4:爪爪爪
さっきまで私が立っていたところに、鋭い爪が振り下ろされていた。
いつの間にそこにいたのだろうか、長い前足の大きな人間、いや猿のような生き物がいた。体毛は少なく、一瞬裸のおっさんのようにも見えたそいつの頭には角がひとつ生えている。
「何こいつ! ミーナ知ってる?」
「知らないわよ! 初めて見るわ!」
魔獣に詳しいミーナも知らないとなると大陸にはいない魔獣だろう。ニーネスタ島は大陸に比べると魔獣が多い。魔獣の発生源がこの島にあるとも言われているくらいだ。
「おそらく『消え猿』だ! 粉の準備を!」
ディレクトが叫ぶ。粉? なんだそれ。
「急げ! そいつは鬼だ! 普通の武器じゃ効かないぞ!」
トルシドが剣を抜いて魔獣に斬りかかる。
「俺が食い止めている間に準備しろ!」
「二人ともはやく、粉を武器に塗るっすよ!」
ディレクトとペロテラがなにやら荷物から小袋を取り出している。
私のほうは既に武器を構え、魔獣の動きに備えている。ミーナの付与魔法はすでに武器と防具にかけられている。さすがミーナ、仕事が早い。
トルシドの攻撃は魔獣に傷一つつけられない。魔獣の中には身体の表面を魔力で覆うことができるものがいる。その魔力の層のせいで普通の武器が通らないのだ。
「交代だ! トルシド!」
ディレクトが魔獣に斬りかかる。それに合わせてトルシドが引く。
ディレクトの攻撃を長い腕で受けた魔獣の表情が歪む。僅かだが傷をつけたようだ。
仲間の戦闘力がどんなものか、もう少し様子を見るべきかと思っていたけれど、これはだめだ、この調子じゃ勝てない。
粉がなにかよくわからないけれど、おそらく普通の武器に魔力かなにかを付与するためのものだろう。だけど効果はかなり低そうだ。
魔獣は自分に傷を与えたディレクトの攻撃を、受けるのではなくかわすように動きを変えている。ディレクトもどうにか盾で長い腕の攻撃をしのいでいるけれど、防戦一方といった感じだ。
魔獣の大きさは体長3mほど、腕のリーチだけで2mはありそうだ。こちらは剣士4人に魔術師が1人、あまり剣士が近づきすぎてもお互いの動きの邪魔になる。うまく後ろに回り込みたい。魔獣には角が一本ある。おそらく鬼と呼ばれる類の魔獣だ。鬼の角には魔力があり、その種族固有の魔法を使う。おそらく最初に不意打ちを受けたことから隠匿系の魔法をつかうと予想した。鬼はその角の数だけ固有魔法を持つ。つまり他の魔法は持っていないと考える。
どうしよう、魔獣の気がディレクトに向かっている隙を突いて後ろに回り込んでみるか。
「おらぁ! くたばりやがれ! でやぁぁぁぁぁぁ!!」
私が様子を伺っていると、トルシドが叫んだ。
ダッシュして魔獣との距離をつめ、おおきく剣を振りかぶる。ディレクトがとっさに場所を譲るがだめだこれは。魔獣の正面からの突撃は、当然魔獣から丸見えだ。しかも大声でばればれだ。
魔獣の長い腕がしっかりトルシドを横から薙ぎ払う。しかも悪いことに横に避けていたディレクトも巻き込まれる。
良くない状態だけど今がチャンスだ。魔物が二人に気を取られている隙に、素早く魔獣の懐に走り込むと同時に胴体を斬る。魔法が付与された刃は魔獣の魔法の層を切り裂き本体にもしっかりとダメージを与える。
こちらに気がついた魔獣はさきほど振り切った腕を私のほうに向かって振り戻す。それを低い体勢でかわしつつ、左手の剣を離し、右手の剣を両手でしっかりと支える。私のほうは魔獣の腕の動きに合わせて刃を構えるだけだ。
「グゴグガゴァグァーーーーー!!!」
魔獣の咆哮とともに腕がふき飛んだ。魔獣自身が振った力を利用したカウンター攻撃がばっちり決まった。剣にかけられた刀身強化の魔法による切れ味があってこそできる技だ。
切り落とされた腕と私を見て、魔獣が真っ赤な目で私を睨みつける。こちらも負けずに睨み返す。
魔獣の身体に紋様が浮かび上がる。魔獣が身体に魔法を付与する前兆だ。
魔獣がふいに地面の土を掬うように腕を振り土埃を舞い散らせ、一瞬こちらの視界を塞いだ。しかし少し離れた位置にいたミーナがこの期を逃さず攻撃魔法を放っていた。
「ゲガァァァァアァァァ!!」
魔獣の姿は消えたがミーナの魔法も命中している。魔獣のいた空間に真っ赤な血が吹き出ている。そしてわずかだがゆらゆらと空間が歪んでいる。魔獣の魔法は姿を消すもののようだけど、流れる血まではさすがに消すことはできないようだ。
ドスドスと大きな音を立てて揺らぎが遠ざかる。全力疾走で逃げているようだ。追いかけるか?
「トルシド! しっかり!」
ディレクトがトルシドの側で叫んでいる。魔獣の爪がもろに直撃していたようだ。やばい、かなり出血している。
「ミーナ、手当を! ペロテラは周囲を警戒して!」
「血が、止まらない! トルシド! トルシドぉ!!」
ディレクトが叫ぶ。
トルシドに駆け寄り傷を見る。腹部からの出血がひどく、それを見ているディレクトの顔色も真っ青だ。
すぐにナイフを取り出し革鎧のつなぎ目を切断し、傷口を確認する。ミーナのほうは既に準備ができている。
「術式展開:キズフサーグ、術式実行!」
傷口に向かって棍棒を翳し呪文をミーナが唱えると、傷口から流れ出ていた血が止まる。
「魔法で回復できるのか!?」
「傷口を塞いだだけよ。早く街に戻りましょう」
驚くディレクトにミーナが答える。
この魔法は防具に魔力の層を付与することで防御効果をつける魔法を、ミーナが独自に調整したもので、一時的ではあるものの、出血を止めることができる。包帯なんかで止血するより効果的だ。呪文がちょっと個性的だけど、ミーナがつけたから仕方がない。いつか改名させたいとは思ってるけど。
そのへんに落ちていた木の枝とシャツで簡易的な担架を作り、ディレクトとペロテラの二人にトルシドを運んでもらう。木の枝の強度に不安があったので、ミーナの魔法で補強した。付与魔法は戦闘以外にも役に立つ。筋肉強化の魔法がないかペロテラに言われたけれど、魔法が切れたあとの反動が強く、あとでものすごい筋肉痛がやってくることを教えると遠慮された。身体強化系はそういう理由もあり魔法の中では人気がない。
街へ戻った頃には日が暮れる時間だった。どうにか診療所にかけこみトルシドを見て貰えることとなり、ディレクトは付き添いその日は診療所に泊まり込むことにした。
女子三人がギルドへ立ち寄ったときには既に職員は帰宅していて、支部長さんだけがひとり残って書類仕事をしていた。
「おう、遅かったな、どうだった?」
「大変でしたよ、魔獣が出てきてひとり大怪我ですよ」
「近くの林だろ? 何が出たんだ?」
「なんだっけ、なんとか猿とか言ってなかった?」
ミーナのほうを見るがミーナもちゃんと覚えていないようで首を横に振った。
「魔獣の腕! 持って帰ってるっす! これお金にならないっすか?」
ペロテラが嬉しそうに大袋から魔獣の腕を取り出す。鋭い爪は硬く、鋭利な刃物のようだ。私が切断した左腕、ちゃっかり拾って持って帰っていたのか。
「ほう、倒したのか? これは『フェオ=モノ』か。こっちじゃ『消え猿』って呼ばれているやつだ。まさかこんな街の近くに出てくるとはなぁ」
「あ、それそれ。そんな名前だった!」
「倒せてはないですね、怪我人の手当を優先したので逃げられました」
「そうか、それは残念だが良い判断だ。いやぁそれにしてもお前達が一緒で良かったぞ。下手したらみんな殺されて食われちまってたぞ」
支部長さんがほっと胸をなでおろす。
『フェオ=モノ』は消え猿と呼ばれるとおり、姿を消す魔法を使う。消えたままこっそり近づき鋭い爪で不意打ちをしかけてくる。凶暴で肉食、人間はとくに簡単に近づかせてくれるとあって、積極的に襲ってくるそうだと支部長さんが教えてくれた。
「で、やられた奴の怪我は大丈夫なのか?」
「診療所に預けてきました。結構ひどい怪我ですね。意識はあるようなので、今のところ命は大丈夫かと」
「そうか、あとは無事回復することを願うしかないな」
私達ができることはもうない。あとは医者の腕とトルシドの生命力にかけるしかない。
「あ、その爪はひとつ小金貨一枚ってとこだな。魔法を通すから加工すれば簡易的な魔法武器にはなるが、ナイフ程度の大きさだから使い勝手は微妙かもしれんぞ」
暗い空気を払うように、支部長さんが話題を変える。
「魔法武器っすか! 粉使うより良さそうっすね!」
トルシドのことはさほど心配していないのか、ペロテラは明るい顔だ。
「まぁ加工するのに小金貨五枚くらいは必要だがな」
工賃を聞いたとたん、明るかったペロテラの顔が微妙なものに変わった。
「そういえば、粉ってなんなの?」
気になっていたことをペロテラと支部長さんに尋ねる。
「あー、武器につけてたやつっすね! これです!」
ペロテラが小袋を開けてみせる。中にはきらきらと光る粉というか砂粒のようなものが入っている。
「魔石の粉かしら」
ミーナが粉を指の先につまみ観察する。
「ああ、魔石の一種を粉にした、というか、魔石を採掘するときに出た粉を集めたものだ。魔獣と戦う時に武器にのりをつけ、その粉をまぶすんだ」
やはり魔獣の表面の魔法膜を破ってダメージを与えるためのものだったのか。魔法の武器を持たない剣士には必須のアイテムだそうで、小袋ひとつで銀貨一枚ほどだそうだ。
結局、爪は拳ひとつに三本ついていたので男子二人、ペロテラ、私達で一本ずつ貰うことにし、私達の分は売却してトルシドの治療費に充ててもらうことにした。今回の魔獣襲撃、怪我をした男子組は完全に赤字だ。それにルトから仕入れたアトリスウイングポーションもひとつ渡しておいた。容態がはやく落ち着いて、飲めるくらいまで回復すればいいけれど。飲めばきっと効果はあるはずだ。ポーションは飲まなきゃ効果がないのがもどかしい。今はもう祈るしかない。私に信仰心はないけれど。
ペロテラの分が多いことになるけどこの際気にしないことにした。ペロテラは悩んだ末、爪を売却することにした。
「さて、支部長さん。フェオ=モノですが、私達が倒しちゃってもいいですか?」
ミーナが興奮気味に尋ねる。いつもよりテンションが高い。ミーナの目的はわかる。鬼の角だ。
男子組に今回の稼ぎに加えポーションも渡したのだ。私達もこのままでは赤字になる。大物は私達で頂きたい。
「そりゃ構わない、というか討伐依頼を出さなきゃいけないと思ってたとこだからやってもらうと助かる。推奨は『半月』級以上のパーティーってとこだが、あんたらには余裕だろう」
当然だ。怪我人がでていなければ、あのまま倒しきれていたはずなのだ。
ギルド依頼の討伐クエスト、報酬は小金貨十枚。倒した魔獣の証拠として首は持ち帰って欲しいとのことで、確認がとれた後、角はもらっていいという確認をして依頼を受領した。
ペロテラも同行したいと言うので一緒に行くことにした。少しでもお金を稼げるときに稼ぎたいらしい。正直あまり役に立ちそうにないけれど、小金貨二枚をペロテラの取り分にすることにした。今回は戦闘以外のことで活躍してもらおう。何ができるかわからないけど。それに経験を積むことは大切だ。
「それにしてもみんな帰ってるのにまだ仕事だったんですか?」
クエストの手続きを終え、ギルドを去ろうとしたときに、ふと聞いてみた。
「まぁ独り身だしやることないからな。それに俺の家はちょうどギルドの裏だからすぐ帰れるし、帰っても寝るだけだ。それに生活用品はたいていこっちにあるからここのほうが快適なんだよ」
支部長さんが笑って答えた。いやいや、寂しい独身生活だよ、笑ってる場合じゃないよ。




