最終章 湖岸の桜
祭りが終わり両親も東京に戻ると、我が家にはまた普段の生活が訪れた。
つい数日前まであんなに騒がしかったのに。広い古民家は途端にしんと静まり返ったようでなんだか寂しくも感じる。
だがそんな春の日の午前中、仕事のためパソコンに向かっていたところに一本の電話がかかってきた俺は、天にも昇らん声をあげて喜んでいた。
「ええ、新刊の売り上げも上々と。それは良かったです」
出版社からの電話は俺にとって嬉しい内容ばかりだった。
先日発売された菫坂先生の続編はまたしても大ヒットのようだ。アニメ化も決定したそうで、イラスト担当の俺も鼻が高い。
さらに密かに出版されていた俺の画集も好調な売り上げを記録しているそうだ。なんでもキャラクターだけでなく田舎町の背景が高く評価されたようで、これまでの主な購買層でない方にも受けているとのこと。
たしかに、里山に漂うあの空気感は実際に住んでみて初めて気付いたもので、以前のアパートで暮らしていたままだったら表現できなかっただろう。古民家での暮らしは俺の作風にも影響を及ぼしているのは確実だ。
電話を切った俺は「よっしゃあ!」と歓喜の声をあげて年甲斐もなく飛び跳ねる。当然、しばらくすると不審に思った天花ちゃんが仕事部屋の襖を開けて「うるさい!」と表示されたタブレットと怪訝な眼差しを見せつけた。
しかし喜びに浮かれる俺はそんなことなど気にせず、「やったぞ天花ちゃん、今日は祝勝会だ!」と彼女に駆け寄った。
(この前お祭りで散々飲んだのに)
すかさず天花ちゃんは呆れた顔を見せる。実はあの祭りの日の夜、俺と久野瀬さん、グエンさんの3人は町内の集会所に呼ばれたのだった。お疲れ様会として役員の皆さんが宴会を準備してくれたのだ。
そこですっかり気分が良くなってがぶがぶと日本酒を飲んでしまった俺は疲れのせいか途中で眠ってしまい、家にいる親父に迎えに来てもらうという恥ずかしい思いをしたばかりだった。
「細かいことは気にすんな。何か食べたいものない?」
後から収入はどさっと入るからね。寿司でもステーキでも何でも食わしちゃる!
しばし考え込む天花ちゃん。やがてサッサとタブレットに打ち込んで見せつけたその返答は、俺にとって意外なものだった。
(お花見したい)
「花見?」
てっきり近江牛のフルコースとかねだられると思ったのに。
「本当にいいの?」
訊くと天花ちゃんはすぐに頷いた。
(余呉湖に桜が咲いてるでしょ。まだちゃんと見に行ってないから)
そういえば、祭りだの両親の訪問だのでここ最近天花ちゃんといっしょにどこか行くってほとんど無かったな。
「ならせっかくだし行ってみようか」
俺がそう言い放つと彼女はニコリと返し、タブレットに文字を打ち込んだ。
(じゃあお弁当作るね)
余呉湖の畔は公園として整備されており、湖を取り囲むように桜の木が植えられている。淡いピンクの桜の花と青い湖面の対比は美しく、春の山水図を演出していた。とりわけ湖面に浮かぶ花びらはひとつの塊となり、まるで桜色の雲のようだった。
しかし客は有名な花見スポットほどおらず、ちらほらカップルや家族連れが桜の下に集まって花を愛でているくらいのものだ。とはいえこの絶景の割りに人の少ない風景がこの田舎の地域らしく、俺は愛着を感じずにいられなかった。
「これは穴場だな」
湖岸のベンチに座っていた俺は、すかさずスケッチブックを取り出した。
(また描き始めてる)
隣に座っていた天花ちゃんがタブレットの画面を見せる。彼女の膝の上には急いで作ったおにぎりや卵焼きの詰まった重箱がのっかっていた。
「もう職業病だよ。先にお弁当食べてていいよ」
(ううん、待ってる)
「そう?」
そんな取り留めのない会話を終え、俺はひたすら目の前の春の景色を紙の上に落とし込む。
色彩の対比は鉛筆の濃淡で表現する。飛んできた鳥は一瞬の姿をとらえ、その印象を描き写す。
絵に没頭した俺は10分ほどで紙一枚を仕上げてしまった。やっぱり被写体が面白いと、筆のノリが違うよね。
ふう、満足。達成感に浸っていた俺はふと隣に顔を向ける。だがその瞬間、俺は「あれ?」と妙な声とともに固まってしまった。
隣に座っていたはずの天花ちゃんが、忽然と消えていたのだ。
「天花ちゃん?」
辺りを見回すが、ベンチの周りにはいない。
しかもベンチの上にタブレット端末と重箱だけが置かれている。こんなこと、今まで一度も無かった。
「まさか!?」
良からぬ考えが頭をよぎる。俺は立ち上がり、そのまま駆け出した!
と、少し進んだ所で桜の木につながれていた犬の頭を撫でている天花ちゃんの姿が目に飛び込み、拍子抜けした俺は思いっきり躓いてしまい、「うわっとっと」とバランスを取って踏みとどまった。
そんな俺に気付いたのか、目を丸くして天花ちゃんがこちらを向く。きっとどこかの花見客が犬もいっしょに連れてきたのだろうが……ややこしいことするなよ!
「ああー心配した」
ばっくんばっくんと心臓を鳴らす俺に、天花ちゃんは「何で息切らしてんの?」とでも言いたげに見つめ返す。
「お、驚かさないでよ。てっきり……」
消えたかと思ったよ。そう言おうとしたところで、途端に恥ずかしく感じてしまった俺はつい口にするのをためらう。
しかし俺の言いたいことが分かったのか、天花ちゃんはぷっと吹き出すといやいやと手を横に振った。
消えるわけないでしょ。言葉も文字もなく、彼女の笑顔はそう訴えていた。
その時のことだった。強めの風がどうっと吹き、湖畔の木々をにわかに揺らしたのだ。
桜の花びらが雪のように舞い散り、驚いた天花ちゃんは思わず頭を押さえてしまった。その驚き様がおかしかったので、今度は俺の方がぷっと吹き出してしまう。
そんな俺に天花ちゃんはむっと頬を膨らませ、ずんずんと詰め寄った。
「悪い悪い。さあ、せっかく作ったんだし弁当食べようよ、弁当」
そう言って俺たちは元のベンチに戻った。
桜咲き乱れる余呉の春。来年もまたこの絶景を楽しめるのを待ちわびながら過ごしたいものだ。
ここまでご読了くださった皆様、最後までお付き合いくださりありがとうございます。
この小説を無事完結できたのも、普段からの皆様の応援のおかげです。
実は今年の夏、仕事の忙しさと持病の悪化で作者自身生まれて初めての入院をすることとなり、長らく小説の更新が滞っておりました。
そこで入院明けの私は一種のリハビリのため、次の小説には自分の願望をストレートに表現しようと思い本作の執筆に取り掛かりました。
結果として地元の風習やのんびりとした田舎での暮らしぶりをふんだんにぶち込んだ小説になってしまいましたが、話の書きやすさはこれまで書いてきた中でもダントツでトップでした。
現在は都市部で働いている私ですが、やっぱりDNAは田舎の子のようで、いつか田舎に家を買いたいな、なんて漠然と考えたりしています。
え、虫は平気かって? オールオッケー、むしろ追いかけ回したいくらいです。
現在、次回作の構想を練っている最中のため、新規連載までしばらく間が生まれるかと思います。
もし新着欄で私の名前を見かけたら、是非クリックして拙作をご一読ください!
それではまた次回作でお会いしましょう!
2019年12月3日 悠聡




