7:ミルクをこぼして
「小僧! まったく… 探したぜ」
大声の主は三十歳くらいの男だった。頭はぼさぼさ、簡素なチュニックに草を編んだ靴、商人ではなく農民のようだ。
「あれれぇ、おじさん、どうしたの?」
ルトが子供っぽい表情と子供っぽい声で答える。さっきまでの大人びた口調とのギャップに吹き出しそうになるけれど我慢だ。
「なぁ、頼むから残りのミルクも買ってくれよ! どうして買ってくれないんだよ!」
「ぼくはいらないって言ってるだけだよ。いらないものは買えないよ」
「お、あんたらこの小僧の保護者かい? なぁ頼むよ、買ってくれよ!」
おじさんの矛先がこちらに向かう。いや、状況わかんないんだけど。
「ねぇ、このおじさん困ってるみたいだけどどういうことなの?」
面倒事には正直言って巻き込まれたくない。トラブルを未然に回避することは上級冒険者にとって大切なことだ。何にでも首を突っ込むのはお人好しのすることで、お人好しは早死にする。だけどおじさんの困った顔を見ると無視もできない。
「ああ、聞いてくれよ。俺は小僧がミルクを買い取ってるって聞いてここまでやってきたんだ。だが持ってきたミルクを少ししか買ってくれなかったんだ。せっかく持ってきたのによぉ。珍しい魔獣のミルクなんだぜ」
「魔獣ですって! なになに? どんな魔獣なの?」
ああ、ミーナがさっそく食いついた。面倒事にならなければいいけど。
「赤牛鬼って魔獣でな。全身が赤く、頭が牛みたいな奴なんだ」
聞いたことがない。大陸にはいない魔獣なのかな。ミーナを見ると、明らかに興奮している。魔獣、それも鬼のようだし仕方がない。
「ねぇ、魔獣のミルクなんて飲んで大丈夫なの?」
珍しいことと安全は別物だ。少しはルトが買ったということは、何か使えるものではありそうだけど。
「赤牛鬼のミルクはね、それだけでもすっごい回復効果があるんだ。最上級のおくすりの材料に使ってるのは赤牛鬼のミルクだよ。ぼくのおくすりはながもちしておまけにおなかの調子がよくなるように調合してるんだけど、回復効果のほとんどがそのミルクのおかげだね」
「だったらなんで全部買ってくれないんだよ!」
おじさんは涙目で訴える。
「だって、おじさんがもってきたミルク、質が悪いんだもん」
「そ、そんな…」
「それに、いちどに作れるおくすりの量もかぎられてるからね。ミルクは鮮度が大事。だからそんなにいっぱいは買い取れないよ」
「そ、そうか…」
理由を聞かされおじさんは項垂れる。
「おじさんの持ってきたミルク、ゴミが結構多いね。ミルクを絞るならミルクヒルを使うといいよ」
「ミルク、ヒル?」
おじさんがきょとんとしている。
『ミルクヒル』は吸乳蟲とも呼ばれる蛭で、その名の通り血ではなくミルクを吸う蛭だ。見た目は正直気持ち悪いけれど、搾乳が楽になるので酪農界では結構使われていると聞いたことがある。
「いるなら分けてあげるから、次はもっと状態のいいのを持ってきてよ。それから、ミルクの保存にはちゃんと保冷庫を使ってね。せっかくの希少なミルクがだめになっちゃったら意味ないからね」
「保冷庫だって? そんな高いもの買う余裕なんてねえよ…」
「それだけミルクを扱うには準備が必要なんだよ。ただ絞ってくるだけじゃダメなんだ」
この小人族、なんだかんだでちゃんと正しいやり方を教えているようで、結構いい奴かもしれない。
「無理を言って悪かったな」
おじさんはうなだれて食堂から出ていった。
「チッ、あの様子じゃ、今後のミルク供給源にはなりそうにないか」
ルトの口調が大人に戻る。おじさんのためではなく、自分の商売のためだったのか。いい奴だと思ったのにもう!
「あー、もうちょっと魔獣のこと聞きたかったのに。角にはどんな魔法があるんだろう、見てみたいわー」
ミーナもやっぱりいつもどおりだった。
その後ルトの荷馬車へ行った。
ルトは早速魔晶石を魔法の保冷庫に使う。ミーナは興味深そうに保冷庫を覗いている。興味があるのは中身より保冷庫のようで、これは誰が作ったものかしらなんて言って興奮している。
アトリスウイングポーションを5つ魔晶石と交換し、他にも睡眠の質を高めるアトリスミレニアムポーションを10個おまけにつけてもらえた。このポーションは結構流通しているものなんだけど人気が高く、一時期は全く買えないほどで幻のポーションとまで呼ばれたこともある。冒険者としてはそこまで無理して手に入れたいものではないんだけどね。
それから空いてる部屋がないことをルトに言うと、ルトが借りてる個室に泊めてくれた。ルトはもともとその部屋を使う気がなく、荷馬車で寝るつもりだったようだ。大事な荷物からあまり離れたくないそうだ。
部屋はお世辞にも綺麗だとは言えなかったけれど、野宿に比べれば随分とましだ。
ひとつのベッドに女二人。さすがに狭い。おまけにミーナは私を抱き枕代わりにしがみついてくるので暑苦しい。しかし旅の疲れなのか試しに飲んでみたアトリスミレニアムポーションのせいなのか、私もミーナもおしゃべりすることもなくすぐに眠りについてしまった。
翌朝、ポーションの効果なのかはわからないけれど、いつもより気持ちよく目が覚めた。
ルトに挨拶をして別れ街を出る。別れ際に、また機会があったら宜しくと言っていた。また会うことがあるのだろうか。
朝食は手持ちの携帯食で簡単に済ませた。私達だけではこの街の食事処を探すだけでも大変そうだし、なにより早いところ目的地であるカハスプエルトに向かいたい。
街を出たところで荷車が目についた。ロバに引かせる小さな荷車で、そこにいたのは昨日のおじさんだった。
おじさんもこっちに気がついたようで手を振って答えた。
「ああ、昨夜はどうも、すまなかったね」
おじさんの顔色あまり良くない。とても疲れている感じがした。
「こんなところで何をやってるんです?」
荷車には樽がいくつか積まれている。白い液体が滲み出ているのをみると、昨日ルトに買ってもらおうとしていた魔獣のミルクなのだろうか。
「ああ、昨日売れなかったミルクをね、もう傷んできてるから捨ててるんだ。一生懸命搾り取ったんだけど、無駄だったよ」
「ところでおじさん、その赤牛鬼ってどんな魔獣なんですか? おじさん、どうやって魔獣のミルクを手に入れたんですか?」
ミーナが早速魔獣のことを聞きはじめた。
「おじさんはやめてくれよ、俺はこれでも成人して四年だぞ」
私達とたいして変わらなかった。疲れた顔をしているからおじさんだと思われても仕方がないと思うけど。
「俺はタンボ、果実園をやってるんだけどな。今年は赤牛鬼にかなりやられちまった。これから収穫ってときにごっそりとな。おかげで食うに困ってるってわけだよ」
「赤牛鬼って果物を食べるのね」
「ああ、今の時期はうちのオウミの実が狙われちまった。どうにか冒険者に来てもらって何匹か倒してもらったけど、あいつら群れでやってくるんだ」
そういって、おじさん、じゃなかったタンボお兄さんはたまごくらいの黄色い実を私に渡してくれた。
「うちで作ったオウミの実だ。皮をむいて食べてくれ。中に大きな種があるから気をつけな」
大陸じゃみたことのない果実だ。うっすらと産毛のようなものに覆われた薄い皮をむくとじわっと果汁が溢れ出してきた。一口かじるとその実は硬すぎず、甘すぎない絶妙なやさしさの味が口に広がった。美味しい!
「でな、赤牛鬼のメスが生き残ってたんで捕まえて乳を絞ってみたんだよ。ミルクが高く売れるって冒険者が言うもんだからさ。だけど誰も乳搾りなんてしたことはないし、絞ってる間も赤牛鬼は暴れるしで大変だったんだ。しかも売り物にならないなんて、このままだと本当にまずいことになるよ」
おじさんは疲れ切った顔で笑ってみせるがほんとうに大変そうだ。魔物討伐なら力になれたかもしれないけど、それはすでに解決済みなので私たちができそうなことはなさそうだ。
「赤牛鬼、見てみたいわね。どんな魔法を使うのかしら、ねぇタンボさん、赤牛鬼が魔法を使うところ、見てないの?」
ミーナの関心は鬼がどんな魔法を使うかだ。鬼の角には未知の術式が存在するとかで、それを解明して魔術で制御するのがミーナの趣味という。正直普通の魔術ですら私にはよくわからないので、角を使って魔法を使うというのはもっとわからない。
「さあなぁ、そういうのはよくわからなかったな。ああ、見るだけならここに頭ならあるぞ。ミルクを絞ったあとに殺したメスの頭だけどな」
「あら、もう生きている赤牛鬼はいないの?」
「ああ、生かしておいても餌はないし、暴れてけが人が増えても困るからな。親父が赤牛鬼に蹴られて骨折しちまったよ。まあ、そいつのミルクを飲んだらあっという間に治って前より元気になったから、その点だけは感謝してるけどな」
赤牛鬼のミルク、ほんとうにすごい効果があるようだ。そんなミルクを捨ててしまうなんて本当に勿体ない。しかし樽の中のミルクは少し黄色に変色した固形物が浮いている。匂いもちょっとやばそうだ。
「せめて新鮮なうちにチーズなんかに加工すればよかったのに」
運河に捨てられるミルクを見ながらつぶやいた。
「チーズかぁ、その手もあったか。いや、どのみち誰も作り方を知らないからなぁ」
タンボさんの表情は暗い。ため息をついて次は大きな布袋を開ける。かすかに腐った匂いが漏れてきた。
「これがその頭なんだけどな。誰か買い取ってくれないかと持ってきてはみたんだが、こういうのを扱う商人はいなくてなぁ、これももうどうしようもなさそうだよ」
袋の中から出されたのは、本当に牛の頭のようなものだった。皮膚は赤く、小さな角が二本ある。どうみても雌牛だ。眼球は腐り始めてどろどろになっている。
「うわぁ、これは…」
思わず目を背ける。ミーナのほうはなにやらぶつぶついいながら、頭をひっくり返したりしている。腐った肉片が剥がれ落ちたりしているけれど、そんなことは気にならないようだ。
「タンボさん、この頭、私に譲ってくれないかしら。もちろんお金は払うわよ」
「本当か? こんなのでいいのか?」
「ええ、でも私が欲しいのは角の部分だけだから、他はそっちで処分してね」
ミーナは大金貨を二枚取り出してタンボさんに渡した。
「おいおい、こんなに本当にいいのか? いやこちらとしては大助かりだけど!」
ミーナ、随分と奮発したなぁ。まあタンボさんのこの様子をみると助けたくなるのはわかるけどね。ミーナもなんだかんだで困っている人には甘いんだよねぇ。
「もしまだ赤牛鬼の頭があるなら、肉はいらないから角の部分だけにしておけば売れるかもしれないわよ。まぁ角のままじゃどのみち使えないだろうから買う人は見つけにくいかもしれないけどね」
そう言いながらミーナは魔法で頭を真っ二つに割り、さらに切断し、角のある部分だけを取り出した。魔法を見慣れていなさそうなタンボさんは目を見開いて固まっている。取り出した二本の角を大事そうにしまうミーナの表情は、まさに新しいおもちゃを手に入れた子供のようだ。いや、ミーナにとってはまさに新しいおもちゃなのだ。
別れ際に何度もお礼を言われタンボさんと別れた。果樹園に来ることがあったら歓迎するからと言われたけれど、大陸に帰る私達が次に会うことはないだろう。タンボさんの果樹園はさっきもらったオウミの実の他にも秋には他の果樹も採れるというが、さすがにそれまでのんびりとここで暮らすつもりはない。
「ねぇ、ミーナ。その角で何ができるの?」
角を見ながらにやにやするミーナに聞いた。
「さぁ、わからないわ。正直鬼の角って使い物になるのって少ないのよ。大抵の鬼は、身体強化系の魔法を使うことが多いから、人間には向かないのよね」
よくわからないものに大金貨二枚もぽんと払ってしまうミーナの金銭感覚はやっぱり貴族だ。ちゃんと計画的に使っているとは思うけれど、時々ミーナのお財布が心配になる。こちらに来てからはお金をまともに稼げていないので正直懐は寒い。いざというときはミーナを頼らなければならないだろう。でも大事な仲間だからこそ、そういう事態はなるべく避けたいところである。
「ま、これは知らない角だからコレクションにね。大陸では見たことないもの。帰ったらゆっくり解析してみるわ」
私の心配事など露知らず、ミーナは新しいおもちゃをいじっている。私のために一緒に帰ると言ってくれたことは嬉しいけれど、やっぱりミーナはもっとこの島で知らない魔獣を見つけて研究したかったんじゃないかな。
「あー早く帰って角の解析したいわ! こっちじゃちゃんとした道具がないから何もできないストレス溜まるわー!」
あ、いや、やっぱりそういう心配はしなくても良さそうだ。
 




