腹黒侯爵令息は脇役令嬢に愛を囁く~お花畑カップルの腰巾着ではありませんでしたの!?~
「あの糞お花畑が!!
あのアイリスとかいう男爵令嬢はビッチか?!
それとも男とみると突撃しかできないアホなのか!?
殿下も殿下だ!あの尻軽に鼻の下のばして言いなりになっていて!!」
放課後、図書室に寄った私がいけなかったのだろうか。
それともその時に、今日授業を受けた別館に栞を忘れてしまったことに気が付いたのがいけなかったのか。
人気の無い別館の裏で薄い紫色の髪の毛をした男性が一人で唸る様に言っているのを聞いてしまう。
そこにいたのは一人だけで、その人の紫色の髪の毛は有名だったので知っている。
第一王子の腰巾着として有名なケイン・サヴォイア侯爵令息だ。
彼は私には気が付いていない様子で一人毒づく。
一応防音結界魔法をはっているから気が付かれないと思っているのかもしれない。
けれどおまじない程度の物なのでこれだけ近い距離だと聞こえてしまう。
「あの尻軽べたべたべたべた触れようとしてきて、脳みそお花畑がうつったらどうしてくれるんですか!
それに王子も仕事をほっぽらかして女の尻を追いかける事ばかりに執着して。
しかも騎士団の練習をあの馬鹿どもがサボってるのは俺と何の関係もないだろ!!勝手にこっちの責任にする時点で頭おかしいだろ」
誰もいない虚空にむかってサヴォイア侯爵令息は言った。
私はリーゼロッテ・アヴェーヌ。一応伯爵家の令嬢だ。
ただし“落ち目の”という前置きが付く伯爵家の人間だ。
貴族の多い学園ではほぼ空気のようなもので目の前で暴言を吐いている侯爵令息とも言葉を交わしたことすらない。
ここは気が付かなかったことにして去る。それ一択よ!! と思い踵を返したところで持っていた栞がするりと手元から落ちる。
紙で作られたそれは風にのってふわりとサヴォイア侯爵令息の元に舞う。
彼がばっ、という音が出そうな勢いでこちらを振り向いた。
目が合ってしまった。
どうしましょう。こんな時どうすればよいのですか!?
そうです。こんな時こそ淑女としての技能を生かす時。
顔に張り付けたような笑みを浮かべ、華麗にスルーする様に何も聞こえなかった振りをする。
たけど、当たり前と言えば当たり前だけど、ケイン様はごまかされてはくれませんでした。
* * *
貴族の子弟が多く通う学園の入学式からひと月遅れで編入してきた、男爵令嬢は見た目だけはとてもかわいらしい人だった。
事情があって入学が遅れてしまった、というその少女はかわいらしい大きな瞳とピンクゴールドのふわふわの髪の毛、それからメリハリの効いた体躯の美少女だった。
ゆえあって、平民として暮らしていたけれど男爵家で暮らすことになったため、貴族としてのマナーはあまり身についてはいなかった。
けれど、その平民感覚の距離感が貴族令息にはたまらないらしい。
そのあどけない様は瞬く間に貴族令息たちを虜にしていった。
事情ばかりだけれど、一応世間的には体が弱いためという事になっているけれど実際は愛人問題のドロドロだという話だという事が女子学生の中では噂として広がっている。
令息の中での人気はすさまじく一説によるとファンクラブまでできていると聞く。
彼女のわきまえない行動のどこにそんな魅力があるのか。ほとんどの貴族令嬢には理解が出来なかったけれど、第一王子をはじめとした高位貴族の子息たちをも魅了しているらしい。
婚約者がいるにも関わらずとろけるような笑みを浮かべアイリスの隣で彼女に話しかける第一王子のアルフォンス。
周囲を威嚇するように睨みつけているのは騎士団長の長男であるルイス・ヴァリア。
その横で微笑を浮かべているのが宰相である侯爵家のケイン・サヴォイア。
特に身分が高い人間でアイリスの周りにいる人間はこの三人。
他の令息もあの破天荒ともいえる男爵令嬢に心を奪われていると言うが、学園で近くにいるのを見ることが特に多いのはこの三人だった。
そのうちの一人であるサヴォイア侯爵令息が目の前で怒鳴る様に毒舌を披露している。
そういえばと思い出すと、彼だけは男爵令嬢の豊満な体を押し付けるような仕草をさっと避けていた気がする。
潔癖で、婚前のそういった触れ合いを好まないタイプだからだろうと言われていたが、このぶちまけっぷり、男爵令嬢の取り巻きではなかったのかもしれない。
とはいえ、完全に王子の腰巾着ポジションなのには変わりないかもしれません。
「今の聞いていたんでしょうか?」
これは質問ではなく確認だと気が付きました。
私には視線をさっと逸らすことしかできません。
「ははっ」
サヴォイア侯爵令息は自嘲気味に嗤いました。
「さぞ、愚かだと思ったでしょう」
こんなところで、一人で付き従うべき人間を罵倒するようなことを言って。
男爵令嬢一人に手をこまねいていて。
愚かな人間が愚かにもそれを口に出してしまった。
さぞかし不快なものを見せてしまっただろう。
そうサヴォイア侯爵令息は私にそう言いました。
驚いた事は事実だし、聞かなければよかったと思ったのも事実ですが私は別に目の前の人にそれほど愚かだという印象は抱きませんでした。
「あのご令嬢は元々頭にナニが詰まっているのか分からないような娘ですし、目の前で繰り広げられる“お花畑劇場”が滑稽なのは分かりますわ」
だからついそう言ってしまった。
実際、あの令嬢の周りは頭の中にお花畑が出来上がってしまったようにふわふわになってしまっている。
「っふ、“お花畑劇場”ですか……。
まあそうだろうね」
――だが、その登場人物のほとんどが次世代の王国の屋台骨なんですよ
「じゃあ、傀儡政治でもなんでもすればいいですわ」
没落しかけの伯爵令嬢が次代の宰相とも言われている侯爵令息に言っていい内容ではないと思った。
けれど、つい。思い付きをその人に返してしまった。
それはあの男爵令嬢を中心とした茶番を認識している人間が渦中にいたという事実の所為だったかもしれません。
「ははっ、そりゃあいい」
声を上げてサヴォイア侯爵令息はわらった。
大分追い詰められていた所為だろうか。なんでも面白く感じるのかもしれない。
それからその笑う様子を見て、王子の腰巾着というイメージは大分薄れてしまった。
サヴォイア侯爵令息はひとしきり笑うとそれからこちらを見た。
「面白いアドバイスをありがとう。
リーゼロッテ・アヴェーヌ伯爵令嬢」
演技がかった礼を執るサヴォイア侯爵令息に驚いてしまう。
「何故、私の名を……!?」
「そりゃあ、同じ学年の人間の顔と名前は一致させてます」
貴族として当然だろう。とばかりに言われ、私は逃げ場がないのだという事にようやく気が付きました。
* * *
特にあの後サヴォイア侯爵令息に口止めなどはされませんでした。
どちらにせよ言ったところで誰も信じてはくれないでしょう。
迎えの馬車が来て家に帰ると、両親が血相を変えて私を出迎えました。
「リーゼロッテ!!大変です!」
叫ぶ様にお母さまが言います。
「一体どうしたんですか?」
悪い予感がしました。
「サヴォイア侯爵令息があなたを見初めたと婚約の打診が来ているのだ!!」
お父様が興奮気味に言われました。
「え?」
確かに彼は私に口止めをせず、「それではまた明日」と言ってあの場は別れた。
だからって、何故それが婚約になるのか。
口封じ。命に関わらないやつが良いな。なんて冗談を言える状態か。私にも分からない。
単に一度愚痴のやべえやつを聞いてしまったからと言って婚約に結び付くのが分からない。
けれど、この婚約が見初めたとかそういう恋愛的なアレコレではなくて、『おまえ言ったらどうなるか分かってるだろうな』的なそれだという事だけは一般的な令嬢である私にもわかる。
正直お断りしたいが、現在私に婚約者がいる訳ではない。
王妃様が第一子をご懐妊されたことに合わせた貴族の中のベビーブームで私の世代の子供は多い。
その中で婚約者が決まっている人間は思ったよりも少ないのだ。
子供が多いという事は高位貴族の子供も多い。
もし、高位貴族の許嫁に何かがあった時、フリーであった方がチャンスが多い。そう考える親が多いからだと噂されることもあるけれど実際のところがどうなのかは分からない。
兎に角私には婚約者がまだいなかった。
両親は家格が上でしかも現宰相の家であるサヴォイア家からの婚約の打診におどおどしながらも喜んでいた。
断るという選択肢は全く考えられない。だって家格がこちらの方が圧倒的に下だから。
「む、無理ですわ……」
打診と言う名の強制を促す書類をみてそう言ってしまった私を両親は、「やはり侯爵家へ嫁入りというのは緊張するかもしれないがありがたいご縁だ」とニコニコしている。
侯爵家は素晴らしいかもしれないけれど、ケインはあの腹黒暴言令息はそんなありがたいとかそんな類のものではないですわ!と言い返したいけれどできない。
多分言っても信じてくださらない。
完全にはめられた。
そう思ったときにはもう遅かった。
* * *
婚約者同士の顔合わせにはにこやかに笑う侯爵夫妻と緊張で汗をぬぐっている父と声が上ずっている母それから現実逃避をはかりたい私と、張り付けた笑みを浮かべているサヴォイア侯爵令息で和やかに行われていた。
「リーゼロッテさんに庭園を案内して差し上げたら?」
という侯爵夫人の言葉にサヴォイア侯爵令息は笑顔のまま私をエスコートするために手を差し出した。
従わなければならないけれど、一度あの暴言の様子を見ていると彼の笑顔がまるで嘘っぱちみたいで微妙な気持ちになる。
それでも「ありがとうございます」と淑女の笑顔を浮かべて彼の手をとった。
サヴォイア侯爵家の庭はそれは美しいものだった。
彼は使用人を下がらせて私達の周りは二人きりだ。
サヴォイア侯爵令息はその瞬間張り付けた笑顔を浮かべるのを止めて、はあ。と息をついた。
「悪いですね。強引に話を進めてしまって」
「こんなことをしなくても誰にも触れて回ったりしませんわ」
そんな怖い事絶対にしない。
サヴォイア侯爵令息はニタリと腹黒い笑みを浮かべた。
とても薔薇が美しいと思って出た笑みとは思えない。
「いえ、どうせ分厚い面の皮が剥げてしまってることに気が付かれてるならそちらの方がいいと思いまして」
「え?」
彼の言っていることの意味がよく分かりませんでした。
「あの日少し話をして、存外すっきりとした自分に気が付いたんですよ」
「それは、ストレスを人に話すと楽になる的な意味で」
「そうです」
では他の人にという言葉は口にさせてもらえませんでした。
男爵令嬢をビッチだと罵っていたとは思えないすがすがしい笑みを浮かべてサヴォイア侯爵令息は言った。
「だから、あなたには僕の話し相手になって欲しいんですよ」
話し相手というかストレス発散のためのサンドバッグだろうと思った。
けれど、私には断るための権力がないことをちゃんと知っている。
「これからよろしくお願いいたします、ケイン様」
「こちらこそリーゼロッテ嬢」
ケイン様は暴言を言うのにふさわしいあくどい顔で笑いました。
それから美しい庭を案内されながら延々と、いかに王子が糞であの男爵令嬢が糞なのか。
それからケイン様は同学年の令息たちが軟弱なのかについてお話しされて、スッキリとした顔で私達家族をお見送りしてくださいました。
私は暴言の波状攻撃で自分に向けられたものではないと言えぐったりとしてしまいました。
* * *
「君のアイデアを参考にさせてもらったおかげで毎日が充実しているんだ」
婚約者としての交流。その名目で二週間に一度顔を合わせています。
その席でケイン様は私にそう言った。
アドバイスなんて何もした覚えがない。
だから、「この前出かけた時に見かけて買ってきたんですが」と言って渡されたストールがこの国でも力がもっともあるとされている公爵領の特産品である、青色に輝く絹織物で出来ていることもきっと偶然に違いない。
そうでないと、まるで私の言葉で彼が嬉々として傀儡政治をもくろんでいるみたいになってしまう。
美しいシルクを眺めて「素敵ですね、ありがとうございます」という社交辞令のようなお礼しか言えない私を眺めて、ケイン様は面白そうに笑った。
絹織物が特産品の公爵家には私達より少し年上の当主様がいるはずだ。年上の為、あのお花畑劇場には参加していない。
多分そういう事なのかもしれないけれど、私には絶対に関係ない。
関係ないったら、ない!
* * *
その後も婚約者としての関係は一見良好だった。
密かに驚いたのは、ケイン様がかなりマメな方だったことだ。
腹黒い本性を知ってしまった故の婚姻だと私も知っているにも関わらず、彼はちょっとした贈り物を欠かさなかった。
視察に行った先で見つけたからと流麗な文字で書かれたメッセージと共に送られてくる焼き菓子。
あなたの瞳の色を思い出しました。と贈られた花束。
ある種、貴族的と言えばそうなのかもしれないけれど、こういったことをされたことの無い私は、驚きと共にどうしても嬉しくなってしまう。
勿論友人と誕生日プレゼントの贈り合いをしたことはあったけれどこんな風に贈り物をされたことは無かった。
「よかったですねお嬢様」
そう贈り物を私に渡す執事に優し気に言われると、むずかゆい気持ちになってしまう。
私の婚約者は腹黒いということ以外とてもいい人だと思えた。
腹黒いというだけで致命的に問題なのかもしれないけれど、私もあの男爵令嬢はどうかと思っている。
だからそれほどまずい事だとは思えなかったのだ。
月に二回行われている婚約者としての時間。
ケイン様は人気のない場所での逢瀬を好んだ。
というか街中ではとても言えないような顔をして、街中ではとても口にできない事を話しているのだから当たり前にそうなってしまった。
どちらかの屋敷のガゼボでお茶を飲むか、郊外にピクニックに行くか。
どちらにせよ使用人を遠くにおいて、それからいつもの様にケイン様は毒舌を披露されていた。
「いやあ、やっぱり人に話すとストレス発散になりますね」
一通り言い切ったケイン様はさわやかに言う。
あれだけ言えば、気分も晴れやかになるだろう。
聞いているこっちは少し食傷気味だけれど。
「今までは誰にも愚痴を言わなかったのですか?」
愚痴と言うにはいささか過激な発言が多いけれど、オブラートに包んで少しだけ、例えば友達にこぼしたりはしないのでしょうか?
「誰かに話したことは無いですね。
そもそも僕がこういった性格であると知っている人間自体がいないですね」
そもそも学園であそこまでぶちまけていたことは初めてだったらしい。
「今までは一人の時に屋敷の庭で吐き出していましたから」
紫色の瞳が細められる。
「聞いていたとしても小鳥位じゃないですか?」
「じゃあ、私は小鳥の代わりですね」
言ってから嫌味みたいじゃないかと気が付いたけれど、ケイン様はあまり気にした様子もなく上機嫌にあくどい笑みを浮かべながら、ふはっと声を出して笑った。
「小鳥よりもずっと上等ですよ」
そう言ってケイン様は笑みを深めた。
翌週送られてきたのは白蝶貝に細かな細工を施された髪飾りだった。
そのモチーフが小鳥で、わざとですかぁ!?と叫びそうになってしまった。
お礼のお手紙を何度書き直しても嫌味っぽくなってしまって頭を抱えました。
ちなみに、髪飾りはとてもかわいかった。
* * *
目の前には哀れなものを見る目でこちらを見ているアイリス男爵令嬢とその取り巻きの皆さん。
ちなみにケイン様は本日学園は午後からの登校らしい。
どうせどこかで腹黒い欲求を満足させるための何かをしているのだと思う。
この前お会いした時には「金持ちから金をむしり取るのはやはり楽しいですね」と言っていた。私にはその楽しみはよく分からなかったので冗談という事にして適当に流してしまった。
「すみません。上手く聞き取れなかったのでもう一度よろしいかしら」
アイリス男爵令嬢に私は言った。
この前ケイン様に『稽古をサボる騎士はブタも同然ですよ』と言われていたヴァリア子息が「は?」と怒気をはらんだ声を私に向けた。
その時は『ブタに失礼ですわ』と返した気がするけれど、今はその話は無い。
「ケイン様はあなたと無理矢理婚約をさせられて困っておられるのです!!」
婚約は向こうから持ち掛けられたものだ。うちには大した財産もないし家格もケイン様の家より下だという事は貴族であればだれだって知っている。
だから私が無理矢理婚約に持ち込むことなんて不可能なのに、男爵令嬢は「ケイン様おかわいそうに」と言ってからハンカチを目に当てた。
綺麗なまでのウソ泣きだけれど、ここまで近くでこの馬鹿馬鹿しい茶番を見るのは初めてで思わずぽかんとしてしまう。
これを毎日に近いペースで近くで見せられてよくケイン様は耐えられる。
いや、耐えられなかったから私とのあの出会いになったのか。
「それはケイン様が言ってらしたのでしょうか?」
例え、あの人にとってもっと使える政治の駒がいて乗り換えるとしても、このお花畑達に事前相談をするとは思えない。
そもそも私とケイン様の婚約は公にしていない。
私も婚約者がいるという事を友達にも伝えていなかった。
どこかで婚約解消になるかもしれないのと、婚約者との時間について詳しく聞かれてもとてもじゃないけれど答えられないからだ。
「ケインには輝かしい未来がある」
男爵令嬢の横に立っていたアルフォンス殿下が噛んで含む様にそう言った。
だからケイン様のために身を引けと言外に言っているのは分かっている。
けれどこの王子様は男爵令嬢が自分の取り巻きに婚約者がいるのが嫌だと言ってるだけなことに気が付いているのでしょうか?
それとも別の誰かを紹介するのでしょうか?
アイリス男爵令嬢を見ると、ニヤリと勝ち誇った笑みでこちらを見ています。
貴重なランチタイムがこんな茶番で潰されてしまうのか。
ああ、面倒ですわと心の中で呟いてそれから殿下を見る。
「それでしたらケイン様より婚約解消の連絡をお願いいたします」
「なんでケインがそんな事しなきゃならないのよ!?」
男爵令嬢がヒステリックに叫ぶ。
それをみて優し気に男爵令嬢の肩に手を置くアルフォンス殿下を見てこりゃあ駄目だと思った。
「何をしているんですか!?」
その時だった。
休日に誰かへの悪辣な悪口か、碌でもない野望かそんな話ばかりしている彼の声が聞こえた。
今日は午後からの登校だと聞いていた。だからこのお花畑のメンバーも私に絡んできたのだろう。
少し早めに登校したのだろうかとこちらへ駆け寄ってきた頭一つ分高いケイン様を見上げる。
「私、ケイン様が無理矢理婚約させられたときいてぇ」
猫なで声を男爵令嬢が出している。
その声に王子も騎士団長の息子もデレデレとしていた。声だけでここまで喜べるのはある意味すごい。
ちらりと私がケイン様を見るとケイン様はふうとため息をついていた。
「僕達の婚約は貴族の義務的なものです」
ニコリと張り付けた笑顔でケイン様は言った。
貴族の義務的なもの。
正しく私達二人の関係をあらわしているなと思った。
だから悲しくなる必要はまるでない。
けれど、多分情がわいてしまったのかもしれない。
少しだけ悲しいと思ってしまった。
表情に出したつもりではなかったのだけれど、そういった事にだけ嗅覚が働く男爵令嬢は芝居がかった口調で言った。
「義務。それはケイン様おかわいそうに。でも“貴族の義務”であれば仕方がないのかもしれないですね」
二人の間に愛は無いという事をまるで周りに言い聞かせる様に言った後、満足したのか男爵令嬢は私の前から立ち去った。
ケイン様はアルフォンス殿下に何事か話しかけられた後、私には一言も話しかけず王子と行ってしまった。
完全にかわいそうな令嬢という目で周りから見られている感じになっている。
少しして友達が慌てて駆け寄ってきて慰めてくれた。
嵐のようなメンバーの茶番よりも“貴族の義務”という言葉が何度も何度も頭の中に繰り返し再生されて午後の授業は半分も内容が頭に入ってこなかった。
* * *
屋敷に帰ると、ケイン様が来ていると使用人から言われる。
今日の来訪予定は無かったはずだ。
応接間に通されていたケイン様は私が部屋に入るとガタンと大きな音をたてて立ち上がった後、花束を渡してきた。
男爵令嬢に巻き込まれたお見舞い的なものだろうか。
少なくともあの茶番はこの人の所為じゃない。
今度ゆっくりと、思ったより話の通じないお花畑ちゃんだったという八つ当たりのしあいはしたいかもしれないけれど、少なくとも目の前の彼に落ち度があるとは思えない。
ケイン様は端正な顔なのに眉根に皺を寄せてこちらを見る。
それから私が思ってもいない事を言った。
「学園で言った言葉は、僕の本心ではないのでそれを知って欲しくて来ました」
貴族の義務という言葉はもう何度も頭の中で繰り返している。
この人が学園で猫をかぶっていることは私も知っている。
知ったからこそ私とこの人は婚約している。
だから人前で彼が何を言おうがそれは私とは関係ない。
手紙で充分でしたのに、というべき場面なのに上手く言葉が出てこない。
「貴族の義務という嘘をついてしまって申し訳なかった」
静かにケイン様が頭を下げた。
「この婚約の意味はきちんと理解しております」
なるべく緩やかに聞こえる様に私は言いました。
「違いますっ!」
慌てた様にケイン様が言う。
私には何を慌てているのかがよく分からなかった。
「この婚約は貴族としての義務でも弱みを握られた代償でもありません」
そこまで言ったあと、ケイン様は言いよどむ。
「つ、つまり……」
こんなに歯切れの悪いケイン様は初めてだ。
罵倒するにしろ何にしろいつも話す時は滑らかに話す。
「つまり?」
思わず同じ言葉を返してしまうと、ケイン様は視線を逸らしてそれから顔を真っ赤にした。
「あなたの事が好きだってことです」
その表情は張り付けた笑みでも何かを企む様な腹黒い笑みでも無く、どちらかというと不機嫌なそんな表情で、だからこそ彼の本心なのだと思った。
「だから、ずっと僕と一緒にいて欲しい」
私は思わず頷いてしまいながらようやく、何故という気持ちがわく。
「私に弱みを握られたから監視しておきたかったのではないのですか?」
「え?」
まさか。とケイン様は言いました。
「何も偽らずに君と話すのが存外楽しいと思っていましたから」
ケイン様はそう言って照れくさそうに笑いました。
それは普段お花畑達の前でするような張り付けた微笑でも腹黒い笑みでも無く、年相応のもので、思わず私まで赤くなってしまいました。
――数年後
旦那様がお帰りになった。
お花畑たちは少しだけその構成人数を減らして相変わらず繰り広げられているらしい。
旦那様がたまに私に愚痴を言うので私も知っている。
あの後も男爵令嬢は相変わらずで、第一王子は学園の卒業パーティで婚約者である公爵令嬢に婚約破棄を突き付けていた。
お花畑ここに極まれり。
旦那様はその時も上手く立ち回られて、第一王子の元婚約者の公爵令嬢は旦那様の派閥の貴族と婚姻して今では仲良くさせていただいている。
旦那様は今日も楽しそうにお仕事をされている。
「リズ聞いてください」
彼は今日も意地悪な笑顔を私だけに見せてくれた。
END