3:雨のちスペシャル
翌日、朝から雨だった。
「さて、今日は生憎の雨です。どのみち外に出るのも億劫なので、いまからみんなで手分けして作業してもらうわよ!」
てっきり雨で気分が落ち込んでいるかと思ったけれど、ミーナがなんだかウキウキした声で言った。
外に出る用事がないので私もミーナも今日は普段着のままだ。いつものシャツに飾り気のない生地の薄いエプロンドレスの組み合わせ。定住地を持たない私達はすべてを持って移動しなければいけないから、あまり嵩張る服は持てないのだ。靴もシンプルな潰れても大丈夫な布地の靴で、これだけみればそれほど裕福ではなさそうな町娘だ。私はともかく黙っていれば気品が滲み出るミーナにはちょっと貧乏くさい。
「雨だよミーナ、しかもこの国ではこの天気が半月以上続くって聞いたよ」
私はちょっと憂鬱だ。じっとりとした空気がもう最悪だ。革の防具にカビが生えないかも心配だし、第一に外に出たくない。
魔法と水は相性が悪い。水が魔法を拡散させてしまい効果が届きにくくなるのだ。だからミーナも雨で気分が落ち込んでいるだろうと思ったのにそうでもなかった。
「うんざりするのは昨日の夜に済ませたわよ。天気に文句を言っても仕方がないわ、今日は今日やれることをしましょう!」
そうだ、ミーナはこういう性格なのだ。悩んでも仕方がないことで悩むことをしない。私はまだそこまで達観できていないよ。
「んじゃ、ミオはこれね」
ミーナが昨日ミオソタのために買った外套を取り出した。表になにやら複雑な線が描かれている。なるほど、魔法紋か。朝からご機嫌なのは、魔法に関する作業をするからだったのか。ミーナは魔法を使うことよりも、魔法を使うための準備をすることのほうに興味がある。魔法を使うのは準備したものが思ったように機能するのかを確かめるためといってもいい。
「この線に沿って、特殊な染料で彩色します。まずは染めたくない部分にこの蝋を塗っていきます。大丈夫、最初は私が見本を見せるから」
そういってミーナが蝋の破片をミオソタに渡す。この魔法紋は、私の外套にもついている。私のときも自分の装備は自分で整備しなきゃと言われ、どうにかこうにか数日かかってやっと仕上げた。
ちなみにミオソタのことは呼びにくいので『ミオ』と呼ぶことに決めた。本人も貴族のお屋敷ではそう呼ばれていたという。お屋敷の人たちも皆、呼びにくい名前だと思っていたに違いない。
「私はズボンを縫うから、ミリアはそうねぇ、パンツ作ってあげて」
ミーナが私に布切れを投げてよこす。実はまだ下着を買っていない。私達が使っているズボンはちょっと特殊で、それに合う下着はあまり売っていないので自分で作るのだ。
ミオソタが不思議そうな顔をしている。お屋敷のメイドさんとして働いていたならきっと今まで下着はもわっとしたドロワーズだったと思う。ミーナがよこした布切れは、ドロワーズを作るには小さすぎる。
「私達が履いてるズボン、けっこうサイズぴったりなんだよ。そのほうが動きやすいからね。ミオちゃんのも同じような作りにするんだけど、普通のパンツだと都合が悪いんだ」
そういって私のズボンを出して見せる。
「この部分が、こうなって、ズボンを下ろさなくても用が足せるようにしてあるんだ」
ズボンのベルトとは別に、腰に結んである紐を解く。股の部分だけが別のパーツになっていて、ベルトの前側からだらんと垂れ下がる。
「そんで、普通のパンツだとこれじゃ用を足せないから、私達のはこうなってんだよ」
スカート部分の裾をまくって下着をみせる。私のパンツは一般的なものと比べると布の大きさが小さく、片側を紐で結ぶようになっている。
「こっちの紐を解くだけで、ズボンもパンツを降ろさなくてもできるんだよ」
左側の腰で結んだ紐を解いて右の太ももで結ぶとパンツが右脚にくっついた状態になる。こうすると用を足すときにパンツが邪魔にならない。さすがに今はそこまでやって見せないけど。
「いろいろ考えられてるんですね」
ミオソタが感心してくれる。いい反応だ。
「冒険中は危険がいっぱいだからね。こういう工夫で少しでも危険を減らすのが大事なんだよ」
そして各々作業にとりかかる。
ミーナは昨日貰ってきたジャケットの袖を切っている。大きめの男性向けのもので、袖の太さがちょうどミオソタの脚に良さそうだ。厚手の布でできているので、縫い合わせるのは力仕事になりそうかな。
ミオソタはテーブルの上に外套を広げ、ミーナが引いていた線をたよりに蝋を塗る。この後、特殊な染料で紋様を染め、最後に熱で蝋を溶かし別の布に吸い取らせる。染料は魔法を通しやすい素材でできていて、規則性のある模様を描くことで魔法を使うときの対象範囲を表したりするらしい。普通の魔術師はこんな面倒なことはしないらしいんだけど、ミーナが得意とする付与魔法はこういう工夫で使い勝手が良くなるのだ。逆に言うと、付与魔法がいまひとつ人気がないのが、こういう工夫をしないと使うのが面倒だということらしい。
「さてと、私もちゃちゃっと作っちゃうか」
このパンツはもう何枚も作ってきているので裁縫がちょっと苦手な私でもどうにかできる。
まずは布切れの中から比較的大きめのものを選ぶ。これを身体の大きさに合わせて裁断するのだけど、ちゃんと採寸するのも面倒なので現物合わせといこうじゃないか。
「ミオちゃん、ちょっと服上げてー」
「え? なんですか?」
「パンツの寸法を合わせるからちょっとほれ捲って! あと足をもうちょっと開いて!」
「えっ! えっ! ええっ?」
ミオソタの足元に潜り込み、紐を使って腰回りを測り、布を直接当てサイズを決める。
「あーそのまま、動かないでー、ちゃんといいサイズにしないと、食い込んじゃったりして痛くなっちゃうからね」
布を半分に折り、左右対称になるように裁断する。もう一度足元に潜り込み、腰紐の位置やおしりの包み込み具合を確認し、調整する。
何度か繰り返すうちに、さいしょはびくびくしていたミオソタも、観念したのか自分から股を開いてくれるようになった。
よし、これでばっちりだ。寸法が決まったのでこれと同じ大きさで布を切る。今回はとりあえず三枚作っておこう。
布を細く切って重ねて縫い、腰紐を作る。これには結ぶのに良さそうな布地を選んだ。結び目がすぐに解けてしまうのも解けにくいのもまずい。とくに水に濡れると結び目が固くなるのでこの布選びは重要だ。これまでの経験で、私もずいぶんとパンツ作りが上手になったものだ。
「そろそろお昼にしましょうか」
気がつけば正午の鐘が鳴っていた。外は相変わらず雨だ。
私達が泊まっている『珀玉亭』は一階が食堂、二階が客室という大陸ではよくある形式の宿屋だ。離れに大浴場があるところは大陸とはちょっと違うけど。大陸では湯浴みができる程度の小さな水場があればいいほうで、大きなお風呂はとてもありがたい。
夫婦二人で切り盛りしていて、おばちゃんの料理が最高に美味しい。そのため宿泊客だけでなく、食事目当てのお客さんも多い。
まず私が先に一階へ降りる。今日は雨のためかお昼のお客さんは少ない。
「大丈夫みたいだよ」
ミーナとミオソタに声をかけ、一番端っこの目立たないテーブルを選ぶ。
ここの夫婦は鬼人に敵意を持っていなかった。それでもお客に注意するにこしたことはない。今は大丈夫かな。
「今日のおすすめは『大陸風焼き飯のたまご乗せ』だよ。どうだい?」
聞いたことがない料理だけど、おばちゃんの作るものなら間違いないだろう。三人とも同じものを頼んだ。おすすめ料理はその日その時限りなのだ。逃すわけには行かない。
現れたのは、大きな卵焼きだった。卵焼きの上には赤いソースがかかっている。
「これ、上にかかってるのは赤ソースかしら」
ミーナがスプーンでちょっとつついて舐めている。赤ソースは赤ウサンという実野菜と香辛料を煮込んで作るどろっとしたソースだ。赤ウサンで作ったから赤ソース、とても安直な名前だけど、そう言われているから仕方がない。大陸でも割と新しいソースで、それがこちらでも使われているのには驚いた。
「うわっ、きれいー」
卵焼きの下から赤いライスが現れた。これが大陸風焼き飯か。ライスの中に、細かく切った野菜と鶏肉も入っている。ライスも赤ソースが使われているようで、赤ウサンの旨味がしっかりと味わえる。大陸風というのはこのソースの味付けから付けたのかな。
「この卵焼き、お貴族様のところでも似たようなものが出されたことがありますが、卵がこんなにふわふわじゃなかったです。もっとしっかり硬かったですね。こっちのほうが食感がいいですね。それに焦げてるところがありません。これはかなり腕がいい証拠ですよ」
本当だ。大陸の卵料理にも同じようなものがある。卵に刻んだ野菜や香草を入れて焼いたものだけど、こんなに柔らかくはない。それに言われてみて気がついた。焼き方も丁寧だ。大衆食堂が出すレベルじゃない。
「あらお嬢ちゃん嬉しいこと言ってくれるわね。その卵は泡立ててから焼いてるの。普段は半熟で柔らかく焼くんだけど、大陸の人は卵に火が通ってないのは苦手だと聞いたから今回はこんな風にしてみたのよ」
おばちゃんは機嫌を良くしてミオソタの皿にエビフライを乗せた。揚げたてでおいしそうだ。
「あっ、ミオちゃんだけいいなー!」
「安心しな、あなたたちの分もあるわよ、うふふ」
おばちゃんは私達の分のエビフライと、アナーソースが入った器をテーブルに並べた。よかった。危うく戦争になるところだった。
「このソースもうちで作ってるのよ。フライにはやっぱりこれね」
アナーソースは卵と油と酢を混ぜて作る。油と卵を使っていてこってりしているけれど、ほどよい酢の酸味の効いたまろやかな不思議な味のソースだ。材料からは想像がつかないこのソースは揚げ物の定番だ。最初に作った人はよくこんなの考えたものだ。
「あれ? アナーソースってこんなにさっぱりしてたっけ?」
エビフライにソースをつけて二口目に気がついた。私が知ってるアナーソースはけっこう重い。おいしいけどそんなにつけて食べるものではない。だけどこれはいくらでも食べられそうだ。
「使っている油が違うんじゃないでしょうか。それとお酢、柑橘類の果汁を使ってますね」
「あら、正解よ。うちでは植物油を使ってるわ。それと香りがいいからアオムクの実の汁を使ってるのよ。お嬢ちゃん良い舌してるね、料理の才能あるんじゃない? うちで働かないかい?」
いやいやそれは困る。ミオソタはもううちの子です!
「え、あ、あの、私は先輩たちと冒険者するので!」
ミオソタもすぐにお断りする。たしかにここで定職につくのも悪くないかもしれないけれど、ここにいては大陸には行けそうにないからね。
「あはは、冗談よ。まぁ雇えるなら雇いたいんだけどね。うちもこの店いつまで続けられるかわからないからねぇ」
おばちゃんの表情が沈む。
「うちも前はもっと冒険者さんたちで賑わってたんだけどね、みんなすぐに中央のダンジョンに行っちゃうから。地元の冒険者はうちよりもっと安いところを使うし、食堂の売り上げだけでどうにかやってるけど、そろそろお店たたんだほうがいいかもってね」
そういえば、私達以外の宿泊客を見ていない。私達にとっては都合がいいけれど、お店としては大問題だ。
「この建物もね、復興軍に宿舎として使わせろって言われてるの。元々ここらのお店はお貴族様が商人のために建ててくださってたのよ。復興軍が後を継いだらこの通りは軍の施設として使いたいらしいのよ」
おばちゃんは寂しそうに店の外を眺める。まだ雨は降り続いていた。
「あら、しんみりさせちゃったわね。大丈夫、そんときゃどっか小さい店を借りて料理屋でもするわよ。復興軍の連中も、私の料理で黙らせてやるわよ」
おばちゃんは笑顔で厨房へ戻っていった。
「それでは、作業を再開します。私の方はあらかたできちゃったから、次の作業にとりかかるわ」
食事を終えて部屋に戻り、作業を再開した。いつのまにかミーナのほうはズボンをほぼ完成させていた。ミオソタは蝋引きがもうすぐ終わるようで、ミーナが染料の準備を始めている。この調子なら今日中にできそうだ。早いな、私は所々塗る場所を間違えたりして大変だったのに。
私も作業を再開する。
次は、布切れの中から肌触りの良いものを選んで股の部分の補強にする。デリケートな部分に当たるところの布だ。これがあるのとないのではパンツの傷み具合がぜんぜん違うし着心地も良くなる。こういうこだわりが大事なのだよ。
パンツを縫いながら、ひとつ言っておくことを思い出した。
「あ、そうそう。ミオちゃんには立ったままおしっこできるようになってもらうね」
「え? 立ったままですか?」
ミオソタはなぜか私ではなくミーナのほうをちらっとみる。私変なこと言ってないから!
「そうよ、野外にはトイレはないでしょ。いちいちしゃがんでいたら、いろんなところ虫に刺されたりして大変なのよ」
ミーナの発言にミオソタは納得したようだ。
「やり方、わかるかなぁ、慣れないうちは両手でこう開いてね。おしっこの穴が隠れないようにするの」
スカートの上から両手を使って説明する。伝わっただろうか。
「ちゃんとおしっこの穴わかる? 手鏡貸そうか?」
「わ、わかりますよそれくらい!」
怒られた。自分では見えない場所なのだ。自分で確認するのって難しいよ?
「そういえばあんなことあったけど傷とか大丈夫なの?」
ミーナが何気なく尋ねた。そっちの話題、なるべく避けてたのになぁ。
「んー、それがねぇ、全く傷がないんだよ。どこにも。それに、あそこなんてピンク色でちっちゃくてかわいかったよ」
なにも言わないのも気まずいので、ちょっと気になってたことを口にした。硬い床の上にずっといたのに擦り傷ひとつなかったのだ。あっちのほうも、小鬼が出てきたというのにそんなことがまるでなかったかのようにきれいだった。
「そ、そんなとこまで見たんですか!?」
ミオソタが私のほうを見て真っ赤になる。これは怒ってるのか恥ずかしがってるのか。
助けた日、それはもう体中が汚物で汚れ大変だったのだ。宿屋に着いてから、おばちゃんに浴室を貸し切りにしてもらい、私が隅々まで汚物を拭き取り綺麗にしたのだ。ミオソタは安心したのか途中から眠ってしまったのでその間に全身隈なくチェックした。あんな不潔な場所にいたのだ、傷があったら早めに治療しないと大変だ。
「鬼人も鬼と同じように傷の治りが早いって本当なのね」
ミーナはなんか別のところに感動しているようだけど、傷が残っていないのは本当に良かった。あとは心の傷が少しでも早く癒えてくれると嬉しいな。




