第十三章その2 豪雪の余呉
よく大雪のニュースがあれば雪かきをする人々の映像が映し出されるが、あれは雪があると不便だから、ではない。
雪かきしなければ死ぬ、からだ。
「ああもう、雪なんか嫌い!」
玄関周りの雪をスコップでどけながら俺はぶつくさと文句を垂れていた。しかもさらさらとした粉雪ではなく、水を含んでべったりとした雪質なので見た目以上に重いのなんの。ほとんど氷の塊だよ。
これは後から知った話だが、なんとこの滋賀県はギネスブックに載るほど、つまり世界一雪が積もる地域として記録されているらしい。
1927年2月14日、伊吹山の観測所で記録された一冬の積雪量は驚愕の1182cm。なんと3階建ての家屋をも超える高さにまで雪が積もったというこの記録は、今なお世界のどの豪雪地帯にも破られていない。日本海といえば冬の雪が有名だが、滋賀県北部では福井県に吹き込んだ風がそこまで標高の高くない山地を越えて伊吹山にぶつかり、吹き溜まりとなるために一際大雪をもたらすという。おかげでこの余呉は近畿以西唯一かつ日本最南端の特別豪雪地帯に指定されている。
それにしても雪かきってこんなにつらいものなのか。肩もパンパンで腰もずきずきと痛むし、何よりもこの寒さがきつい。
重労働で息が上がると、体が温まるので寒くても汗だくになる。で、疲れて休んでいるとすぐに汗が冷やされてしまうので、身体が凍えてしまう。
寒さに耐えるには作業の手を止めてはならず、休みたくとも休めない。まさに無間地獄だ。
ただ幸いにも、自分の目の高さまで積もっていたのは家の玄関側だけだった。こっちから風が吹き付けたり屋根から雪が落ちたりして、やたらと高く積もってしまったらしい。
とはいえ何の遮蔽物の無い庭の真ん中であっても、膝まですっぽりと嵌るくらいには雪が積もっている。当然ながら東京でこれほどの雪を体験したことは、これまでで一度も無い。
とりあえず玄関から外に出るルートは確保できたので、一旦居間に戻った俺は天花ちゃんの淹れてくれたコーヒーをすすった。
「ふう、あったかい」
ここまで美味しいコーヒー、初めてかもしれない。身体の隅から隅までぽかぽかと温まる。
ようやくリラックスしてテレビを点けると、やはり今年初の豪雪に関するニュースが報じられていた。富山や新潟、福井といった日本海沿岸の市街地はすっかり雪に覆われている。
「日本海側の雪は落ち着いた模様です。北陸地方と近畿地方北部では、明日まで晴れが続くでしょう」
しかし原稿を読むキャスターはああ今年もか、とすっかり慣れ切った様子だ。雪は積もったものの大きな事故の情報は入っていないようで、スタジオものほほんとした空気に包まれているのだろう。
良かった、これ以上は降らないなら家にいれば大丈夫だろう。
そう安心すると同時に、俺の内から別の感情も湧き起こる。
せっかくこんな銀世界になったんだ、冬の里山の風景をもっと見てみたい。
「今なら外出ても大丈夫だよね?」
期待の目をちらりと向けて、隣でコーヒーに砂糖を入れていた天花ちゃんに俺は尋ねる。しかし彼女は呆れたような顔で見返すと、すぐにタブレットに打ち込んだ。
(ここまで積もったらまともに歩けないよ)
やっぱりそうかぁ。一歩進むごとに長靴がすっぽ抜けてしまいそうなこんな積雪じゃ、外に出歩くなんて無謀すぎるか。
その時だ。ガガガガガガ、と地鳴りのような音とともに家が揺れ、電灯の紐がカタカタと振れる。
「何だろうこの音?」
(外から聞こえる)
地震かと思ったがちょっと違う。音の正体を確かめに玄関を開けると、俺と天花ちゃんは感激して立ち止まった。
家の前の道路を、除雪車が進んでいる。でっかいトラクターのような車体の前面に、高速で回転する粉砕機のようなローラーが取り付けられ、行先を阻む雪を削り取りながらゆっくりと道を拓いていた。
あんなに積もっていた雪も除雪車の通過した後にはすっかり取り除かれ、気を付ければ容易に歩けるくらいにまで元通りになっていた。さすがは雪とともに暮らしてきた地域、豪雪時の対処法はすでに準備済みということか。
「ちょっと見てくるか」
再び家に引っ込んだ俺は、コートとマフラー、毛糸の帽子で身を完全に覆う。そしてスケッチブックと鉛筆を手にすると、口笛を吹きながら外に飛び出したのだった。