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第十三章その3 白銀の里山

 改めて外に出て景色を眺めた俺は声を出すことさえできないほど、雪の創り出す絶景に心奪われていた。


 田んぼや畑はすっかり白い雪に覆い尽くされ、所々飛び出ている標識や電柱が無ければどこが道なのかすらわからない。白く染められた山々には所々で木々の緑が覗き見え、普段以上に山容を際立たせていた。


 そしてこんな日でもサギやハクセキレイといった鳥たちは高く澄んだ青空を飛び回り、平然と雪の上に両足を着けている。


 見慣れた風景がこうも一変してしまうとは。雪というのはなんとも最高な舞台演出装置だろう。


 俺はスケッチブックを開き、無心に鉛筆を動かす。寒くて指がかじかむので時間はかけられないが、感じ取ったことをささっと紙に落とし込むのなら可能だ。


 風の音、鳥の声、車が雪を踏みしめる音。凍てつくこの空間ではそれらすべてが新鮮に聞こえ、俺はただただ感情に任せてスケッチを完成させた。


 指先の感覚を失いかけた手に手袋をかぶせると、まだまだ家に帰るのがもったいないとさえ感じる。それならもう少し歩いてみようと、俺は余呉湖の方まで向かった。


 そして遠目に見えた余呉湖の風景は、思わず足を止めて見とれてしまうものだった。


 雲ひとつない青空と、雪に染まった山々。それら色彩のコントラストが鏡のような湖面に反射し、湖の中にもうひとつの別世界を作り出している。


 俺はスマホを取り出し、カメラで目の前の絶景を撮影した。本当ならスケッチブックに描き写したいところだが、さすがにこれ以上続けると指が凍傷を起こしてしまいそうだ。


 その時、俺の脇を一台のワゴン車がすり抜ける。自分なら車の運転なんて絶対にしたくないこんな積雪にも関わらず、ワゴン車はまっすぐに観光客向けの駐車場に進入すると、そこで止まった。


 見てみると、駐車場には既に複数の車が止まっている。こんな日に何をしているのだろう?


 不思議に思って近付いてみると、立てられていたのぼりを見てすぐにその理由がわかった。


「そうか、ワカサギ釣りか」


 湖畔から水の上に突き出した桟橋。そこには釣り竿を手にした人だかりが形成されていた。


 ワカサギと言えば冬の風物詩、小さなからだに美しく輝く鱗が特徴的だ。ワカサギ釣りと言えば凍結した湖に穴を穿ってそこから糸を垂らすイメージを思い出すが、それはもっと寒さが極まって来てからの話、湖面が全面凍結しているわけではないのでここでは桟橋からのフィッシングが基本となる。


 釣り人たちは3メートルほどの釣り竿の先に、いくつもの針を仕掛けた糸を垂らす。そしてポンポンと驚くようなリズムで、一度に何匹もピチピチと跳ねるワカサギを釣り上げていた。


 なんだかおもしろそうだ。俺はすっかり雪の取り除かれた道路を進み、桟橋まで足を踏み入れた。釣りは遊漁券を購入しないとできないが、桟橋に入るだけなら自由だ。


 風を遮る物が何も無い水の上、釣り人たちは誰しもが防風性のアウターを着込み、口元までネックウォーマーやマフラーを巻いた完全装備で座り込んでいた。


 そんな面々の中に身軽な服装でひょこひょこと入ってきた俺は、風が吹くたびにひとりだけ全身を震わせていた。


 だが釣り糸を垂らす人々の中に知った顔を見つけ、小走りで近付いて声をかける。


「グエンさん!」


 釣り竿を持った若い男性がにこりと微笑み返す。


「大八木さん、どうも」


 スキーウェアと見間違えるほど、他の釣り人以上に厚着で身を包んだ男性。ベトナムからの技能実習生、グエンさんだ。


「こんな所で何してるんですか?」


「今日は仕事が休みなんで、遊びに来てます」


 そういえばグエンさん釣りが好きだって言ってたな。


「ベトナムではこんな寒さと雪は体験できません。ですがワカサギは美味しいですし、冬には冬の楽しみがいっぱいあります」


「すっかり余呉の人間ですね」


 俺はいつだったか菫坂先生に同じことを言われたのをふと思い出す。


「そう言えば、千秋さんとの話はどうなったのですか?」


「ええ、今のところは順調です。安井さんからもご理解は頂いています。ただ、いつ結婚するのか、どこで暮らすのかはまだまだ話し合わなくてはならないところですが」


 そう困ったように話すグエンさんだが、その声には隠し切れない嬉しさがこもっていた。


 直後、グエンさんの持つ竿の先がぐいっと大きく曲げられる。


「お、引いてる引いてる」


「頑張れ!」


 グエンさんはリールを巻いて、糸を水から引き上げる。飛沫を上げて水面から飛び出したのは、釣り糸にひっかかったワカサギが5匹。いずれもからだを跳ねさせて陽の光を照り返し、その美しさを見せつけている。


「大漁ですね」


「ええ、もっと寒くなればもっとたくさん、もっと美味しくなりますよ」


 話していると、またしてもひゅうっと冷たい風が吹きつけた。


 さすがにこれ以上ここにいると、俺の身体が持たない。俺は身を震わせながら桟橋から離れると、一目散に家に逃げ帰った。


 帰って早く暖を取りたい。だがそれ以上に、今見た美しい景色をすぐにでもイラストに活かしたいと、創作意欲がふつふつと湧き上がっていた。


「ただいま」


 家に帰った俺は早速、台所に飛び込んだ。


 そしてお湯を沸かしてコーヒーを飲んで一休みすると、仕事部屋の机に座り込む。


 さあ、この身体の内側から溢れ出る創作の欲求を吐き出してやろうとパソコンのスイッチを入れた、まさにそのタイミングでのことだった。


 俺のスマホがぶるぶると震え、電話の着信を知らせる。


 せっかくいいところだったのに、と目を細めるものの、俺はスマホを手に取って素直に応答した。


「あ、大八木さん、おはようございます!」


 電話の相手は久野瀬さんの旦那さんだった。


「おはようございます。どうされたんですか?」


「お忙しいところすみません、手を貸してください!」


 久野瀬さんの声からは、ただならぬ焦りが感じ取れた。

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