第十二章その5 雨上がり
その後、天花ちゃんの乗り移った俺は難なくカロムに勝利する。
そこからは3人で入れ替わりながらカロムの対戦に興じ、気が付けば1時間以上が経過していた。天花ちゃんは最初の数回だけ俺の身体を動かしていたが、途中からふっと離れて仕事部屋に引っ込んでしまった。
「あれ、雨止んでる」
美里ちゃんが縁側の外を見る。空を覆っていた分厚い黒雲はすっかり消え、柔らかい午後の光が山を照らしている。
「だいぶ長い時間お邪魔になりましたし、そろそろ」
座敷で正座していた菫坂先生も立ち上がった。
「カロムやってて新しいアイデア浮かびました。これをキーアイテムに続きが書けそうです」
「続き、絶対発売日に買います!」
美里ちゃんは菫坂先生に憧れの眼差しを向けて言い放つ。今日、一番収穫を得たのはこの子かもしれない。
俺たちは三人そろって玄関から外に出た。まずはすっかり帰宅の遅くなってしまった美里ちゃんを見送る。
「先生」
自転車に乗る直前、美里ちゃんが小さく耳打ちする。
「天花ちゃんのことは怒ってあげないでくださいね。寂しかったんですよ、きっと」
そう言い残して自転車に飛び乗った美里ちゃんは、雨に濡れたアスファルトの上を走り抜けていった。
寂しかった、て。美里ちゃんの気遣いに、俺はぷっと吹き出す。
「では先生、お送りします。長浜駅前のホテルでしたっけ?」
「ええ、ですがそれなら最寄りの余呉駅でも」
「いえいえ、私も帰り際に買い物行こうと思ってたんですよ。ちょうどサラダ油が切れかけてましたし」
そう言って俺は先生をマイカーの助手席に乗せる。稲がすっかり刈り取られ土の剥き出しになった田んぼ道を進んでいると、山頂だけ紅葉の色付き始めた伊吹山の山容が目に映る。
もうちょっと時間早ければ寄り道もできたんだけどなぁ。そんなことを考えていると、菫坂先生が話しかけてきたのだった。
「先生、ここでの生活は楽しそうですね」
「ええ、皆さん親切なんで」
「ですね。私、春から実家を出て都内のマンションで暮らし始めたのですが……季節が変わっても窓の外の風景は変わらなくて、いつの間にか暑くなって気が付いたら涼しくなって。そこでようやく夏が過ぎて秋が来たって実感するんです」
俺は黙って車を運転しながら、先生の言葉に聞き入っていた。彼女の声にはどことなく憂いがこもっていたのだ。
「執筆してると一日中誰とも話さずに終わることもあって。生活は便利ですけど、なんだか窮屈に感じていたんです」
菫坂先生の実家は都内でも結構緑に溢れた場所だと聞いている。春になれば新緑、秋になれば紅葉と季節ごとに見た目を変える風景に親しんできた彼女にとって、無機質なコンクリートジャングルは少々居心地が悪かったのかもしれない。
「ですが今日、庭のコスモスとキンモクセイを見て、ムササビに触れて、初めて会った子とゲームして……ああ、こういう何気ない幸せに憧れていたんだなって気付くことができました」
先生はにこりと笑った。その顔は何の打算も目論見も無く、ただ心の底から笑ってくれているように見えた。
「それは良かったです、引っ越してきた時は家のこと大変だと思っていましたけど、先生にそう言ってもらえるなら越してきた甲斐があるもんです」
ちょっと恥ずかしいが、俺も正直に答える。第一線の若手作家として活躍する先生にも、色々と悩みがあることを打ち明けられて嬉しかったのだ。
「はい、私、ことあるごとに東京からここに来てたのは、そういう空気に飢えていたからじゃないかなって思います。暮らしたことも無いのに、ここに来れば不思議な安心感を覚えますから」
「ははは、いっそのこと先生もここに引っ越してみたらどうです? 虫とスーパーが7時で閉まるのに耐えられるならおススメですよ」
「ふふ、いつの間にか先生もすっかり余呉に染まってしまって」
住めば都という言葉もあるが、勢いでこの土地に引っ越してきたのは俺にとってもプラスだったのかもしれない。
そうこう話している内に、俺たちは長浜市街地まで入っていた。幹線道路から駅近くの道に入り、ホテルのロータリーで先生を下ろす。
エントランスに入っていく先生の後ろ姿を見送ると、俺はうーんと伸びをしてこり固まった首をほぐした。
「さて、買い物に行くか、と」
ふとバックミラーに目を向け、俺は「わ!」と声を出して驚く。そこには後部座席にちょこんと座る、天花ちゃんの姿が映り込んでいたのだ。
「おいおい、またついてきてたのか」
呆れた声で後ろに顔を向ける。当り前よ、と言いたげに天花ちゃんはにやっと笑みを返した。
こいつ、勝手に人の身体を乗っ取っておいて。
だが不意に美里ちゃんの言葉を思い出すと、この天花ちゃんが随分と可愛らしく思えてきて、思わず笑ってしまいそうになる。そのことに気が付いた俺は、幽霊に顔を見られまいと慌ててハンドルを握り直して前を向いた。
さてさて、買い物について考えよう。ここからならいつも使っている木之本のスーパーに行くより、街はずれの大型ショッピングセンター行った方が良さそうだな。あそこはたしかレストラン街も入ってたっけ。
「ねえ天花ちゃん、せっかくだし買い物ついでに晩御飯もどっかで食べてく?」
自分の心の内を悟られないよう、俺はわざとらしく尋ねる。聞くなり天花ちゃんはにっと口角を上げ、タブレットに文字を打ち込んだ。
(近江牛)
「高いからダメです」
(ケチ)
「ケチで結構」
俺はアクセルを踏んで車を発進させる。その時車窓からちらりと見えた琵琶湖の湖面は、夕日にきらきらと輝いていた。




