第二章その2 ドライビングwithゴースト
「どうやったんだ、それ?」
玄関で靴を履いていた俺は、すっかりメイクアップした少女に驚いた。
少女は手鏡で自分の血みどろの顔を見た直後、一瞬表情を引きつらせ、すぐさま洗面所へと飛んでいった。そしてじゃばじゃばと豪快に水が流れる音がしたかと思ったら、きれいさっぱり流血を落として帰ってきたのだ。
本当に幽霊の身体ってのはどうなっているのだろう?
とはいえこれで万が一彼女の姿を見える人物と出会っても、まさか幽霊だとは思わない程度には見てくれも良くなった。俺にとっても血みどろの女の子を連れて歩くのは気が引けるし、これで正解だろう。
しかしこの子が外に出られるとは考えもしなかった。てっきりこの少女は特定の場所から動けない地縛霊の類かと思っていたが、どうやら自分の意思で外に出ることもできるらしい。幽霊であることを除いたら、普通の人間とたいして変わらないんじゃないか?
俺はやや滑りが悪くなっている玄関の引き戸を開ける。木枠に磨りガラスをしつらえた昔ながらのスタイルだが、マンションでしか暮らしたことのない俺にとっては珍しく思えた。
そして玄関を出て目の前に広がるのはただ一面に広がる田んぼと、遠く聳える霊峰伊吹山。5月、若い苗を植えられたばかりの田んぼは、鏡のような水面の上を整然と並ぶ緑の点描で彩られている。なんてことはない田舎の風景だが、この一瞬だけで四季の移ろいと人の営みを感じることができる。このダイナミックな季節の変動は都会のビル街ではなかなか感じられない。
これから毎日、季節とともにこの風景がどう変化していくのだろうと期待しながら、俺は車のキーを手に母屋脇の納屋に向かった。
農機具や収穫物を納めておくための納屋は、それだけでちょっとした一軒家くらいの大きさがある。その一角は屋根付きの車庫になっており、俺はそこにマイカーのインプレッサを駐車させていた。昨日長距離を走ってもらったばかりで申し訳ないのだが、これからは今まで以上に頻繁に利用するだろう。
インプレッサが珍しいのか、少女は流線形のボディやドアにくっついたミラーを興味津々といったようすで眺めている。きっと彼女が生きていた頃の車は、もっと違った形だったのだろう。
俺の住む余呉地区にはJR北陸本線の駅はあるものの、大きなスーパーマーケットは無い。近くで日用品を買いそろえるとなれば、隣の木之本町まで車を走らせることになる。
助手席に幽霊の少女を座らせる。エンジンをかけると同時に起動したカーナビの声に少女はぎょっと目を剥いて驚き、俺はつい失笑した。
アクセルを踏み、土剥き出しの庭を車が横切る。そして長らく手入れされておらず草がボーボーに伸びた植え込みを避けてアスファルト舗装の道路に出ると、田園の中を颯爽と駆け抜けた。
開かれた田んぼ道をしばらく走ると、やがて谷間に形成された集落を通過する。古ぼけた木造家屋や木材集積場を横目に車を運転していると、自分の育った高層ビル街とここが同じ国だという実感がどうも湧かない。こんなに誰ともすれ違わずすいすいと車を運転できるのは久しぶりのように思えた。
一方の少女も窓にべったりと貼り付き、外の景色を物珍しそうにきょろきょろと眺めている。あの家で暮らしていたのは間違いないと思うが、どれほどの時間が経過していたのか、まるで初めて見る風景のように興奮を隠せないでいた。
それにしても……俺は小さくため息を吐いた。
「まさか初めて横にのっけた女の子が幽霊だなんてな」
レアな体験を喜ぶべきか憂うべきか。そもそもこの車に乗せた女の人と言うのも実家の母さんしかいないくらいだ。
ふん、どうせ彼女いない歴イコール年齢の非モテ男ですよ、俺は。