3:雨の夜 虹の朝
雨が弱くなってきた頃、スエルテ村へ到着した。
この天気なので、流石に外を歩いている人もいない。とりあえず、村で一番大きな家を訪れると予想通り村長の家だった。今晩泊めてもらえないか交渉をしようとすると、シーラが先に話を進め出したので任せることにした。
案内されたのは村の集会所のようなところで、大きな広間と小さな炊事場程度しかない建物だった。
広間に紐を張り、笠と外套を脱いで吊るす。私とミーナの外套は、結構お金をかけているだけあって防水性能はけっこういい。だけど長時間の雨でそれなりに染みている。ミオソタの外套はそこまで性能は良くなく、全身ぐっしょりと濡れてしまっていた。道中で、突然ミオソタが叫んだのを思い出す。なんでもパンツにまで雨の侵食が進んだとか。服を着ているのに肌が濡れる感覚は私も嫌いだから気持ちはわかるけど大げさだよ。
それでもミオソタのブーツのほうは侵食はなかったようだ。あのお兄さんの腕は確かだ。私とミーナのは結構雨が染みてきていたので、注文しておいて正解だった。受け取りに行くのが楽しみだ。
私達三人は荷物から濡れていない街着に着替えた。もちろん男性二人は炊事場に追いやってからだ。ミーナが大きなシートを床に敷き、私達の濡れた服を上に集める。シートには魔法紋が描かれていて、これで濡れた服を乾かすのだ。外套にも同じ魔法をかけて乾燥させる。外套には魔法紋を仕込んであるのでこういうときにも楽ができる。だけど生地を傷めないために乾燥速度はゆっくりだ。明日の朝にはしっかり乾いているはずだ。
この魔法もミーナがちょうどいい効果量と効果時間を調整したもので、魔術師協会に売り込み済みだ。魔術の利用料による収益で実家に貢献しているので親もミーナが冒険をすることにあまり口を出せないらしい。親孝行なのか親不孝なのかわからない。
ラクトのパーティーのほうはというとロープを張って濡れた服を干していた。女二人は丈の長い薄手のシャツだけで、裾がどうにか大事なところは隠しているけど脚は丸見えという、とても男性がいるところでやっていい格好じゃない。
私達が着替え終わったのを伝えると、男二人が炊事場から戻ってきた。ラクトは半袖のシャツと短いズボンだけで、バランス良く鍛えられた筋肉がよくわかる。セストドも同じようにシャツと短いズボンという格好だ。
正直男がいなければ、私も寝間着で楽をしたいのだ。あちらのパーティーとは別の部屋が借りられたら良かったのに。流石に寝るときは男二人は炊事場に行ってもらうことにはなったけど。
村長さんの奥さんらしい人が温かい食事を用意してくれるというので、私とセストドが手伝いに行くことにした。
食事の準備は集会所の炊事場を使った。大きな鍋に野菜を入れて煮ただけの簡単な食事だ。野菜は下茹でして茹で汁を捨ててから使っている。これではせっかくの野菜の旨みがなくなってしまう。私でも知っている料理の基礎が違うことに驚いた。味付けは、メイリョウというオオマメを発酵させたペースト状の調味料だ。この島に来たはじめの頃は独特の匂いに戸惑ったけど、慣れるととても美味しい調味料で、とくにこういう鍋物には良く合う。
セストドは調理に慣れているらしく、野菜の皮むきも率先してやってのけている。私は完全に出遅れて、後ろで奥さんの調理を見ているだけになってしまった。
村長の奥さんから聞けた話は、前に烈、なんとかという冒険者パーティーが来たのが半月くらい前で、それから帰ってきていないということくらいだった。えっと、なんてパーティー名だったっけ。
支部長さんから聞いていたとおり冒険者は男性五名。やはり想定外のことが起きていると思っていたほうが良さそうだ。
できた食事は広間に運んでみんなで食べた。食事中もラクトと女二人はなにかといちゃいちゃしている。セストドは露出の多い女二人が気になって目のやりどころに困っているという様子だ。実際、二人とも下着はつけていないのがちらっと見えてわかった。
それにしても食事はいまいちだ。発酵豆調味料の味はいいんだけど、野菜の味がしない。こっちに来てから出された食事はどれも美味しいものだっただけにちょっとがっかりだ。奥さんの料理の腕が悪いのだろうか。いや、ただ野菜を煮ただけの料理だ。やっぱり茹で汁を捨ててしまうのがいけないのだと思う。
「そうだ、戦闘になったときのことを決めておきたいんだが」
食事が終わった後、ラクトがまともなことを言ってきた。
「俺が戦うから残りは後方で待機してくれ。シーラが魔法の壁を作るからその中に居てくれたらいい」
まともかと思ったらそうでもなかった。
「それじゃ私達の仕事がないじゃないですか」
さすがにこのまま黙って受け入れない。
「敵が複数現れたら雑魚のほうを頼む。俺の戦い方は周りを巻き込みかねないからなるべく放れていて欲しいんだ。君たちだって楽ができるんだから問題ないだろう」
そういう問題じゃない。だいたい周りを巻き込むような戦い方をするならなおさら私達と一緒に来ないで欲しい。
「後で揉めると嫌なので、先に戦利品の取り分を決めておきましょう」
シーラがさらにいらっとすることを言い出した。
「私達が受けた依頼なのに、あとから来られて横取りされるのは納得行かないんですけど」
道中に現れた魔物を倒して手に入れられる金目のものはなるべく持って帰りたいと思っていたので私は不機嫌さを隠さず返した。
冒険者の収入のうち、依頼の達成でギルドから貰えるお金はそれほど多くない。とくに討伐系の依頼はかかる日数と危険の度合いと比べると微妙なこともある。しかし依頼中に討伐した魔物の素材などは冒険者の取り分となり、それが収入を補填する。今回の依頼は依頼を受けた冒険者の調査なのであまり報酬は高くないのだ。
「わたくし達が欲しいのは鬼の角だけ。他のものはいりませんわ。これならあなた達にとって、そんなに悪い話じゃないと思いますけど?」
鬼の角の価値は正直わからない。鬼もいろいろいるのでとても高額になるものからわざわざ持って帰る価値もないものもある。よほどレアな鬼が現れない限りは悪くはない提案だけど、こちらにはその鬼の角を欲しがるミーナがいるのだ。角が目的となるとなおさらミーナに決めてもらったほうがいい。ミーナのほうを見ると少し考えているようだった。
「ああ、俺たちは鬼の角のために鬼を狩っているんだ。本当に他のものはいらないんだよ。今回も、もしかしたら討伐対象の魔獣が鬼かもしれないから同行させてもらったんだ」
ラクトがシーラの言葉に付け加えた。
「まぁ今回は鬼の可能性は低いみたいですけど。あ、もし鬼の角を持っていたら買い取りもいたしますわ。ギルドよりも良い値段をつけますわよ」
鬼の角を欲しがるのは好事家や収集家のような人か、魔術師、それも角を解析して魔法の発動体とするようなことをする人くらいだ。そしておそらくシーラの目的は魔法の発動体としての目的だろう。もうこうなると私にはどうしたほうがいいのか本当にわからない。ミーナがんばれ。
「取り分についてはそれで構わないわ。でもそれじゃあなた達、儲けが少なすぎるんじゃないの? それで生活できるのかしら」
ミーナの出した答えはOKだった。正直ミーナは反対するんじゃないかと思ってた。
「俺たちのことは心配しなくても大丈夫だ。それより君たちのほうこそ心配だよ。どうして女三人でこんなところで冒険者なんてやってるんだい? 冒険をするなら普通はオーザ遺跡に向かうんじゃないのかい?」
正直に経緯を話してもいいものかと思い、私はミーナのほうを見た。
私の視線に気がついたミーナが目で合図を返す。ミーナが返事をするようなので、私は黙っておくことにした。
「んー、私達、遺跡目指してたんだけど、やっぱり実力不足だと感じちゃってね。それで大陸に戻ろうとしてるとこなのよ」
「そうなのか。君は魔術師だろ? さっき服を乾かしていた魔法、うちのシーラも使わない魔法だ。結構腕はいいんじゃないのか?」
シーラがむっとする。自分よりミーナのほうが上のように言われたのが気に入らないようだ。
「先程の服を乾かしていた魔法、付与魔法ですわよね。あれは割と面倒な術式を使うのであまり使う人が少ないだけですわ。確かに生活に便利な魔法は多くありますが、戦闘面ではさほど役には立ちませんわよ」
シーラはミーナの魔法を大したものではないように言う。自分のほうが上だという立場でいたいのだろう。
「ええ、私、付与魔法くらいしか取り柄がないの。だからもう大陸に帰りたいのよ」
ミーナもそれに逆らわない。こんなところで張り合っても意味がないとわかっているのだ。
「あらあら、そうなの。大陸に戻って攻撃魔法と防御魔法をしっかりマスターして出直したほうがよろしいですわ。しかし珍しいですわね、付与魔法が専門だなんて。もしかして貴女、ミナーヴァ様の信奉者かしら」
シーラがミーナのほうを見て言う。ミナーヴァ、誰だろう。聞いたことがあるような気もするけど思い出せない。
「ふーん、まぁその人の名前は聞いたことあるけど、それがどうかしたの?」
「ミナーヴァ=ジニアスカー様ですわよ? 魔術師協会の若き星、魔術に革命を起こした御方ですわよ?」
ミーナはミナーヴァという人のことはそんなに興味がないっぽい。ちょっとどうでもいいって感じでシーラに答えた。
「貴女、魔術師、それも付与魔術使いならミナーヴァ様の功績くらいちゃんと知っておきなさい! こんな無知な人がいるなんて、同じ魔術師として恥ずかしいわ!」
ミーナの答えが気に入らないようで、シーラは声を荒らげる。
「へー、で、どんな人なの?」
興味がなさそうな声でミーナが言う。そんなミーナを見て、やれやれといった様子でシーラが大きなため息をついた。
「現代の魔術に新たな道を作り上げた方ですわ。これまでは古代の叡智の解析が中心だった魔術開発に、魔角石の活用というこれまでにない魔術を生み出した御方です。これは魔術の歴史に残る偉大な発明なのですよ。しかもミナーヴァ様は魔術の実戦でもトップクラスの成績ですのよ。得意とする付与魔術だけでなく、攻撃魔法や防御魔法などの扱いにも長けておりますの。ああ、わたくし、ミナーヴァ様が参加された射撃大会のことを思い出すだけで歓喜いたしますわ!」
シーラは手を組んで空を見上げ、なにやら恍惚な表情を浮かべている。ちょっと気持ち悪い。とりあえずシーラがミナーヴァという貴族の魔術師に心酔しているということだけは十分伝わってきた。
「あーすまない。シーラは魔術の話になるとこうなんだ。話がよくわからないだろうがあきらめてくれ」
横からラクトが申し訳無さそうに言った。うちにも似たようなのがいるからその気持は理解できる。私ははじめてラクトに親近感を覚えた。
「魔法の射撃大会? 魔術師協会ってそんなこともしてるんだ。的でも壊すの?」
私の中の魔術師協会は、引きこもって研究ばかりしているところというイメージで、そんなにアクティブなことをやっているのが想像つかなかったので、つい口を挟んでしまった。
「複数の的の中心をいかに早く貫くかという競技ですの。距離や的の大きさを瞬時に見極めて適切な計算術式を適用し、最小限のマナコストで実行できるかが評価のポイントですわ。ただ高出力で的を壊すだけなんて、たいした制御が出来ていない無能とみなされますわよ。ミナーヴァ様は的の中心だけを正確に射抜いていましたわ。あれはまさに芸術! とても美しい魔技でしたわ!」
相変わらずうっとりした表情でシーラが答える。弓の技を競うのに似ているのかな。攻撃魔法を相手に合わせて瞬時に調整して実行するのはミーナが得意なんだけど、ミーナも射撃大会をやっていたのだろうか。ミーナならきっと好成績を残しているに違いない。それにしてもミーナが冒険者になる前のことを私はほとんど知らないなと改めて思った。
「その方がすごいってのは分かったからもういいわ。それで何の話でしたっけ」
ミーナはうんざりしているようで、話を戻そうとする。
「ああ、君たちがどうしてこんなところで冒険者をやってるかって話だったね。大陸に戻るだけなら貿易船に乗せてもらえばいいだけだろ? もしかして旅費が足りなくてお金を稼いでいるのかい?」
未だうっとりとした表情のシーラをそのままに、ラクトが話を進める。
「今、貿易船が止められているらしいのよ。まぁお金も心配だから、こうして貿易船が出るまで稼ぎながら待っているってとこかしら。もしどこかに大陸に渡る手段があるなら教えて欲しいんだけど」
ミーナがラクトの目を見て言う。ちょっと色目を使っているようだ。
「そうか、貿易は止まっているのか。それは災難だったね。ところで、ミーナさんとミリアちゃんはともかく、どうして鬼人の2号ちゃんは一緒にいるんだい?」
ラクトは船のことはさらっと流した。なにかいい情報が得られるかと思ったけど残念だ。そして答えに困る質問を投げてきた。ラクトの表情が一瞬意地悪そうに見えたきがする。どうする?
「たまたま助けたのよ。それで一緒に大陸まで連れていくことにしただけよ」
ミーナは詳しくは述べず、簡単に質問に答えた。
「さ、もう寝る準備をしましょ。男性がいると私達、落ち着けないんですけど」
ラクトがまだ何か言いたげだったけど、ミーナが会話を終わらせ、ラクトとセストドを炊事場へ追いやった。
広間に残された私達三人とシーラとミオピアは、互いに部屋の両隅に移動しそれぞれ寝る準備を始めた。私達は炊事場から離れたところを使う。男性が広間に入ってきたときにすぐに見えるところは嫌なのだ。
この部屋には寝具がない。夜は毛布に包まって眠る。随分と温かい気候になってきたとはいえ、雨が降っている今日のような日はまだ寒い。ミオソタの分の毛布はないので、今日はどちらかの毛布で一緒に寝ることになる。
一昨日は私と、昨日はミーナと寝たので今日は私の番ということでいいと思う。
「んじゃ、順番からして今日は私と一緒だね」
毛布をあけて迎え入れる準備をする。
「嫌です。ミリア先輩、胸触ってくるじゃないですか」
ミオソタが私からちょっと距離をとった。
「あら、ミリア、誰の胸でもいいんだ」
ミーナがくすっと笑った。
「おおきくてもちいさくてもおっぱいはいいものだよ」
そうだよ。おっぱいは等しく尊い。
「しかも服の中に手をつっこんで直接触るんですよ」
胸を手でガードするミオソタ。
「いやー、ミオちゃんの肌、触り心地がいいからついね」
手のひらにちょうど収まるくらいの膨らみが心地いいことを思い出してしまった。うん、今日も触りたい。
「もうミリアったら。じゃ、ミオは私と寝ましょうね」
ミーナがおどけて腕を広げミオソタを誘う。
「ミーナ先輩も嫌です。おしり触るのやめてください。しかも直接触るのは嫌です」
なんだよミーナもやってるじゃないか。
「いやー、ミオの肌、触り心地がいいからついね」
ミーナが笑って言い訳する。あの触り心地は本当に気持ちいいから仕方がない。まぁ本人が嫌がっているのは良くない。どうにか触らせてもらえるように交渉の材料を考えたほうが良さそうだ。
「ちょっとあなた達! 五月蝿いですわよ早く寝なさい!」
部屋の反対側からシーラが叫んだ。あっちはもう寝る準備はできているようだ。
「冗談はおしまいにして、今日は三人固まって寝るわよ。もし夜中にトイレに行きたくなったら必ず私を起こして。警戒のための魔法を使っているから作動すると面倒なの」
ミーナが私達にしか聞こえないくらいの小声で話す。
バックパックを枕にし、二人分の毛布を合わせる。私達の毛布にはボタンがついていて、ひとつにすることができるのだ。こういう工夫ができるのが上級冒険者ってものだよ。
「ミーナ、あっちのパーティー、どう思った?」
小声でミーナに囁く。
「気を許さないほうが良さそうだわ。とりあえずバックに何か組織がついてるようだけど、あまりいい感じがしない」
「そっか、あ、それとなんかすごい魔術師の話が出たけどミーナは興味なかったの?」
魔術師、それも付与魔術を使う貴族だなんて、ミーナからするとライバルそのものって感じだと思ったのだけど関心がないようだったのが気になったのだ。
「え? ミリア先輩、本気で言ってるんですかそれ」
なぜかミオソタに呆れた感じで言われた。なんで?
「ミリアはちょっと察しが悪いのよね」
ミーナが私に憐れみの目を向ける。え、ほんとなんで?
「もういいから寝ましょ、明日も歩くのよ」
ミーナが毛布に入る。んーなんだよ二人だけ何かわかった感じになってるのが悔しいなぁ。私も毛布に入り、ミオソタの胸を弄った。すぐにお腹を殴られた。今度は服の上からなんだからこれくらい許してよ。
翌朝、ちょうど雨が止んだようで、空にうっすら虹がかかっていた。今日はこのまま雨が降らないことを願う。
朝食は村長の奥さんがまた野菜の煮たものを作ってくれた。昨日と同じで味は悪くないけど野菜のいい味は出ていない。
そしてミオソタからはまた夜の件で怒られた。服の上から撫でるのもだめなのか。
「二人ともほんと撫でるのやめてください。眠れないじゃないですか」
朝からずっとミオソタの機嫌が悪い。
「私は撫でられるの気持ちいいと思うんだけどなぁ。安心して眠れる感じがすると思うんだけど」
小さい頃、眠るときに母親に背中を撫でられるとすぐによく眠れていたことを思い出す。確かに、撫でたのは胸だったのはちょっと悪かったかも。次はおなかを撫でてみたいな。
ミオソタが大きなため息をついた。
「気持ちいいから困るんですよ」
小さな声でぼそっとミオソタが言う。気持ちいいならいいんじゃない?
「あー、うん、そうか。ごめんね」
ミーナは本当に悪かったという表情でミオソタに謝っていた。そしてミーナは私を睨む。え、私だけまたなにかわかってないの?




