃がしませんわ!」
シーラがバリアを解除し、バリアに張り付いていた一匹を目掛けてミオピアが矢を放つ。矢は獣から逸れ近くの地面に落ちる。と、その瞬間爆発した。
爆発に巻き込まれた獣の前足が飛んだ。獣は一瞬硬直したけれど、残った三足で逃げ出した。そこにシーラが攻撃魔法を放つ。しかしこれは命中せず、地面に当たり土埃りを舞い上げただけで終わった。
「そっちは無事かい?」
ラクトが私達のほうに向かって言う。あの刃の装甲はもう消えている。
「大丈夫ですよ、それより何ですかさっきの刺々しいの。それに爆発する矢」
あんなものを見せられたのだ。聞かないわけにはいかない。
「わたくし達の組織が開発した魔法の武器ですわ。あの程度の魔獣相手ではいささか役不足でしたかしら」
たいして魔獣を倒せていないのに、シーラが自慢げな表情で答えた。
「この獣、狼が魔獣化したものみたいね。魔素の反応もあるわ」
ミーナはシーラご自慢の魔法の武器には関心がないようで、散らばった獣の死体を調べていた。魔術具のことになると人が変わったように食いつくミーナなのに、珍しいこともあるものだ。その態度にシーラがちょっとむっとしているので、私がシーラの相手を続けることにした。
「そんな魔法の武器、大陸ではみたことないよ。すごい威力だね」
「当然ですわ、ミナーヴァ様の技術をつぎ込んだ逸品ですのよ」
シーラは褒めてやるとすぐ機嫌が良くなるタイプのようだ。わかりやすくていい。だけどすごいのは威力だけだ。使い方がなっていないと思うけど、そこは言わないでおく。
「ミリアちゃんもしっかり魔獣を仕留めているじゃないか。思っていたより強いな」
ラクトは私達が倒した魔獣の死体を見ながら言った。
「いやいや、そんなことないですよ。ラクトさんの戦いを見ましたけど魔獣が完全にびびってましたよ。あれじゃなかなか手は出せませんね」
とりあえず謙遜しておく。『思っていたより強い』って、だったら最初はどう思っていたんだろう。
そうこうしていると空が暗くなってきた。まだ日暮れには時間がある。雨雲だ。雨が降る前の独特な匂いもする。私達は話をやめ、先を急ぐことにした。




