第十四章その5 わが町の祭
俺たちの曳山は商店街を悠然と進んでいたが、交差点まで来ると采方が「止まれ!」と指示を飛ばし、交差点の一角に停められる。車輪の前後には楔型の車止めが置かれ、能舞台を備えた山車は完全に固定された。
引手である俺たちはしばしの休憩だ。地元住民からお茶が配られ、熱くなった体を冷やす。お囃子の子供たちにもジュースやお菓子が振る舞われ、さっきまで真剣な顔で演奏していた子供たちも年相応の笑顔を見せた。
しかし役者の子供はきりっと緊張した表情のまま、舞台裏の幕の中に姿を消した。いっしょに山車に乗っていた大人たちも神妙な面持ちで互いに頷き合っている。見物客も舞台を取り囲むように集まり、交差点は人混みで溢れた。
いよいよ祭り最大の見せ場、子ども歌舞伎の上演だ。
笛の音色とともに幕が翻り、そこから顔を白粉で塗った武士の姿の少年が登場する。同時に観客からは拍手が巻き起こるものの、まだ10歳かそこらの少年は眉一つ動かすことなく声を張り上げて勇猛な武士を演じていた。
本物の能舞台に比べると小さな足場しかないが、演者は本気そのもの。子どもらしい甲高い声で演じられる歌舞伎は新鮮で、すっかり演目の世界に引き込まれてしまった。
演目が進み、まだ小学校低学年くらいの男の子が演じる花魁が登場すると殊更に盛大な拍手が贈られた。
「おもしろいな、これ」
こうなると他の曳山の演目も見てみたくなるな。曳山ごとに演目を変えているという。
「昔は曳山ごとに大関や関脇といった番付表にして評価していたらしいですよ」
お茶を飲みながら久野瀬さんが説明する。がっしりした体格だから法被姿が本当よく似合う。
この歌舞伎は昔の人々にとっては数少ない娯楽だったのだろう。しかも町内単位で競うので、現在で言うサッカー日本代表戦よりも身近に感じて白熱していたのかもしれない。
見ると天花ちゃんも舞台の上で演じられる歌舞伎にじっと見入っていた。子どもに優しい天花ちゃんのことだ、少年たちの直向きな姿は彼女の心にどれほど響いていることか。
俺はポケットにしまっていたスマホを取り出し、カメラアプリを起動して舞台の上の子どもたちを撮影した。スケッチブックが無いので残念だが、せめて後から見てもこの感情を思い出せるように。
大喝采とともに演目が終了すると、曳行が再開される。こうやって市内を巡りながら所々で歌舞伎を演じるのがこの祭りだ。
こうして俺たちは3時間ほどかけて街中を歩き、ようやく八幡宮までたどり着いた。
やがて神社の境内には街中から集結した曳山が並べられる。その勇ましさはまるで歴戦の戦士たちの顔合わせのようで壮観の一言だった。
「私たちの役割はここで終了です」
汗を拭う久野瀬さんに告げられ、俺は「ああ疲れたぁ」と腕を大きく伸ばした。こりゃ明日、肩と背中の筋肉痛がやばいことになるな。
「楽しかったです、日本のお祭りは最高です」
グエンさんも満足した顔を見せる。
「皆さん、ありがとうございます!」
そんな俺たちの元に室田さんが駆け寄り、無事町内会の責務を終えた喜びを共有した。
「では私はこれでもう家に帰りますが、皆さんこれからどうされますか?」
朝、俺とグエンさんを車で送ってくれたのは室田さんだ。帰るならいっしょに帰りましょうか、といった意味であることは察しが付く。
「妻と娘が待っていますので」
「私も安井さんと合流します」
「実は両親が見に来ていまして」
だが今日の参加者はいずれも、祭りを見に来ていた人がいる。俺たちは申し訳なさそうに断ると、室田さんは「そうでしたか、ではご家族水入らずでお楽しみを」と言って早々と帰ってしまったのだった。室田さんなりに気を利かせてくれたのだろう。
久野瀬さんとグエンさんもそれぞれの待ち合わせの場所に向かい、神社には多くの見物客に紛れて俺、そして天花ちゃんが残されてしまった。
(お疲れ様)
「ありがとう天花ちゃん」
ここに来て疲労がどっと押し寄せる。俺は節々の痛みに耐えながらゆっくりと歩き始めた。
(近江牛バーガー、忘れてないよね?)
「わかったわかった」
と、その前に。もう終わったよとスマホで母さんに連絡を入れないと。
メッセージを送るとすぐに返事が届く。母さんのことだ、そろそろ解散の時間だろうと思ってずっとスマホを握っていたのだろう。
「母さんたち、今曳山博物館の辺りにいるみたいだ。ここから歩くよ」
また来た道を商店街の方まで戻るのか。この疲れ切った身体にはなかなか応えるぞ。
俺と天花ちゃんは鳥居をくぐって神社の外に出る。行きは曳山目当てであんなに人でごった返していたのに、この時間になると遠くから笛の音が聞こえてくるくらいで人通りは普段と変わらないほどにまで閑散としていた。
(祭りっていいね)
「そうだね」
疲れたので返事もテキトーになってしまう。
(来年も参加する?)
「ここに住んでいる限りはそうなるんじゃないかな」
何気なく答える俺。その隣で天花ちゃんはまたしてもタブレットに文字を打ち込んだ。
だがその画面を俺に見せる直前、一瞬彼女はためらうようにもう一度タブレットを見返した。そして少し間を置いてから、俺の目の前に打ち込んだ文字を突き出したのだった。
(いつまでここで暮らすつもり?)
いつまで? 変なこと聞くなぁ。
「そういうことは考えてないよ。そもそも一生暮らすつもりであの家を買ったんだし」
何を今さら当たり前のことを。つい俺は面倒臭そうに答えてしまった。
しかしその直後、並んで歩いていた天花ちゃんの足がピタリと止まる。
「ん?」
俺が振り返って目にしたのは、驚きで目を丸く開いた天花ちゃんの顔。
「どうしたの?」
俺は眉をハの字にして訊くと、天花ちゃんはふるふると首を横に振った。なんでもない、と言いたいのだろうか。
「それより俺も腹減ったよ。早くバーガー食べに行こう」
その一言に彼女はこくんと頷き返す。そしてやや距離の離れてしまった俺を小走りで追いかけ始めたのだった。




