第十五章その1 山里の春
例年、東京では桜の開花は3月の終わり頃で、遅くとも4月に入った頃には満開を迎える。
しかし雪の多い滋賀県北部ではもう少しずれ込み、4月に入っても桜の木はまだ小さなつぼみを膨らませたままにとどまっていた。そして4月も中旬に入った頃、ようやく解き放つようにその花を開くのだ。
「こっちよ!」
県内唯一の新幹線駅、米原駅のロータリーに立って手招きする還暦間近の夫婦。ぶっちゃけ俺の両親だ。
俺は運転するインプレッサを両親の前に停めると、特に言葉を交わさずとも両親は車のトランクを開けて持っていたキャリーバッグを突っ込む。そしてすぐに後部座席に並んで座るのだった。
「創太、久しぶりね」
「新幹線で一本だと意外と来やすいもんだな」
「気が早いよ、余呉まではここから30キロ以上あるよ」
1年近くぶりの再会だというのに、まるで昨日までいっしょにいたかのような調子だ。
「ねえねえ、琵琶湖見てみたいんだけど湖岸まで行ける?」
「のっぺいうどんが美味しいってネットで見てな。店寄ってくれるか?」
「とりあえず荷物下ろしてからにしろよ」
息子はタクシーじゃないぞと、俺は呆れて言い返す。
そんな俺たちのやり取りを見て、助手席の天花ちゃんは吹き出しながらタブレットに打ち込んだ。
(仲良さそうね)
なんだか恥ずかしいな。俺はぷいっと前を向いてアクセルを踏んだ。
俺たちはそのまま我が家に直行する。田んぼに囲まれた一軒家を見るなり、両親は「あら、いい家じゃないの」と歓声をあげた。
家に上げると反応はさらに増した。
「広いわねぇ」
「床の間もちゃんと飾りつけしてるな」
座敷の一角に荷物を置くなりあちこちを観察して回る。
「お庭も広くていいわねぇ」
特に母さんは裏庭の家庭菜園を羨ましそうに眺めていた。ベランダでのプランター栽培しかできなかった母にとって、庭付き一戸建ては夢だったのだろう。
「ちゃんと掃除してるみたいね、偉いわ」
「はあ、どうも」
実際に掃除してるのは俺じゃないんですがね。その庭もほとんど同居人の趣味ですし。
まさか息子が幽霊と同居してるなんて微塵も思わない母は、座敷を出て台所に向かった。
「今お茶沸かすわよー、まあ囲炉裏! 面白い物もたくさんあるのねえ」
「ああ、前住んでたお婆ちゃんが使ってた物が結構そのまま残ってるんだ」
お茶っ葉のしまってある位置はわかりづらいんだ。俺は母を追って居間に入る。
「あら、いつの間にお茶淹れてくれたの?」
しかしそこで見たのは、きょとんと目を丸くする母だった。
居間のちゃぶ台の上にはすでに湯気を上げる急須と、湯呑が3つ並べられていたのだ。
この日は両親に滋賀の特産を味わってもらおうと、市内の近江牛のレストランへ案内した。以前天花ちゃんを連れてきたあの店だ。
和牛をふんだんに使った料理の数々に舌鼓を打つ両親。会話も自然と弾む。
「あんたちゃんと生活しているみたいでお母さん安心したわ」
「東京でも一人暮らししてたろ」
まあここまで大きい家での田舎生活は初めてだけれども。
「ところで創太、祭りは明後日だったか?」
「うん、その日は朝早くから出るから、父さんたちはあとで電車で長浜まで来てね」
美味しい料理ほどあっという間に平らげてしまうもので、すべての皿を空っぽにしてしまった俺たちは名残惜しいが店を出る。
夕食の時間が早かったためか、夜には閑散とするこの通りもまだ観光客や地元住民で賑わっていた。
「あんた、ちょっとスーパー寄りたいんだけど、どこにあるの?」
「それなら駅前に平和堂が――」
あっちだよと指差したその時だった。
「あの、大八木さんではありませんか?」
女性の声に呼ばれ、俺は「え?」と振り向く。
振り向いたその先には、眼鏡をかけたロングヘアーの美女。そう、菫坂先生が驚いた顔で立っていたのだった。
なんで菫坂先生がここに!?
「せ、先生!?」
「どうも、お久しぶりです」
ぺこりと頭を下げる先生。予想だにしなかった再会に、俺は完全に取り乱していた。
一方の両親はというと、いきなりの美人な若い女性の登場に、ほうほうとそろって頷いている。
あ、こりゃ絶対、何か勘違いされてるな。




